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“私は難民なんだ”この言葉で胸をえぐられる感情の正体は何か?


リトアニア留学開始して5ヶ月が経ち
実務経験の蓄積&修士論文のリサーチを兼ねて
Refugee council of Lithuania(以下: RCL) という難民支援のNGOでインターンを始めている。

RCLは、主にリトアニア国内にいる難民の方々に対して、起業家支援やサイバーセキュリティ教育などのプログラムを提供しており、ビジネス色が強い。

私は、イベントの企画や民間企業とのパートナーシップ、クラウドファンディングを担当している。

この団体は、他の難民支援のNGOと一線を画す
大きな特徴がある。

それは、職員の多くが難民の背景を
持っていることだ。

フルタイム、パートタイムの職員は
アフガニスタン、ロシア、ウクライナ、
ベラルーシ出身など。

リトアニアのローカルNGOなのに
リトアニア人スタッフは1人のみ。

当事者の背景を待っている彼らが
発する言葉に度々ハッとさせられる。

普段一緒に実務をしているとき、
たわいもない話をしているときは、
他の友人達と変わらない感覚だ。

しかし、ふとした瞬間、彼らが
“I’m refugee”
としてのコメントをするときがある。

難民としてリトアニアに避難した経験を
垣間見る瞬間に遭遇する。

このとき、自分の心の根幹が揺さぶられる、
えぐり取られるような感覚
に陥る。

なぜか。

人間は、心理的、物理的な安全性や自尊心を
土台として構成されている。

紛争、政治的、ジェンダーなどの理由で
強制移住を強いられる人々は、
この人間としてのコアな部分が
一度崩壊することを意味する。

ふとした瞬間に同僚の言葉がキッカケで
彼らがリトアニアに来るまでの経緯や
もし母国に帰ったらどうなるのかを想像する。

もしも帰国したらどうなるかは、
日本人には想像し難い。

クラスメイトのベラルーシ人は、帰国したら
即刑務所で拷問されると言っていた。

目の前にいる友人、同僚、上司が
直面してた言葉に想像力を働かせることで
自分の心に得体の知れない何かに
ブッ刺さる。

目に見ない何かは、私の心を締め付ける。

「痛み」の感情の反応の正体は、
「この感性を忘れるな」という
人間の本能としてのサインなんだと考えた。

何かに忙殺されると、この感情変化に対して
鈍感になりやすい。

実際にリトアニア留学するまでの2年ほどは
この感性が希薄になっていた。

どんなに想像力が豊かで
難民問題に関する実務経験や知識が豊富でも
強制移住を経験した人に本当に意味で共感したり、
理解することは、絶対出来ない。

なぜなら、経験していないからだ。

自分ができること・大事にすべきことは
目の前の人間の境遇を想像し
何かしらの感情の反応に向き合い
相手の豊かなな未来を願い・想いを馳せることだ。

End———

:インターン先の団体がUNHCR(難民支援専門の国連機関)のパートナーNGOとして
下記に取り上げられています。
よろしければご覧ください。

:参考記事
この感情の反応を通じて、改めてへむりさんの記事を読み返した

:とは言え、ずっと痛みの感情ばかりに正面からぶつかるとメンタルヘルスの観点から危険。
そんなときこそリフレーミングが大事。


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