見出し画像

「避難することの重み」を僕らは想像できるのか

イスラエルが地上侵攻のために、避難を呼びかけています。

だけど、住み続けてきた場所から「二度と戻れないかもしれない」と思いながら避難をすることは簡単ではありません。

僕は、シリアから難民として逃れた人たちから話を聞いてきました。
その中で、こう話す人がいました。

「僕らが住んできた場所には、家がある。土地がある。
 親戚や友人達がいる。
 仕事もある。学歴も、積み重ねてきたキャリアもある。
 そこには全てがあったんだ。

 だけど、もし、僕らがここを離れたら、
 二度と帰って来れるかわからない。
 全てを失うことになるんだ。
 積み重ねてきた、全てを。

「それでも、出ないと危険だと思ったから」と、死ぬかもしれない大きなリスクを持って、彼は他の国に逃れました。

トルコの港町イズミールで売られた救命具。ここからギリシャ〜欧州を目指す(2016年)


「難民の人の気持ちに、なれるはずがない」

5年ほど前。とあるシリア難民支援を行なうNGOが実施した日本でのイベントに参加した時のことです。
スタッフの方々と打ち上げに行った際に、「気になったこととかあったら教えて」と言われたので、

「もっと難民の人たちの状況を想像できるような話があるといいかなと思いました」

と、言ったところ、現地の最前線で活動されている方から

「僕らは難民の人たちの気持ちにはなれないんだよ」

という返事がきました。驚いたのですが、「確かに…」と思いました。
スウェーデンで難民申請をしているシリア人の方と話していた時に、

「僕はね、シリアでは難民支援の仕事をしていたんだ。
 で、難民の人たちに気持ちが分かるようになった、と思ってた。
 けど、自分が難民って立場になって、
 僕は何も分かってなかったんだって気付いたよ」

シリアはパレスチナ難民など、難民を受け入れていた国でした

と言っていたからです。

ただ「同じ気持ちになれない」ながらも、「避難する」ことの重みを、ほんのっちょっとでも、想像することはできるかもしれない、と思い、文章を書きました。

「避難できる」は救いにならない、というと言い過ぎですが、少なくとも「危害を加えない」という言葉は明らかに間違っています。


ギリシャのレスボス島。救命具や壊れたボートが残る(2016年)


先週、イスラエルはシリアのダマスカス・アレッポに攻撃しましたが、これは今に始まったことではありません(記事)。

今年2月に起きた震災後も、3度シリアにミサイル攻撃を実施しています(記事)。
何より、イスラエルは国際法違反をし続けており(外務省HP)、パレスチナの人を苦しめてきました。

ハマスのテロ行為に関しては全く賛同できません。
しかし、イスラエルが今やっている軍事侵攻だけでなく、今までやってきた罪が裁かれないのはおかしい、と心から思います。


【緊急開催】中東で何が起きてる?揺れ動くパレスチナ情勢が変えるシリアのこれから

この緊迫するパレスチナ情勢を受けて、シリアはどうなるのでしょうか。

世界の出来事が私たちの日常に影響を与える今、こうした中東情勢も、決して無縁ではいられません。

そこで、下記イベントを企画しました。
ご参加、お待ちしております。

【日時】10/18(水)20:30〜22:00
【申込】https://syrianow.peatix.com/


読んでいる方が「面白い!」と思ってもらえるような形で、私たち国際協力夫婦らしい形でサポートを使わせて頂きます。めぐりめぐって、きっと世界がHappyになるような形になるように!