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人と話してわかること

私の親はとても放任主義だった。

親に気持ちをぶつけたことがない。ぶつけたとしても、それが返ってきたことなどない。

常に空振りして、つんのめるように前に倒れるさまを、親は笑ってみているような気がしていた。

それがひどく悲しくて、親に気持ちをぶつけることは早々に辞めてしまった。

先日、親が過干渉な人と初めて話をした。

「誰のおかげで学校行けていると思ってるんだ」
「誰の金で生活してると思っているんだ、嫌なら出ていけ」

そういわれたことが、何度もあるのだといった。

私は過干渉な親を持った人に出会ったことが無かったのだと、その時初めて思った。

みんな、なんだかんだ仲が良かった。

どこかに連れて行ってもらったり、遊びに言ったり、私にはうらやましいことばかりだった。

その人は「ファミコンはおろか、ディズニーランドだって連れて行ってもらったことがない」と言った。

私は一度だけ行った気がする。遠すぎてもう覚えていない。

「そりゃあもう、荒れましたよ。もう」
「そんな暇があるなら勉強しろ!って、何度も怒鳴られたけど、俺は勉強にどうしても興味が持てなかった」

その人はそう言って笑った。とにかくグレていた時期があったんだという。

何かを抑圧されたら、その威力ってどこかに爆発的に出るのかな、なんて思った。

でもその人は、今では親に感謝できるのだといった。

「確かに親の金で学校に行かせてもらえてたのは本当なんで」と笑った。

驚いてしまった。

私も親の金で高校を卒業した。

でも、そんなこと思ってもみなかった。

だって、親が子を育ているのは当たり前だと思っていたから。
私もそうする。
私が産むと決めたのだから、私がその子にしてやれることをするのは、当たり前だったからだ。

帰り道に(親が自分で産むって決めたんだから、子を育てる、そのためのお金を出すのは当たり前なのでは)と思った。

だって子供が産んでくれって頼んだわけじゃないじゃない。

でも、子供が頼んでいないとしても、

「まともに産み、育ててくれた」ということ、

そして「育ててくれた」と思える子が今いるということ、どちらにも価値があることのように思えた。

私は「すごいですね」と驚いた。
「私は、いまだにそんな風に思えないです」と、消え入りそうな声でうつむいた。

それなら私はどうなるだろう、ずいぶん恵まれた環境にいるのに、こうしていまだに「愛情」ばかりを欲しがっている。

「もらえなかったあの頃の私」が飢えた顔をしてこちらを見ている。

その人はしょんぼりした私に笑って「大丈夫ですよ、まだその時が来ていないだけ。俺と、順番がきっと逆なだけです」と言ってくれた。

その人は、この30年間、親とぶつかってぶつかって、ようやく結婚して親と離れて、初めてそう思えたのだといった。

「そうでしょうか」と私は力なくうつむいた。

でも、思ってみれば、私がグレずに今まで真っすぐ生きてきたのも、たぶん、親の放任があったからなんだろうなと思った。

良くも悪くも抑圧されなかったからこそ、こうして真っすぐ育ったのだろうと思う。

多分だけど抑圧されていたらグレていた自信がある。
これだけ自己肯定感のない人間が、どういう末路を辿るかなんて、人間関係次第ではいくらでもどうにかなっただろう。

それでも私は、ほんのちょこっとの自尊心と、持って生まれた真面目さで、何とかグレずに、精神的に病んだ時も自分で持ち直して、また新しい職場で働き始めることができたのだろう。

思い返してみれば、私が精神を病んだ最初の一度だけ、母が心療内科についてきてくれたことがあった。
それもまた、きっと母の愛だったのかもしれない。

私は自分に自己肯定感はないけれど、自尊心は手折られずに、今、ここまで来たんだなと思った。

親になってわかることは、親が子供を傷つけることは恐ろしく簡単だということ。
そう思えば、私はきっと軽傷なのだろう。
手当をしなかったから、いま膿んでしまっている感じだと思う。手当ては、自分でもできたのに、私も親も放っておいたから、こうなっていると言える。

私もいつか、もう少し親に「感謝」できる日が来るといいなと思う。

当たり前だと思っていたものを、愛情として受け取りたいと思う。

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