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2022年を改めて振り返る

はじめまして、愛知県で元気よく生活している高校2年生の加藤乃亜です!

noteは大学生になったら始めようかなと思っていたのですが、あんぴこから"一緒に2022年振り返りをnoteに書こうよ"と誘われ、計画よりも早く始めることにしてみました!

2023年も始まってもう7日も経過したんですね、、、早いな、
17年間生きてきて、一番感情の起伏が激しかった2022年を改めて振り返ってみたいと思います。
長くなると思いますが、お時間あるときに読んでモチベーションにして頂けたらなと思います! (多分なりませんが、、、)


はじめに

私の原点は小学6年生です。
目立ちたがり屋さんな私は小学校生徒の中で1番位の高い"児童会会長"というものに立候補し、選挙で選ばれ就任した。

せっかく選ばれたからには、何か大きなアクションを起こそうと思った私は色々な活動を考えた。
その中の1つの活動が名古屋市教育委員会に認められ表彰を受けた。
小学校の先生曰く、私が考えた活動は今も受け継いでいるそう。

ここから私は教育というものに興味を持ち始め、沢山の活動を行ってきた。

これが全ての始まり、そしてこの後に続く文章はそんな私が送った2022年という素敵な一年の要約です。


2022年1月、16歳という若さにして金山駅で自殺を試みる

家に帰ればまた地獄の生活が待っている、帰りたくない、これ以上苦しみたくない、早く楽になりたい、中学1年生の頃から3年間ただそんなことしか思わなかった。

-列車が近づく音がする、目の前の線路に降りて自分の16年間の人生に終止符を打とう-

体をホームから出しかけたとき、後ろにいた中年の女性に腕を掴まれホームに引き戻された。
その女性は私に「早まらないで、大丈夫?」と涙ながらに聞いてきた、同時に私も涙が止まらなくなった。
私はただ誰かに寄り添ってもらいたかっただけなのかもしれない。
なんとか立ち直り、元の自分に戻ったのはそれから二か月後だった。



2022年2月、人生で初めての病気に

疲労とストレスから少し病気がちに、、
週一で通院の生活
何日かまるっと休息を取ったおかげで2ヶ月半という短期間で無事完治。
病院の方からはしっかりと睡眠を取り、ストレスを溜めないようにたまにはリラックスすることも心がけましょうと指摘、
ただこの病気、厄介なもので再発する恐れがあるらしい。
少しは自分の体調とも相談することを決意



2022年3月、人生が大きく変わる

元々、キャリア教育に興味のあった私は先輩に誘われThinkyo愛知という学生団体の

「どうする、教育。どうなる、教育。」

というイベントに参加した。

-私もこの団体に所属してもっと教育について語りたい-

そんな軽い気持ちで稲垣杏梨(あんぴこ)と一緒にThinkyo愛知を代表として引き継ぐことに、、、



2022年4月~7月、挫折を沢山味わう

・Thinkyo愛知のmtgのブレストでは先輩が4発言して自分がやっと1発言できるぐらいの能力
・3G-Projectの面接は落ちる
・学校内の成績は下降気味
・英検は一向に受からない

悲惨な現実を突きつけられたようなそんな気がしてならなかった、だが諦めたくはなかったからただひたすらに手探りの日々を送っていった。

7月には、眼球に鉄が刺さり摘出手術。
麻酔はしてもらったけど、流石に怖かった笑

4月:ユニバ&大阪観光
7月:東京ディズニーシー

4月:初代愛でる会inユニバ🌏



2022年8月、最高の出会い

8月19日、Thinkyo愛知の元副代表・現プロデューサーであるそうた先輩に誘われ東海学生AWARD座談会に参加した。
そこで私は東海学生AWARD5期副実行委員長である青山佳菜さんという素敵な方に出会った。

座談会が終わった後、佳菜さんとは別日にzoomにて、自分の中にある暗い部分を聞いてもらった。
当時の私はまだ人間不信のまま、それなのになぜか佳菜さんだけには謎の安心感があった、言葉では表せないけど何か感じるものが佳菜さんにはあった。

そんな素敵な出会いをした数日後、Thinkyo愛知に所属してから初めてのイベント

"オープンキャンパス-with U with me-"

を開催した。
初めてのイベント運営、手こずってばかりだったけど、とても楽しくできた。

・ユニバ&兵庫観光
・ユニバ&大阪観光

東海学生AWARD座談会🗣
オープンキャンパス-with U with me-📚✍🏻


2022年9月、年齢も変わり生活も変わり始める

9月1日、無事に17歳になった。
俗にいう"華のセブンティーン"だ。

Thinkyo愛知にも大きな動きがあった、8月にオンラインで開催したイベントに参加していた高校一年生の3人が新たにメンバーとして加入することが決まった。

東海学生AWARDの申し込みを終え、残りの時間は文化祭実行委員として文化祭で披露する和太鼓の練習に没頭していた。
文化祭実行委員も決して楽なものではなかった。実行委員は各クラス2人が努めるものとなっている、私は稲垣杏梨(あんぴこ)と2人で取り組んだ。
当日の衣装はどうするか、どうやってみんなのやる気を引き出すか、練習のスケジュールどうするか、大変なことだらけでたくさんの汗を流した。

・京都観光&ユニバ
・東京ディズニーシー&ランド

太鼓の練習中に1枚📸
ミニーちゃんにお誕生日お祝いしてもらった🎂



2022年10月、忘れられない怒涛の一か月

10月1日、2日の二日間で東海学生AWARDのキックオフ合宿が美浜で行われた。

合宿場所に到着して、実行委員長の挨拶や、オーガナイザーの方の話などが始まった。
そして、プレゼンターによるファーストプレゼンが始まった。
あまりの人数の多さに愕然としていたが、そんな気持ちを誰かに共有する間もなくプレゼンが行われていく。
みんなレベルが高すぎる、あんな堂々とプレゼンできる自信なんて持ち合わせてない、不安だけが募っていき自分の番になってしまった。
今でもしっかりと覚えている、震えた声、マイクを持っている手の震え、安定しないほどの震えた足。

プレゼンを終えてからはたくさんの人と交流し、インスタを交換したり楽しい時間を過ごした。
前日まで旅行に行っていたこともあり、早めに就寝してしまったのが今になっては後悔。

二日目は、ゼミの発表が行われた。
一向に呼ばれない自分の名前に私は
-「え、私って5期プレゼンターでいいんだよね?」
-「そうだよ」
と自問自答を繰り返していた。
呼ばれたのは最後のゼミ、その名も"中村ゼミ"だった。

-え、私のプロジェクトってわくわくするの?-

心配でしかなかった、これからどんなことが起きるんだろう、、、不安と心配は拭えないままキックオフ合宿は幕を閉じた。
そのあと、一部のプレゼンターで夜ご飯を食べに行った、とても楽しかった。

数日後、文化祭本番を迎えた。
結果は…大成功!!
二曲ともセンターを努めさせてもらい、とても楽しく終えることが出来ました。

文化祭から一週間後、咳が止まらない、頭がくらくらする、しんどい、39.7度の高熱、脈拍128、

-新型コロナウイルスに感染-

最初のBU会には参加できなかった、他のプレゼンターよりも出遅れたことが悔しくてしょうがなかった。

なんとか回復して、オンラインBU会に参加した。
このBU会では元々構想していた"精神疾患患者を支える人の支援"というプロジェクトから"学生の海外留学を支援"というものに変わった。
そんな私を支えてくれたのは、三塩さん。
このオンラインBU会の翌日zoomで一時間ほど相談に乗ってもらい、なんとか自分のプロジェクトの骨組みを完成させた。

そのまた一週間後の対面でのBU会の翌日のこと、過労でフィールドワーク先の母校で意識を失ってしまった。

意識が戻った時には救急車の中にいた、救急隊の方からは何度も「聞こえますか?」と言われていたが、まだ完全に目を覚ました訳では無い私はよく分からない言葉を呟いていたそう。

フィールドワークに同行してくれた地元の親友から聞く話では、くるくるまわって道路に倒れ泡を吹いて痙攣を起こしていたとのこと。
母からは「自分の限界も知らないくせに何でも取り組むんじゃない」と叱責を受けた。

合宿場所から見えた綺麗な景色🏖
文化祭当日〜奏響和雅〜🥁



2022年11月、人生最大の転機を迎える

私のバディである細川さんはかなり忙しいにも関わらず、何度も相談に乗ってくれていた。
だが、そんな細川さんは途中で中村ゼミからいなくなってしまった。
それでも何とか、プロジェクトシートを書き上げ提出した。

結果は、ワイルドカードだった。
悔しかったけどまだファイナリストになれるチャンスはあるからめげずに頑張ろうと杏梨と約束をした。

11月10日のBU会のことだった、実際に1分プレゼンをすることになったが自分が想像しているよりも酷いプレゼンだった。
毛受さんがおっしゃっていた
"中身が知りたくなるようなプレゼン"
そんなものができただろうか
他のプレゼンターも納得のいっていない雰囲気だった。
私は1分で自分の思いを伝えることが出来ない、もうしんどい、辞めたい

本気でアワードを辞めることを考え始めた。

バディがいない私にとって杏梨はとても羨ましかった。
だからこそ、杏梨との距離がなぜか離れてしまったようなこともあった、友達との距離もできてしまうならもう辞めたい

だが、中村ゼミに嬉しいお知らせが届いた。
それは、5期実行委員長である鈴木友喬くんが中村ゼミに加わるということだった。
バディがいなくなってしまい、途方に暮れていた私は少し安心したがアワードを辞めようという意思は変わらないままだった。
次回のBU会で辞めたいという意思を伝えようとしていたが、事態は急変した。

それは、夜のBU会だった。
私は学校がテストということもあって参加するつもりは全くなかったが、友喬くんから夜のBU会に参加しないかという連絡が来た。
流石に、実行委員長に辞めますなんて言えないしな、断りづらいな、次の日テストだし、かなり考えた結果1時間だけ参加することにした。

そのBU会を終えた頃には、アワードを辞めるという意思が消えていた、これがなければ私は間違いなく辞めていたと思う。
だから、夜のBU会というものを考えてくださった方、忙しい時間を削ってまで考えてくれた友喬くんには本当に感謝しかありません。

そうこうしているうちに、学校のテストも赤点回避でなんとか終え、気づいたらもうアワード直前合宿の日になっていました。

合宿場所に着いてすぐリハーサルが始まり、プレゼンをすることになった。
関所などで沢山のフィードバックを頂き、夜のリハーサルに向けてプロジェクトをブラッシュアップ。

夜のリハーサルでは納得のいくプレゼンをすることが出来なかった、これは寝れない、、、
ここからが勝負の時間、狂ったようにパソコンとスマホのブルーライトを浴び、眠い目をこすりながら自分のプロジェクトと向き合う。
気づいたら朝5時、大変だ自分のプロジェクトが分からなくなってきたどうしよう。
そんな私に救世主が現れた、佳菜さんとがんちゃんだった。
二人ともまるで自分たちのプロジェクトのように必死に考えて下さり、朝6時25分なんとかプロジェクトが纏まった。
だが、1分プレゼンの練習をしていない。
出発直前まで友喬くんにプレゼンの練習に付き合ってもらいなんとか完成。

会場の愛知学院大学アガルスホールに到着してすぐリハーサルが行われた、そこで緊急事態が発生する。
それは緊張で言葉が出てこず、時間内に全てをプレゼンできなかったということだ。
本番前最後のリハーサルでは終了の合図と同時に終わるという余裕のない状況だった、お昼ご飯を食べずに取り敢えず練習に没頭した。

そしていよいよ本番、ただならぬ緊張、数えきれないほどのオーディエンスの数、自分の番だ、もうどうにでもなれ、当たって砕けろだ、ステージに立った時にはもう緊張はなかった。
結果は、ワイルドカードからファイナリストには勝ち上がれなかった。
すごく悔しくて涙が出た、一緒になって支え合ってきた杏梨は私の何倍も泣いていた。
杏梨は人前ではあまり涙を流さないからこそ感じるものがあった。

だがそんな私に声をかけて下さった方がいた、名刺を頂き「連絡してきてね」と言われた。
これが今年一番うれしかったことかもしれない。

どんな時も切磋琢磨して支え合ってきたプレゼンターのことが私は本当に大好きです。
悔しさと、嬉しさ、達成感、仲間がいる素晴らしさ、アワードからはたくさんのことを学ばさせてもらいました。
この東海学生AWARDという界隈に飛び出したことは何を隠そう、私の人生の中で大きな経験の一つ。

私はアワードが終わった翌日に早速、声を掛けてくださった方にメールを送信した。
何度かやり取りをしていく中で実際に会って打合せをしようということになった。

東海学生AWARD5期メンバー🫶🏻
中村ゼミ-わくわく調査兵団-💫
稲垣杏梨誕生日ユニバ🌎




2022年12月、得てさようなら

その打合せが始まった。
一人ではあまりにも不安過ぎたので友喬くんにも付いてきてもらうことに、本当に感謝しかないです。
なんとか打合せを終え、自分のプロジェクトを実現化することが決まった。

その二日後、アワードで出会った河合さんからお誘いして頂いたイベントに参加することに、そこでは3分のピッチがあり自分のプロジェクトについてプレゼンをして沢山の方からフィードバックを頂いた。
もうプレゼンをすることに緊張はしなくなっていた、なぜなら自分のプロジェクトに自信が持てるようになったからだと思う。

そしてそのまた二日後、アフターアワードが開催された。
そこではワイルドカードのプレゼンターは6分プレゼンに挑戦できるというコンテンツがあり、私は挑戦してみた。
本番より規模は小さかったが、今まで関わってきた沢山の仲間に自分のプロジェクトの中身を聞いてもらえることがとても嬉しくて楽しくプレゼンすることが出来た。

その後の懇親会では、沢山の方と交流し自分のプロジェクトの名前を考えてもらった。
そのおかげで"Shinearthes"という素敵な名前に決定した。
ちなみに名付け親はひなたくんです!たくさんの要望をしたにもかかわらず、素敵な名前にして下さったひなたくんには感謝です。
そして東海学生AWARD5期のプログラムは全て終了。

気づけば、いつの間にか人を信じることが出来るようになっていた。
そんな風に私を変えてくださったアワードのコミュニティには感謝してもしきれません。

アワードの存在を教えて下さった創太先輩
アワードに参加するか迷っていた私の背中を押して下さった佳菜さん
本気でアワードを辞めそうになったときに救ってくれた友喬くん
出会ってまだ1年9か月しか経過していないのにどんな時も支えてくれて、時にはお互いのプロジェクトについて本気でフィードバックしたりして、笑い合って泣き合った親友の杏梨
本当にありがとうございます、そして心の底から大好きです。
そして何より、私に生きる意味を教えて下さったアワード界隈の人たちには「ありがとうございます」という言葉だけで片付けていいのかと思うくらいに感謝しています。


12月31日、そんな素敵な2022年ともさようなら。
地元の友達とインスタライブをしながら年越し!
(これは毎年恒例なんです)

アフターアワードでプレゼン👍🏻
懇親会での1枚📸



2022年取り組んだこと

・探究Day0期実行委員
・さくっとオンライン 参加
・高フェス募金活動
・Thinkyo愛知主催"どうする、教育。どうなる、教育" 参加
・スリランカオンライン研修 参加
・東洋大学主催"ウクライナについて大学生と学ぼう" 参加
・Thinkyo愛知 代表
・文化祭実行委員
・ウガンダの生徒とmtg
・東海学生AWARD座談会 参加
・タイの生徒とmtg
・Thinkyo愛知主催"オープンキャンパス-with U with me-" 運営
・探究Day1期実行委員
・東海学生AWARD5期プレゼンター
・立命館宇治高等学校主催"FOCUS 2022" 参加
・国際協力カレッジ"キャリアteens"として登壇
・トビタテ留学JAPAN×One Young World主催コーヒーチャット 参加
・株式会社UNERI主催"DONUTS"3分ピッチ 参加
・ICU(国際基督教大学)主催Global Forum Challenge 2022 winter  参加
・留学支援プロジェクト"Shinearthes" 考案



まとめ

2022年は本当に沢山の人と出会い、沢山の場所を訪れ充実した1年だったと思います。

汗と涙を流して見つけた自分の真ん中、アワードで見つけた自分の青い炎を絶対に鎮火させないように毎日少しずつでいいから薪を投げて永遠に燃やし続けようと思います。ですが、私が持ってる薪だけでは永遠に炎を灯し続けることは不可能です、なのでみなさんの持ってる薪を私の炎に投げてください。よろしくお願いします。

周りの友人や家族からは、
"こんな活動をしてるより勉強した方がいいんじゃない?"
とよく言われますが、私はこのような活動も「社会を知る」という観点からしたら1つの勉強なのではないかと思います。
将来の夢も、やりたいことも特になかった私がこの東海学生AWARDを通して"学生起業"という新たな言葉に出会い、高校卒業してからどう生きていくのか少し見えたような気がしました。

"高校生には早いのではなく、高校生だからやる。"

今年はもう既に2個ほど大きなイベントの運営が決まっていたり、なにより受験生になるので気を引き締めて生きていこうと思います!

そして、自分の一番大切なShinearthesもぜひよろしくお願いします。

何卒、2023年もよろしくお願いします。

おまけ👍🏻💕

みなさんにとって飛躍の一年になりますように🐰

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