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【最終34巻】『進撃の巨人』で描かれた多種多様な「自由」を紐解く⑪

「不条理に抗い続ける姿勢=なりたい自分を自ら選ぶ=自由=人間讃歌」と定義し『進撃の巨人』を振り返ってきましたが、ついにこれが最後となります。

まずはじめに前回も紹介した作者である諫山創先生のこのブログを読むのをおすすめします。作品外の情報には触れないと最初に決めたのですが、これだけはエレンへの理解の補助線としてうまく機能すると思うのでぜひ。いや読め。

この記事では諫山先生が考える『ヒメアノ〜ル』の漫画版と映画版の違いが書かれていて、そこにはこんな一節があります。

...何故、僕が原作漫画ヒメアノ~ルが生涯ベストかと申しますと、この漫画のテーマが「反社会性人格障害者の悲哀」を描いた作品だからです

http://blog.livedoor.jp/isayamahazime/archives/9267693.html

簡潔に言うと、漫画版『ヒメアノ〜ル』はサイコキラーである普通じゃない人間の苦悩を描いた作品です。

そんな森田はなぜサイコキラーとなったのか?
それは森田がそういう人間だから

彼は何故そんなサイコキラーなのかは?原作では「先天的なもの」として描かれています
つまり生まれた時から彼はそういう人間だと
決まっていたのです

http://blog.livedoor.jp/isayamahazime/archives/9267693.html

そういう星の下に生まれた普通ではない人間の苦悩。

森田はかなり極端な例ですが、多くの人は何かしら他の人とは違う何かを持っていて、その違いに苦しんだ経験があるはずです。

そんな人間に救いはあるのか?

いや、僕は偶然にも快楽殺人鬼ではありませんでしたけど人との違いに悩んだことがある人ならそれが快楽殺人じゃなくても理解できる部分もあるんじゃないでしょうか

「別に俺が選んでこうなったわじゃないんだけどね」っていう生まれ持った性についてです

この世で最も、誰も同情し得ない最低のクズ野郎に
古谷先生だけは空也上人像のように寄り添ったのです

http://blog.livedoor.jp/isayamahazime/archives/9267693.html

話を『進撃の巨人』に戻します。全体を通して見るとこの作品は「不条理に抗い続ける姿勢=なりたい自分を自ら選ぶ=自由=人間讃歌」の素晴らしさや尊さを描く一方で、先生の言葉を借りるなら「異常なまでに自由を求めて戦った反社会性人格障害者の悲哀」を描いた作品でもあったと言えると考えています。この「自由」の二面性を描いたところが『進撃の巨人』が傑作たる所以ではないかと改めて思いました。

幼少期のエレンは目の前にそびえる壁を眺めては「何か起きねぇかなぁ…」とつぶやく退屈な日々を送る少年でした。そんな少年がアルミンから外の世界について教えてもらうことで、自分は「わけのわかんねぇ奴らから自由を奪われている」のだと気づき「怒り」を抱くようになります。一方のアルミンは外の世界そのものへの「興味」を持つようになります。ここで二人の悪魔と勇者の素質の違いが見て取れますね。

エレンは強盗に攫われたミカサを助けたときや商人に殴られている異国の少年ラムジーを助けたときなどを見ても真っ当な強い正義感と倫理観を持っていたことは明らかなのですが、それ以上にエレンは悪魔になる素質を持っていました。どうしようもなく、人を殺してでも自分が思う自由を手に入れたいと願う生まれ持った性がエレンにはありました。

巨人が敵のうちはよかったのですが、いざ海に辿り着いてみると全世界の人間がパラディ島のエルディア人の死滅を望んでいました。この時点でエレンの求める自由は外の世界が存在している限り手に入れることはできないということになります。

だからエレンは地鳴らしをやるしかなかったのです。

悪魔の素質を持った少年に、始祖の巨人という力と地鳴らしを起こせば故郷を救えるという真っ当な建前が与えられたことで、エレンは本当に悪魔になってしまったのでした。

自由でありたいと願ったがために他人の自由を奪うことになる。⑥で述べたように人は自由だからこそ争うのです。エレンはその極地に立ちました。なんと愚かで哀れなことでしょう。エレンは森田と同じでどうしようもない人間へとなっていまいました。終いには精神が限界になり幼児化してしまう始末。

この愚かで哀れな状態を表現する言葉として「自由の奴隷」がふさわしいでしょうか。ただしこの「奴隷」はケニーの語る奴隷とは少し違います。ケニーにとっての奴隷とは人を酔わせるような何かに酔っ払っている状態を指します。一方のエレンは生まれ持った反社会的な性に対してそれでもありのままの自分でいたい、つまり自由でいたいという心の叫びに服従することを選びました。たとえ他人の自由を奪うことになったとしても。なぜならオレがこの世に生まれたから。これがわたしの考える「自由の奴隷」です。

こんな「自由の奴隷」となったエレンにも希望や救いはあったのか? そしてそんなエレンに立ち向かった調査兵団に未来はあるのか? それが描かれるのが最終34巻です。


自らの自由のために他人の自由を奪う愚かな人間そのものとなったエレンに対し、誰かの自由を守るためにエレンを止めることを選んだ調査兵団はついに「終尾の巨人」の背中に降り立ちます。(完結後に付けられた名称ですがアニメで使われるのかな)

アルミンが巨人化の爆発で終尾の巨人を吹き飛ばそうとしたそのとき、始祖ユミルが無尽蔵の巨人の力と戦鎚の巨人の能力で用意した歴代の9つの巨人の傀儡が調査兵団に襲いかかります。その中にはベルトルト、マルセル、ポルコといった顔馴染みの巨人たちまで控えていました。

物語初期から一貫して描かれてきた巨人の数の暴力。圧倒的戦力差で全滅寸前に追い詰められた調査兵団を救ったのはなんと翼の生えた巨人となったファルコでした。

ファルコは⑥ですでに言及した通り、エレンとライナーの会話を聞いたことで世界を高いところから俯瞰する鳥の視点を獲得しています。そして顎と獣の両方の特徴を持つ鳥のような巨人の姿、極めつけは名前がファルコン(隼)…。絶対空飛ぶってみんな思ってたでしょ!

ファルコは元々、戦場を飛んでいる鳥に遠くへ行けと言ったり、ガビと違って憎しみに囚われず戦闘能力を失った敵国兵や謎の負傷兵(エレン)にも手を差し伸べたりする心の優しい少年でした。何より思いを寄せるガビに寿命が縮んでほしくないから自分が鎧の巨人を継承すると奮闘するまさに良心の塊。

そんなファルコにライナーは「お前がガビを救い出すんだ この真っ暗な俺達の未来から…」と励ましました。どれだけ世界が真っ暗で残酷でも、そのかけがえのない良心を失ってはならないというライナーなりのアドバイスだったのでしょう。

そしてこの世界の命運をかけた土壇場でも、ライナーはファルコに「俺との約束を覚えているか?」と問います。故郷を失ったとしても、両親を失った(と思っている)としても、ファルコはその気高い精神を放棄しませんでした。だからファルコは翼を持つのにふさわしい存在なのです。

各々がエレンを殺すしかないと覚悟を決める中、ミカサだけはその迷いを振り切ることができませんでした。この状況になってもミカサはエレンのために戦うという呪いから脱却できなかったのです。

二つの作戦が同時に展開される中、深手を負い戦いに参加できないリヴァイは心中を独白します。獣の巨人を仕留めると約束したのにそれを果たせない自分は、もう役目が終わったのかもしれないと。

そしてこう続けます。あのときエルヴィンを選ばなかったこと、かつて巨人がいない世界という夢を分かち合った仲間たちと同じ眼をしたアルミンを選んだことに悔いはないと。自分が役立たずだとしても、その選択を変えることは決してありませんでした。

そのころアルミンは謎の空間で意識を失っている自分自身を見つめていました。どうして僕の体は動かないんだ、起きろよクズ、役立たず、僕はお前が嫌いだ、もらった命も期待も責任も何も返せなかったじゃないか!

そんなアルミンは自分が「道」の世界にいるのだと気づきます。そこに現れたのはエレンに取り込まれたはずのジークでした。ジークはアルミンに、生命の本質とは種の存続のために「増える」ことだと説きます。

そして始祖ユミルを理解しようとしたが、この「死さえ存在しない世界」に2000年もの間とどまり続けた理由が何なのか、何か未練があった以上のことはわからなかったと続けます。

そして戦いを諦めないアルミンに問いかけます。「なぜ負けちゃだめなんだ?」「生きているということは…いずれ死ぬということだろ?」と。奴隷の精神を持つジークは、生きることなんて無意味なんだからみんな死ねば楽になれるのにと戦うことを放棄しこの世界に引きこもっていたのでした。

そのときアルミンは砂の中から「何か」を見つけます。それは1枚の葉っぱでした。それを見て思い出したのは、木の葉が舞う中エレンやミカサと3人で「あの丘の木に向かって」かけっこをした単なる思い出でした。

その思い出にアルミンは「かけがえのない何か」を見出します。僕は「三人でかけっこをするために生まれてきたんじゃないかって…」と。

この世界自体が無意味なものだったとしても自分にしかわからない生きる目的があってもいいと。そして人間は何気ない日常の中でその尊さを見いだせる生き物なのだと。これが人間讃歌なのだと語りかけているようです。

それを聞いたジークが思い出したのは、恩師クサヴァーとキャッチボールをした思い出でした。ジークから言わせれば、この世界の人間は皆奴隷でしかありません。生まれてはいけない存在なのです。でもクサヴァーとキャッチボールをしていた時間だけはそれを忘れていたことに、生きる喜びを感じられていたことにようやくジークは気づきました。

どれだけ残酷な世界に生きていたとしても、奴隷だったとしても、かけがえのない何かを通してこの無意味な世界に意味を与えることができる。だからこの世界はとても美しい。これはこの物語がなんども描いてきたこの世界の真理です。

ジークはこのとき「自分は生まれてきてもよかった」のだと感じることができたのでしょう。こうしてジークはクサヴァーにかけられた呪いから解放されたのでした。

その瞬間にジークは本人にも予想できなかったある奇跡を起こします。「道」の世界で眠っていたジークや調査兵団にゆかりのある巨人継承者たちを呼び覚ました(アルミン曰く)のです。おそらく王家の血を引く者だからできたのでしょう。

こうしてジークは再会を果たしたクサヴァーには「あなたとキャッチボールするためなら また生まれてきてもいいかも」と感謝を伝えることができ、かつて心から謝罪したグリシャを赦すこともできたのです。

そしてジークは自分の罪を理解しました。今まで人間は生きる価値がないと思っていたゆえに人殺しになんの罪悪感もなかったジークでしたが、そうではなかったと気づいたことでこれまでの罪を自覚したのです。

呼び起こされたかつての継承者たちの協力で反撃に出た調査兵団でしたが、リヴァイの眼に映ったのはなんとジークの姿でした。

「エレンを止めてくれ」という父グリシャとの約束を果たすために「道」の世界から脱出したジークの目の前には、果てしない大空が広がっていました。クサヴァーから譲り受けた「色眼鏡」を外し自らを解放してはじめて見た光景に、ジークは感嘆の声をもらしてしまいます。

…いい天気じゃないか
…もっと早く そう思ってたら…

まぁ…
いっぱい殺しといて
そんなの虫がよすぎるよな…

リヴァイはジークが自ら首を差し出したことで、自らの罪にけじめをつけようとしていることを直感的に理解したのでしょう。こうしてリヴァイはジークの首を斬りエルヴィンとの約束を果たすことができました。

ジークが死んだことでついに地鳴らしを止めることに成功します。覚悟を決めたアルミンは巨人化し、その爆発でとうとう終尾の巨人は力尽きるのでした。

壁の王ウーリはケニーとの友情にかけがえのない何かを見出していました。死に際にそれを理解したケニーはリヴァイに注射器を託しました。リヴァイはその注射器でアルミンを生き返らせ未来を託しました。そしてアルミンは何気ない日常の中にかけがえのない何かを見出しました。それにより生きることに価値を見いだせなかった人間を救い、愚かな人間による最低最悪の所業である地鳴らしを止めることができたのです。

めでたしめでたし。オレたちは自由だ! 第三部完!

と、ここまで読んで多くの人が納得したことでしょう。でもわたしは違いました。

…大好きなミカサのターンがまだ来てない!!
だから絶対まだ山場があるだろうと踏んでいました。

いよいよここからはミカサ大好きお兄さんが選ぶ進撃ベストエピソード138話「長い夢」が始まります。

アルミンによって跡形もなく吹き飛んだ終尾の巨人。これでエレンが死んだとすれば、ミカサにとっての最後の会話は「お前がずっと(大)嫌いだった」と突き放されたあの会話ということになります。ミカサはそれを受け止められませんでした。

マーレの戦士たちが家族と再会し喜んだのも束の間、なんとエレンは超大型サイズの進撃の巨人となって復活します。異形のラスボスを倒したと思ったら人型になって帰ってくるRPGラスボス戦のお約束ですね。

その直後、ある意味全ての元凶とも言える「光るムカデ」が謎の煙を噴射したのです。

勘のいいコニーは気づいてしまいます。
「ラガコ村と同じやり方なんじゃ…」と。

そこからの展開は言うまでもないでしょう。
本当に地獄が好きなんだな?!諫山創!エレン!

絶望のどん底に叩き落とされてもなお残された者たちは抗うことを止めませんでした。ミカサを除いては。

ミカサはリヴァイの呼び掛けにも応じず「私達の家に…帰りたい…」と現実を直視することができません。激しい頭痛に襲われミカサは意識が遠のいていきました。

目を覚ますとそこは静かな山奥の小屋でした。
(ネームによるとここはスイスらしいですね)

ミカサにとって山小屋といえば幼少期を家族と過ごした場所でもあり、エレンとはじめて出会った特別な意味を持つ場所でもあります。

そしてそこにはエレンもいました。ミカサが「帰ってきて」と望んだ、生きる意味を与えてくれたあの優しいエレンでした。

あまりにもミカサにとって都合のいい世界。この世界では、「オレはお前のなんだ」と聞かれたミカサが自分の本心を打ち明け、アルミンたちを置き去りにして全てを投げ出し二人で駆け落ちしたことになっていました。

(この世界を並行世界(パラレルワールド)のようなものと考えている人も多いでしょうが、これは自分たちがよく知っているエレンとミカサが「道」の世界で本当に体験した世界であると考えています。そのほうがロマンチックでしょ?)

ミカサは思ったでしょう。地鳴らしなんて自分の見た長い夢だった。自分を突き放すエレンなんていなかった。…でも、ここにいていいのかなって…

全てを投げ出して掴んだ幸福の代償は大きく、アルミンたちを見捨てた罪悪感とエレンの寿命が残りわずかという事実がミカサの心に影を落とします。

さらにエレンはこう言いました。
「オレが死んだらこのマフラーは捨ててくれ」と。
「オレのことは忘れて自由になってくれ」と。

エレンは結局あの世界と同じようにミカサを突き放しました。

ミカサはこの瞬間、「オレのお前のなんだ」聞かれたあのとき別の答えを選んだとしても自分が幸せになることはない。過去を後悔しても意味はなく現実逃避していても自由になれないのだと悟りました。

そしてもう一つ、別の答えを選んでいたらエレンは自分の愛の告白を受けてくれたであろうこと、つまり自分を心から愛してくれていたのだとミカサは理解しました。

「道」の世界で再会しエレンの真意を知ったミカサは応えなければなりません。エレンの願いに対して。

マフラーを捨てろ?
エレンのことは忘れろ?

ごめん
できない

隠し持っていたマフラーを取り出したミカサは自らの手でマフラーを巻き直しました。どれだけエレンに突き放されたとしても自分はエレンを愛し続けるのだと、ミカサはその象徴として新たに意味づけたマフラーを自分で巻いたのでした。

そして自分の愛はアッカーマンの護衛本能でもなく神への崇拝でもないのだと証明するため、そしてエレンを苦しみから解放するために、ミカサはエレンを殺すことを決意します。ライナーが言っていたようにエレンが誰かに止めてもらいたいと思っているのなら、それは自分にしかできないのだとミカサは気づいたはずです。

ミカサは愛の呪いから解き放たれ、今何をすべきか、なりたい自分とは何かを知ることができ精神の自由を獲得しました。「自分を完璧に支配できた」あのころのミカサが帰ってきたのです。

(リヴァイの最後の攻撃がハンジが発明した雷槍なの泣く)

こうしてミカサはエレンの首を斬り口づけをします。
自らの解放と本物の愛を証明するために。
「いってらっしゃい」という手向けの言葉を添えて。

「いってらっしゃい」の解釈は様々あるかと思いますが、ミカサがマーレ編以降口癖のように言っていた「帰ってきて」と対比になっていると考えるとわかりやすいと思います。

「帰ってきて」は自分にとって都合のいい優しいエレンが戻ってきてほしい、自分のそばから離れないでほしいという執着の気持ちが強く出ています。一方の「いってらっしゃい」はたとえ離れ離れになったとしても、もう二度と会えないとしてもそれでも見守っているから、そして自分はここで待っているからという真の愛情の言葉とも受け取れますね。

こうしてミカサは自由の奴隷となったエレンを、エレンは愛の奴隷となったミカサを解放したのでした。

その様子を見つめていた始祖ユミルは…?

137話がアルミン、138話がミカサと来たら、最終139話はエレンの話が来て当然ですよね。ということで139話振り返りをもって本シリーズを締めようと思います。

舞台ははじまりの街シガンシナ区から。「道」の世界で再会し幼き日の姿となったエレンとアルミンは答え合わせをしていました。未来を知ったエレンはアルミンたちを英雄に仕立てるために地鳴らしを起こしたのだと説明します。

でもこれは本心で思っていたとしてもエレン自身やアルミンたちを納得させるための建前なのでしょう。アルミンはそれを察しますが、その証拠にエレンは話を始祖ユミルにそらしてしまいます。

エレンによれば、始祖ユミルは自分を奴隷として扱っていた初代フリッツ王を愛していた、だから始祖ユミルは2000年もの間巨人を力を手放すことがなかったというのです。そして愛の奴隷となった始祖ユミルを解放するのが同じく愛の奴隷であったミカサになるということを明かしました。

これが本当だとして話を進めます。
あんなフリッツ王を愛していたなんてありえないと思ったそこのあなた、なんであんな男のこと好きなの?って女の子が周りに一人くらいはいませんか? そうと思うと一気に解像度が上がりますよ。

始祖ユミルは巨人の力を手にしてもフリッツ王に従い続けました。絶対的な力を持っていたのに奴隷でい続けたのは、自分が必要とされていると感じてしまったからではないでしょうか。

親の愛情も知らず、奴隷としてしか生きることがなかった始祖ユミルでしたが、巨人の力を手にした途端フリッツ王が自分を必要とし始めたのです。そしてその「褒美」として「子種をくれてやる」と。

自分を一人の人間として誰かに認めてほしいと密かに願っていた始祖ユミルが、それをフリッツ王からの「愛情」だと受け取っていたとすれば辻褄が合います。自分が巨人の力で王に尽くしていればいつかは王と対等になれるかもしれない、人として認めてもらえるかもしれない、奴隷から自由になれるかもしれないと思った始祖ユミルは巨人の力を手放せなくなってしまいました。そして王に執着という名の愛情を抱いたのでしょう。

だから死後「道」の世界に行った始祖ユミルも、巨人の力を手放すことがなかったのです。この力があればいつか王(の血を継ぐもの)が自分を人として認めてくれるかもしれないと。

そしてもう一つ、自分のやったことが間違っていなかったと証明したかったのでしょう。ここで巨人の力を手放せば今までのことが全て無駄になる。私の愛情とはこんなものだったのかと認めることができなかったのです。

そんな始祖ユミルの前に現れたのがミカサでした。ミカサはエレンのために生きることで自分を支えていました。他人のために全てを捧げようとするのはまさに自分と同じだと始祖ユミルは気づいたはずです。

そしてそのミカサが愛するエレンは、自分を奴隷でも神でもなくただの人であると認めてくれたのです。

自分を人として認めてくれた理想の男(エレン)と、その男の願いに背き自らの自由とその男への愛を証明するために殺すことを選んだ女(ミカサ)。

エレンとミカサの関係、そしてミカサの選択は始祖ユミルにとって成し遂げられなかった願望であり、それを代行してくれたミカサの姿を見た始祖ユミルの心は救われたのでした。こうして始祖ユミルは巨人の力を手放すことができたのです。推しカプが尊すぎて成仏した

(ミカサと始祖ユミルが同じであると完結前に見抜いていた人ってどれくらいいたんでしょうね? わたしはエレンに言われるまで気づきませんでした…)

振り返ってみれば、「この世界に意味はない だから素晴らしいと思う」と悟った104期ユミルがヒストリアを救い、ヒストリアが自分なんていらなかったと絶望したエレンを救い、エレンがお前はただの人だと始祖ユミルを救い、エレンはミカサを、ミカサはエレンを救い、それによって巨人の力が消滅するという結末でしたね。圧巻。

エレンは、ミカサが何らかの選択をすることで最終的に自分は殺され、その余波で巨人の力が消滅することを知っていました。

巨人の力が消滅するということは、エルディア人にとっては希望かもしれませんが、パラディ島が生き残ることを考えるとそれは強力な兵器を失うことになりさらなる地獄が待っているかもしれません。それは進み続けたものにしかわかりません。

しかしエレンは進み続けることが自分にはできないことをわかっていました。だからエレンはアルミンたちに未来を託すことにしました。「お前なら壁の向こう側へ行ける」と。あの日エルヴィンやハンジが自分の自由を証明するために仲間に後を託したように。

誰よりも自由で哀れな存在となったエレンでしたが、最後の最後に自分の自由を証明することができたのです。その代償はあまりにも大きなものでしたが…

それを受け取ったアルミンは最後に、ミカサが「いってらっしゃい」と言ったように手向けの言葉を送りました。「君の最悪の過ちは無駄にしないと誓う」と。そしてあの日渡せなかった貝殻をエレンに渡すことができたのです。(このあたりの会話はもしかしたらアニメでは大きく変わるかも?)

しかしエレンはアルミンとの会話のなかでこんなことを言っていました。

お前達に止められる結末がわかってなくても
オレはこの世の全てを平らにしてたと思う

やりたかったんだ…
どうしても…

やはりエレンにとっては全ては建前でした。

エレンは最後まで異常なまでに自由を求めて戦った哀れな人間だったのです。なんて愚かで恐ろしく、そして悲しい生涯…そりゃわけもなく涙も出るよ。

でもそれを最後まで貫いたからこそ『進撃の巨人』は自分にとって唯一無二の傑作なのです。(強いて言うならここをもっと掘り下げてほしかったけどね!アニメ頼む…)

アルミンは目を覚まし、その全てを思い出しました。

そしてアルミンは、エレンから託された夢、調査兵団団長としての役割、今なすべきこと、その全てを押し付けられたものではなく自分が引き受けたものなのだと覚悟を決めました。

そこには「生き返るべきは僕じゃなかった」と自らを蔑む人間の姿はありませんでした。アルミンは精神的に本当の自由を獲得したのです。

現場が恐怖と疑念で支配される中、アルミンはあの日エレンを助けるために初めて勇気を振り絞ったときのように、立体機動装置を外し堂々と人々の前に立ちました。

そして人々を説得します。自分の役割は恐怖や疑念、つまり精神的な壁を取り払い誰かを自由にすることだとアルミンはわかっていました。

だからアルミンはエレンから託された「英雄」の役を演じることを引き受けたのです。「悪魔」の役を演じた親友のためにも。

三年後、生き残った調査兵団最後のメンバーは世界への恐怖と力で支配されたパラディ島へ向かっていました。その港では彼らを待つ女王の姿もありました。

彼らはハンジが託した「理解することをあきらめない姿勢」を忘れていませんでした。彼らであれば、きっとこの先どんな「壁」が待っていようとも乗り越えることができるのでしょう。死んだエレンに意味を与えるためにも。

憎しみの森から人類が出られる日は来るのか?
森から「出ようとし続ける」ことができるのか?

アルミンは言います。
「争いはなくならない」と。

でもきっとみんな知りたくなるはずだとも言います。
「壁」の向こうへ辿り着いた残酷で美しき物語を。

実際、この『進撃の巨人』は世界中で「これは自分たちの物語だ」と言われることが多い印象です。

日本では巨人は災害と同じでそれに抗い続ける勇気の物語であると、自由の国アメリカでは当たり前の権利を勝ち取り自由になる物語であると捉える人も多いことでしょう(たぶん)。

この物語では「不条理に抗い続ける姿勢=なりたい自分を自ら選ぶ=自由=人間讃歌」が描かれてきたとわたしは勝手に思っています。

わたしは心だけは自由でありたいと思っています。
実際には自分は至らないところだらけです。
平気で人を傷つけることだってあります。
でも「自由」を諦めるわけにはいかないんですよね。生きてる限りは。そう思えるのもきっとこの物語に出会えたからでしょう。

この物語に出会ったあなたの心が「自由」でありますように。

そしてわたしの拙い文章が理解の助けになることを願っています。


(ここまでマガジンで読んだわたし「でもさ〜エレンはマフラーを『なんどでも巻いてやる』『これからもずっと』って言ってたやん? ミカサが自分でマフラーを巻いたのは感動したけどさ〜〜エレンお前はほんまにそれでいいんか? これだとエレミカ過激派のわたしは死んでも死にきれねぇが???」)

(震える手で最後のページをめくる)

推しカプが尊すぎて成仏した。

アニメでは単行本加筆まで描かれるのかな?
次回、アニメ最終回感想!
あとは「過去も未来も同時に存在する」SF考察も…

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