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器は友だち

日々の暮らしの中で、食は誰にとっても切り離せないことです。比重は個人差がありますから、衣食住のことだけ考えても様々だと察します。


我が家は父も母も私も、食べるのが好きです。そして、器が好きです。とくに入院中の父から器の影響を受け、この10年ほど、自ら買い求めてきました。10年と言ってもけっしてそれほどたくさんではありません。私もいろいろと事情がありましたから。


皆さんご存知のとおり、私は障害がありますので、経済的に裕福なわけではなく、限られた中、毎月いただいたお給料で楽しみに器を選びに行ってました。


昨年noteの中でも記事にしましたが、私が器を買い求めるのは、今現在の楽しみだけでなく、人生100年時代に向かって何を準備したらいいか、それが器の存在だったのです。


最近は器のお買い物が落ち着いて、あるものを大切に使うことを純粋に楽しんでいます。私の記事に時々器の写真とどこの焼物か明記してありますが、使ってる私としては、こんな素晴らしい日本の民藝の手仕事の存在を、たくさんの方に知っていただきたいという気持ちでいっぱいです。ただそれだけの思いです。


私には表現しきれませんが、陶工さんが作った器がどれだけ食を豊かなものにしてくれるか、楽しい時間をもたらしてくれるのか、それは手仕事ゆえの温かさが伝わってくるからです。


おやつ食べるだけでも、どれにしようかなとお皿に盛るのに、選ぶ楽しみがあります。使う喜びがあります。お茶やコーヒーをいただく時間、そう、時間を豊かにしてくれるのです。


とくに今の時代、家での食事に重きを置いていますのでなおさらです。


器を一枚購入したら、長い長い時間をかけてその器に馴染んで親しんでいく時を過ごします。それがいいのです。料理する身としては、どれだけの活用の幅が広いのかは料理の腕次第、器次第というところです。なかなか、レパートリーが増えないのが現実ですけど。


そんな趣きで器たちと接しています。これは、人生の喜びです。少なくとも、私にとっては。

砥部焼中田窯マグカップ刷毛目


それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。


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