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2020年の振返り、そして。。noteを続けていきたい

 久しぶりの記事投稿です。 
 2020年からnoteを始めまして、スキやフォローをしてくださった皆様ありがとうございました。
(投稿しない間もスキ、フォローをいただけて嬉しいです。)


「2020年を振返り」

 noteを書いてみて良い経験となりました。それ以上に最近は、いろんな人のnoteを読むことができて楽しかったです。
 はじめは、ざっくばらんな内容でnoteの毎日投稿を3ヶ月続けましたが、自分の仕事に関連した記事を書こうとした頃から筆が止まってしまいました。代わりに、毎日投稿を続けられる人を尊敬する気持ちが湧き(漫画家さんも尊敬)、他の人の投稿を読むことが増えました。
 2021年も、少しずつnoteを投稿しつつ、他の人のnoteも読みたいと思います。

 年始に考えた行動目標とは、かけ離れた1年を過ごしましたが、充実した1年を過ごせたと思います。
 2021年も目標を立てつつも、全く違うことをして充実した1年を過ごせるような希望が持てました。


ちなみに今回の記事のタイトル悩みました。
「フォロー制限かかりました」
「フォロー1000人突破!」
「何も考えずフォローお願いします」
実はこの上の3つが、この記事の伝えたいメインの内容です。

(年末だし、もう少し一年を振返ったり、ポジティブな内容にしようと思い今回のタイトルにしました。無理にポジティブにしなくても良いけど、人の目を気にしてしまう癖が。。)

2020年からnoteを始め、こつこつフォロー数を増やしていました。ところが、フォロワー数より1000人多くフォローした時点で、フォロー制限がかかりました。(最近、相互フォロー返せずゴメンナサイ)
 以前はフォロワー数を増やしたい気持ちも無きにしもあらずだったですが、今は純粋にフォローしたい気持ちの方が強いです。人気の人、面白い人、共感できる人、勉強になる人、自分とは全く違う発想の人、応援したい人。(毎日更新される「note編集部お気に入りマガジン」を読んではフォローするので、毎日5人くらいフォローが増えていきます。)
 それが、フォローしたいために、フォロワー数を増やす必要がでてきました。。
 相互フォローはできるけど、自分からフォローできない、新しく気になった人をフォローできない。(自分が気になる人をフォローしたいために、他の人に何も考えずにフォローしてもらいたいけど相互フォローを返せない。)というジレンマ。
 フォロー1000人もいると、全員の記事を読めないという問題もありますが。(フォロー10人もいれば毎日更新の記事を読むのはきびしいか。)
 純粋に気になった人をフォローしていって、1000人を超えるというnoteの楽しみ方をしている人は少ないのでしょうか??
 現状は、フォローを獲得できる記事を投稿していけば良いんでしょうけどね。めんどくさがりな性格と人の目を気にする性格なので、2021年から少しずつ投稿を再開していきたいと思います。
 そして、フォローしてもらえると嬉しいです。
 

ここで、一旦区切りです。今後もよろしくお願いします。

noteの構成間違えました。うまく上の文章とつなげたかったです。
良ければ引き続き、読み続けてください。
なぜフォローがこんなに多いのか、自分の性格がにじみでたような内容を書きました。


「優柔不断?好奇心旺盛? それによる悩み、弊害、なのか、、?」
「コト、モノで溢れた現在の生き方の正解とは?」

 自分は、好奇心旺盛でなんでも見たい知りたい性格です。ただ、今の世の中は、コトやモノ、情報が多すぎて取捨選択しないと全部見れません。
(お気に入り、過去、インプットを減らす選択)
 これまで取捨選択の考え方にマイナスなイメージがあって行動にいたってなかったですが、今後の生き方では積極的に取捨選択すれば人生豊かになるのではないかという期待があります。
 ただ、人によって正解は様々で、このまま取捨選択しない生き方にも未練があって、特に意識した取捨選択をしないで人生を楽しめた人の事例が多ければいいな、知りたいなと思ってます。

例えば、、
1.SNSでフォロワーより、フォローの数が圧倒的に多い。
自分の投稿は少ないけど、他の人の投稿、記事は気になるからフォローしたい。
2.インターネットも面白いサイト、気になるサイトがあるからどんどんタブが増えていく。
古いスマホのChromeのタブが100個超えて、「:D」という顔になってる。(そして、ノートPCのChromeのタブは30個くらい、今年買いかえたスマホは70個くらい。。)
3.YoutubeとかNetflixのお気に入りが多いし、テレビの見てない録画も100時間くらい残ってる。
4.写真もLINEのkeepも多い。
5.何かに使えるんじゃないかと部屋がモノで溢れている。

【この行動にいたる理由】
 忘却曲線というものがあって、何もしないと人はすぐ物事を忘れやすい性質があります。なので自分の場合は忘れないように、フォローしたり、お気に入りにしたり、記憶媒体に保存したりしてます。noteの場合、忘れても見返せたり、たまたま読んだ記事が、以前フォローしてた人の記事だったら、「この人は気が合いそうだ。」って気づくきっかけになると思ってます。

【ただし、最近の悩み、弊害、、】
 フォロー数が多すぎると、「(内容を思い出したい)あの記事は誰が書いてたかな??」ってなって、結局見つけられない。
 好奇心旺盛で、その時読んだ記事、その瞬間の経験を楽しく過ごしたけど、今になって当時を振り返ろうとして、思い出せない時、誰かに伝えられない時のもどかしさがつらいです。忘れてしまった人生儚いなと感じます。

【これからの生き方に対する疑問、問いかけ】

 (明確な答え、正解は書いてませんが、、)
■人生を楽しむために、2021年以降は今を楽しみ続ければ実現できるか?
 ここで、過去を思い出そうと悩むより、今を楽しみ続ければそれでも良いのかもという考えもあります。フォローやお気に入りを増やし続けるのではなく、今リアルタイムで手に入る新しい情報を楽しむ、新しく経験できることを楽しむが正解かもしれない。

■人生を楽しむために取捨選択する、過去を捨てる行動が必要か?
・世界中の情報の中から自分が検索し、抽出したお気に入りデータが多すぎて、必要なときに見つけられません。(インターネットのブックマーク、重要フォルダに振分けたメール、スマホのいつだったかの写真)
・noteで自分の記事を見返すのも、フォローした人の過去の記事を探して読むのも大変です。
・TwitterやInstagramの過去を検索するのはもっと大変です。

 お気に入りの中でも、”本当のお気に入り”を取捨選択する必要があります。過去は捨てるシステム、過去を捨てる生き方が普通の時代になっている感じがします。
 事物が溢れている時代だから過去を捨てることが成立するのかもしれないですが、それ受け入れることがちょっぴり悲しいです。
 AIで、お気に入りデータの中から今必要なデータを呼び出す、頭の中の記憶から必要な記憶を呼び出す技術があったらいいなと思います。

■人生を楽しむためにアウトプットが必要か?インプットを減らすのが必用か?
 記憶を残すためにアウトプットすることが良く、経済的にもアウトプット(行動に移す)が多い方が成功すると聞きます。
 インプットを制限した方が、記憶する総量が減り、思い出すのが簡単になるかもしれません。インプットの時間を減らすと、アウトプットの時間が増えて、記憶が残りやすく、経済的にも成功するかもしれません。
 ただ、「記憶が残りやすく、経済的にも成功すること」が、人生を楽しむことにつながるかはわかりません。
 人生を楽しむこと/幸せに感じることを目的とした場合に、アウトプットがどれだけ重要なのか、何か事例があれば知っていきたいです。


以上、2020年の振返りで思ったことです。 

最後まで読んでいただいてありがとうございます! もし良かったら「スキ」をお願いします。