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10年間、戦闘民族と誕生日を過ごしています

Q.
みなさんは家族以外の同じ人と誕生日を10年以上
過ごしたことがありますか?

A.私はあります!!!!!


今日はべジータとひろゆきを
混ぜ合わせたような幼馴染の
話をしていきます。
(幼稚園や小学校でハッピーバースデーって言い合うのも
含めると余裕で15年以上だと思います)

幼稚園から一緒にいる「幼馴染のうーちゃん」と私は
毎年お互いの誕生日を祝い合っている。
毎年お互いの誕生日の約一ヶ月前に
「今年はどうするよ……?」手練れのスナイパーのごとく
軽やかに要件を聞き、
お互いの誕生日は絶対に他人の予定を入れないようにする
(誕生日が平日でどうしてもダメなら
土曜に持って行ったりはする)
これは昔からの暗黙の了解で、
私たちは二人きりで会い、二人で解散する。
これを私たちは出会った園児の頃から続けているらしい
(正直もう記憶がない年もあるのだけれど、
その年にあげたと思わしいアクセサリーとか
彼女がつけてくるから必死に忘れていないふりをする…
たまにこれっていつのでしょう!?とか
クイズ出されるのは心臓によろしくない……
これは自分で買ったやつでした〜笑
とか引っかけ問題もよろしくないっ!)

うーちゃんは毎年私の誕生日になった瞬間に
連絡をしてくる。
そのため私も0時までは絶対に
寝てはならないという
謎の緊張感がある。
私は記念日とかイベントごとに
慣れておらず、なかなか疎い。
誕生日おめでとうメールを絶対に
忘れないうーちゃんは毎年すごいマメで
すごいな……少しは忘れてくれてもいいのに…
そしたら私が忘れたときも少し気楽になるのになぁ…と思っている。

ぶっちゃけ私はうーちゃん以外から
お誕生日おめでとうとか一切、言われない。
Twitterとかでも
「今日誕生日なんです!風船飛びました〜!」
とか呟いても、「誰か反応してくれっっ!!!」
って気が気でなくなってしまうのが
目に見えているので、そんな
精神的疲労を自分から進んでやりたいとも思わないので
そもそもそんな呟きはしない。
(…いや、しかしね。
このエッセイは書けば書くほど、
私の残念さが露呈していくな…)

だけど、うーちゃんは
いろんな人からおめでとうと言われ、
もらったプレゼントを嬉しそうに
写真を撮っている。
毎年その姿をみるたび私以外が存在することが
当たり前だということを痛感する。
彼女にとってはそれが当たり前だ。
私の前で他の子から貰ったプレゼントの
話をされると、
私のプレゼントよりもなんか嬉しそうだなぁ…ジトォ…
と思ってしまう。
なんて小さくて青くてめんどくさいんだ自分は…と
思いながらも、
「何貰ったのぉ〜?」とついつい聞いてしまう。
そして、案の定
何より私の方がいいものを沢山あげてるのに……ジトジトォ…
思ってもしまうんだよね。
その姿やベトベトンの如し……ニチャァァァァ

この時点で「あげてあげてる」って感じなのは
お察しで、そんな風にプレゼントを送り合うなんて……
と思う方もいるかもしれませんが、
まぁこんなもんでしょう…



…幼馴染に幻想を抱くな!!!!!喝っ!!



と言っても、重いやつではなく
「テヤンデイッ!」と江戸っ子的な感情です。
自分でもよくわかりませんね。

こんなの書いて性格悪い、僻みの精神を出しすぎて
しまったのでは!?と焦って今、自分の
書いた文をフォローしています。

私たちは、あまりに長く一緒にいるので、
これ以上近づくとお互い
軽く火傷するなというのがわかるように
なりました。
どんな正論であれど、これ以上話すと相手が不機嫌になるなと
わかるならそれは言わない!
それが長続きのコツなのかもしれないと思います。

これをお互い使いこなせるようになるまでは
お互いカチンとなることもあったけど、
今はほとんどない。
お互いカチンとくると空気感で何となくわかるしね。



私は、どんな友達とも喧嘩しないのが
一番だと思うから、
うーちゃんがドギツい性格で
好戦的な戦闘民族だったらここまでずっと一緒に
これなかったなぁと思う……

ってしんみりと感動的なこと言おうとしたけど、
思い出した……


彼女私以外に対しては
バチバチに戦闘民族だったな…と。


ドラゴンボール 鳥山明


私が知ってて覚えてるだけども幼稚園、学校で
うーちゃんは必ずと言っていいほど、
ガキ大将的な人とバトルしてたし、
口論でその人たちに必ず勝っていたんですよね……
その時のオーラはまさにベジータの如し。

ドラゴンボール 鳥山明

これうーちゃんに言ったら、怒られたんだけど
当時の口論でのうーちゃんの知識量と、
頭の回転はまるで「ひろゆき」そのものだったんだよね。

いつも私は優しいうーちゃんしか知らなかったし、
私はうーちゃんが喧嘩をしてるところを近くでは
1度も見た事がない…と思う。
忘れてるだけなのかもしれないんだけど、
いつも遠くとか、友達づてとか、本人から聞いて
後から知ることが大半だった。
色んな人からの話とか、遠巻きで見た
ガキ大将相手に突然理詰めして論破してくる、うーちゃんは
もう私の中では西村博之でしかなかったんよね……

ベジータのオーラを纏い、
ひろゆきのような頭の回転速度を持つ
彼女は強すぎた。

今はだいぶ丸くなったけど、
私の知らないベジータな面もまだあるのかな?


私は誰かと揉めるくらいなら、
自分の意見は譲ってしまうし、
こだわりはない方思っていたんだけど、
うーちゃん曰く「りねんさんに限ってそれはない!」と断言されてしまった。
(私はうーちゃんと呼ぶのですが、
うーちゃんは私のことをりねんさんと呼びます。
ちなみに
小学生の頃に呼び捨てをし合おう!と決めたけど、
違和感が凄すぎて即やめました)
今回の即答具合から
色々と彼女にも我慢させてるやつだなこれ……と
確信しました。



大人になって、周りを見てみると
今でも幼稚園生の頃からの
幼馴染と一緒にいるというのは
かなり稀らしく、
うーちゃんとのことを周りに話すと
大抵驚かれる。
お互いが不快にならない程度の
適度な距離をわかるようになったのが
でかいなってのはある。
私はどんなに仲のいい人でも、
一人の時間がないと嫌になってしまう
めんどくさい性質を持っている。
そんな自分の横にいる
うーちゃんも
女子特有の連れション文化(尿をするわけでもないのに、
離れたくないからという理由でトイレまでついてくるやつね)
とかも何でするのかよくわからないって感じの彼女だから
一緒にいて疲れにくいのかなぁと思う。

私たちはおばぁさんになるまでこの関係性を
多分続けるんだろうなと思う。
でもそれをわざわざ言わないのが
私たちらしいなと思う。

なにより、
幼児の頃から一緒レベルの幼馴染だと離れるって
想像の方が難しい現象が起こるのです。



いつの日か
「それってあなたの感想ですよね」と
論破されないことを祈りながら
一緒に年を重ねていきます。

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