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"ハタチ"という年齢はただの数字だった。

2022年の1月25日、思い返せば、私はやっと20歳になった嬉しさに浸っていました。10代から20代になって、大人の仲間入りをした気分。
「やっとハタチ!もう私は大人!」そう心の中で飛び跳ねていました笑

でも、20歳という年齢と共にこの一年生きてきて、今まで以上に年齢はただの数字でしかないなと思う機会が多かったです。

この一年は自分の活動領域を絞って、深く濃い時間を過ごしたように感じます。もともと文章を書くのが好きなので、去年の誕生日にも、今年と同じようにnoteを書きました。

このnoteを読み返して、思い出しました。
この時は今働いている本当に好きで楽しい会社を辞めようとしていた時期だったなぁということを。

ふと思い返すと19歳の一年は、とにかく色々なことにチャレンジして、いろんなところに顔を出していました。
ビジコンなどに出て、人前で話す機会も多いかった。イベントを開いて司会進行をする機会もあったり、気づけばインターンを数社掛け持ちしながら大学に通う日々でした。
とにかく、あの時の私にできるのは『ひたすら行動する』ことでした。
当時の私には自分が本当にやりたいと思えること、つまり『自分のど真ん中=青い炎』と言えることが何かわからなかった。
だから、興味のあることは全部やる精神で飛び込み続けていました。

でも、20歳の一年を振り返ると、今年は、いろんなことをする、ではなく、これだと思ったところにしっかりコミットして濃密な時間を過ごしてきたように感じます。取捨選択の一年でした。

この一年で私を変えた3つの私の依存先。

MAKERS、東海学生AWARD、GeCS

今年の誕生日にかくnoteはこの3つを軸に振り返りながら21歳に向けて踏み出していこうと思います。

ただの私でいられる、MAKERS UNIVERSITY

一昨年のクリスマス前、1通のメールをが届き、歩道橋を歩いていた私は歩きながら飛び跳ねたのを覚えています笑
そう、MAKERS UNIVERSITYからの7期生合格の通知でした。
6期の時に一度落ちたのもあり、本当に嬉しかったです。

ですが、2月の合宿から始まった10ヶ月ほどのプログラム期間は、いい意味で大きく期待を裏切ってくれたものだったように感じます。
入塾する前は『事業を伸ばすぞ!』と息巻いてMAKERSに行きました笑

でも、気づけば4月に葉山に隠居して、自分の事業をやめようと決意し、大好きな会社に戻りました。
自分でも驚きの方向に進みました。でもなんとなく、心のどこかでは、この会社に戻りたいのかもなぁと思う瞬間があって。

MAKERSは本当に自分が求めている道に進む勇気をくれたように感じます。
そして、その決断を応援してくれる仲間がいて、すごく救われていました。
同期のみんなからの、いいじゃん!その決断できるのは強い!
その言葉があったからこそ、今自分に嘘をつかず本当に幸せな日々が送れています。

MAKERSの仲間やメンターの存在があって、メンターをされている上田さんがいたからこそ葉山での隠居生活を送り、そして今の会社に帰ることができた。
本当にMAKERSという居場所があって幸せです。

帰りたくなる場所、東海学生AWARD

そして、この一年で一番私の人生にインパクトを与えたのが、東海学生AWARDでした。
2022年の11月で5周年を迎えた、『若者が本気で挑戦し、大人たちが本気で応える場』である青少年育成プログラムのようなものが東海学生AWARDです。
▼ 詳しくはHPや参加者・作り手のnoteを読んでみてください。

私と5期東海学生AWARDは『新時代で始まり新時代で終わりました』
なんで新時代!?って思いますよね笑

元々AWARDには2020年の3期で出場していたんです。
だからオーガナイザーやメンターとは知り合いで、そこまで連絡は取らないけどなんだかんだ繋がっていました。

それで6月にAWARDの関係者も結構いるゆる〜っとした会がありました。
たまたまその半年ぐらい前に、5期実行委員長との友喬と幼稚園の同窓会で再会して、そのゆる〜っとした会があることを知り、ちょうど名古屋に帰ったタイミングだったので参加することにしたんです。

そう、それが始まりなんですよね。
二軒目が新時代で、そこでオーガナイザーと他数名と飲んでいる時に、『AWARD一緒にやろうよ!』とを声かけていただいて、急遽作り手の合宿に参加することに。

それからあれよあれよと、1週間後ぐらいには合宿で実行委員長選挙に出ることにしたり、その後副実行委員長として学生実行委員会の組成や、AWARDの肝である合宿づくりをしたり、と裏方に徹して気づけば10月末。

ここで一息つきます。
鶏肉にあたり、食中毒になりました泣笑

そして治った時には、働いている会社の仕事が溜まっていたので、仕事に追われていたら、また体調不良に!

今度はなに!?と思いながら病院に行くとコロナだということが判明。
もうびっくりです笑 2年間体調壊さず元気だったのに急に2回も1週間ずつ寝込むことになりました。
ただ、コロナは数日で回復し、残りの自宅療養期間で色々と7月からのことを振り返っていました。

今回は、副実行委員長として裏方に徹すると決めていたので、AWARDの主人公であるプレゼンターのみんなにはそこまでしっかりと関わることが難しいなぁと思う時もあって。
でも、私には私の役割がある!と自分に言い聞かせそのまま、役割をまっとうし続けました。

ですが、前日合宿の時、訳あって夜の時間はプレゼンターの壁打ち相手になる機会をいただきました。最後の追い込みでもうみんな目はばっちばちになりながら、眠気と戦いながら過ごす最後の夜。
この大切な時間にプレゼンターの数人の力になることができました。本当に嬉しかったなぁと思います。

そして、その中の一人である、のあが、この前素敵なnoteを書いてくれました。

私と出会えて良かったと、そう思ってくれる人がいるなんて、これ以上嬉しいことはないです。
色々な壁があった7月からの運営。それでも、本気で頑張ってきて本当によかったなと改めて思って、涙が出るぐらい幸せでした。

仕事をしていても、こうしてAWARDの作り手をやっていても、すごく幸せになる瞬間があります。
それは、作っているサービスやプログラムを通じて、このサービスやプログラムがあって本当によかった、出会えてよかったという声を聞ける瞬間です。

自分が仕事をしたり、AWARDという尊い場を作るために奔走したことが、誰かの幸せに繋がったり、その人のLCE(Life Change Experience)になっているって、物凄いことだと思いますし、それに携われている事実で自分がこうして日々生きて頑張っててよかったなぁと心から思えるんですよね。

そしてAWARD最後の公式プログラムであるアフターAWARD終了後はどうしても新時代に行きたくて、オーガナイザー含めた数人で新時代に行きました。
だから、私にとっては『新時代で始まり新時代で終わる』なんです笑

2年ぶりにAWARDという場所に戻ってきて、この年で副実行委員長という経験をさせていただけて本当に幸せ者です。
一時期はAWARDを拒絶していました。でも、AWARDの価値を再認識することで、本当に尊いものだと感じます。

5期、特にコアで関わっていた友喬・邦さん・ジーニョさん・健美さんや、実行委員やコーディネーターの皆は、本当に大切な仲間ですし、愛知に帰った時は、いつでも受け入れてもらえる居場所のように感じます。

ただいま、GeCS

AWARDについてちょっと長くなってしまったので、ここら辺で最後のテーマに移ろうと思います。

実は、20歳の最終月である1月頭に愛知から上京してきました!
会社が東京に拠点を移すことになり、フルコミメンバー5人ではるばるお引っ越しです!

約2年前、社長からのTwitterのDMがキッカケでインターンとしてジョインしました。そして昨年の3月に一度インターンを卒業しているんです。
本当は休むという形を取っていましたが、表上はインターン卒業。

そうです、上記で述べたとおり、自分の事業を伸ばすぞ!と息巻いて愛知の仕事を全部やめ、色々あって葉山に4月から2ヶ月間隠居していたからです。

なんだかんだ、心の中ではうっすら気づいていたと思います。
起業して自分の事業をやるんじゃなくて、この会社に戻りたいことを。
でも、周りの期待ばかり意識して自分の心に嘘をつくことの方が簡単でした。

卒業前に合宿があって、この会社とこのメンバーと離れるなんてできないと、1週間弱の合宿中ずーっと心の中で思っていました。
でも周りの期待や声を聞きすぎて、『休み』扱いにしてもらい、「とりあえず何もしないで休んでこい」っていう社長の言葉を信じて葉山で引きこもりました。

そこでのことはこのnoteに書いたのでお時間あれば読んでみてください^^

そして、休み期間を経て社長と改めて話して、快く戻ってきていいよと言ってくれました。
本当に自分勝手だった私を、こうして迎え入れてくれる創業メンバーには本当に感謝しかありません。

大好きな会社と仲間に出会って、20代前半かけてでも働きたいと思えるところがあるのはラッキーなことだと思います。

そして、大学復学を延長してでも東京に来ると覚悟を決めたからこそ、本気でやろうと改めて年末に心を決めました。

10月ぐらいからはピポットをしてこの事業で行こう!とメンバーで一丸となって進み始めました。もともと運営していた、子育て医療アプリ『あんよ』の運営は続けながらも、小児特化のオンライン診療『あんよonline』を新たに初め、その中でも私はtoCマーケティンの仕事をしています。

日々、課題とやることはたくさんありますが、このなんとも言えない、一番面白い時期のスタートアップで仕事をすることができて楽しい日々を過ごしています。
これから数年は東京でこの会社とともに私も成長してきます。



改めて振り返ると、私って本当に周りの人に恵まれているなぁと思います。
仲間でいてくれる人たちがいて、時に厳しいことを言ってくれて、でも愛を持って接してくれる。
私はこの仲間と居場所がある限りずっと幸せでい続けられる気がします。

20歳という数字とともにこの一年生きてきましたが、MAKERSでもAWARDでも仕事でも、もうハタチというものはただの数字でした。

MAKERSでは誰も年齢なんて気にしてない。
AWARDでは16歳から50歳以上の人までが本気で同じものを作ろうと奔走している。
仕事でもハタチだからなんだ、若いからなんだってことです。若いことが武器になることもあるけど、それにあぐらをかいてはいけない。

年齢なんて本当にただの数字でしかありません。


今日で21歳になりましたが、そこまで大きな変化はなく、ただ自分の夢を叶えるために奔走する日々を過ごします。

そしてこの一年、たくさんの人に『愛』をもらってきました。
その人たちの愛があるからこそ今こうして私は幸せです。

だから今年一年は私が今までもらった愛以上に大切な人たちを愛したい。

大切な人たちと深く濃い一年を過ごしてきたからこそ、助けて応援してくれる仲間のような、そして家族のような存在ができました。
だから、今年はより一層、大切な人を大切にして生きていきます。


長くなりましたが、年を一つ重ねた私も、よろしくお願いします!


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