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88回目 "The Wars Against Saddam" を読む(Part 3)。政敵どころか部下であっても出る杭と見るや射殺する。Saddam はこんな社会 Iraq の大統領だったのです。
前回の読書対象範囲の最後の節 11. POWER において、Ba'athists バース党が躍進した様子、並びにやがてこの党内で Saddam がどのように昇進したかを知りました。それは 1990 年のクェ-ト侵攻(湾岸戦争)に至るよりもかなり以前(1968 〜 1980)の話でした。 この後に続く 1980 - 2004 年、この 20 余年間、一人の人間がその最も活動的な期間である 36 ~ 60 才の時期の命を捧げるかのようにして John Simpson 氏は Ir
87回目 "The Wars Against Saddam" を読む(Part 2)。自分の興味に答えてくれる英文を読む。教材の英文を読むのと大違いです。
John Simpson のこの本は、20 才の頃の私にこれを読めていたら、ジャーナリストに成りたいと考え出していたかもしれない、私に大それた望みを抱かせていたかも知れない程に、魅力的な本です。 興味に答えてくれる本とは人生を、長い将来の生き方を考える材料です。大学入試勉強用の「英文読解演習本(300‐400頁の本)」の一冊をすべて理解し読み終えることができた人、そんなレベルに届いた人は、大人の世界の本、英語の勉強用でなくて本当の本を読むべきだと私は思います。英語のマスター
86回目 "The Wars Against Saddam" by John Simpsonを読む (Part 1) 。Journalist が意識すべきとする政治権力からの距離の置き方も興味ある所です。
イラクという国家、サダム・フセインの政権(バグダッド)が 2003 年 4 月に陥落しますが、それまでの二十年余りに渡りサダムの活動を追いかけて来た BBC の記者、John Simpson の取材活動をじっくりと読んでみることにします。 今回は本文の前に挿入された "Aftermath「跡に残された悲惨」" と題された節(7 Pages)を中心に本文の第4節 Daughter までを読みます。この本は全 412 ページ。それぞれが数ページでなる節に区切られています。最後の
85回目 "What Kind of Day Did You Have?" を読む(Part 4、読了回)。読み終え振り返るに、読書中に考えた登場人物の役廻りがことごとく誤り(早計)だったと気づかされます。
今回の読書対象は、このノベッラ 合計 73 ぺージの内の最後尾の 10 ページです。 1. 長めの読後感想文 読書中の誤りのひとつは、‘’What Kind of Day Did You Have?" なる疑問文です。主人公のカトリーナの一日に向けて、「あなたはこの一日を、何と気味の悪い過ごし方をしたものだね。」と揶揄する言葉と信じて読者は読み進むはず。 ところが、カトリーナがやっとの思いで帰宅し、更に一悶着があり、その後ようやく自分の娘二人と顔を合わせる。ホッとしたその
84回目 "What Kind of Day Did You Have?" を読む (Part 3)。世界一の Art Critic を自認する男の議論、そしてこの男に魅せられた離婚訴訟中の女。
Saul Bellow のこのノベッラ、今回は全4章の内の第3章(Pages 319 - 344)を読みます。 1. 家庭管理の単純作業部分を任せる使用人を家族のひとりとする感覚。そんな経験が無い私は戸惑います。リベラルな生き方を主張する一人である Katrina、彼女の親は民主党のシカゴ支部に所属して選挙運動に精を出していた農場主でした。この作品の主役 Katrina の今の家庭には自宅を管理する黒人の女性 Ysole がいます。長らく繋がっているこの Ysole とは一
83回目 "What Kind of Day Did You Have?" by Saul Bellow を読む (Part 2)。 マルクスの著作への「いざない」もあります。
今回読むことになる部分では、主人公の一人である Victor は Buffalo の街で講演をします。そのテーマが "The application of The Eighteenth Brumaire to American politics and society … the farce of the Second Empire" です。 これは Karl Marx のエッセイ "The Eighteenth Brumaire of Louis Bonaparte" の
82回目 "What Kind of Day Did You Have?" by Saul Bellow を読む (Part 1) ベローの 'Collected Stories' と題された一冊(Penguin Paperback)収載の一遍
丁度 1 年間の中断となりましたが、作品集 'Saul Bellow Collected Stories' a Penguin Paperback に戻って、"What Kind of Day Did You Have?" を読むことにします。 (この一遍を読み終えるとこの作品集、全作品の読了です。) この一遍はこの作品集の中で最も長いものです。短編どころか Novella というにも長すぎる程です。しかし人は(英語の文章によくある you です。)次の書き出しを読むと、
81回目 "Mr. Raynor the School-Teacher" by Alan Sillitoe を読む。イギリス人ブロガーの読書感想文も覗き見します。
前回の投稿と同じ短編集 "The Loneliness of the Long-Distance Runner" に収載されている "Mr. Raynor the School-Teacher" を読みます。 この短編は次のサイトから短編集 "The Loneliness of the Long-Distance Runner" に収載された全作品がPDFファイルとして無償提供されています。”Mr. Raynor -" は pages 32-37 に見つかります。 htt
80回目 ”The Fishing-Boat Picture" by Alan Sillitoe を読む。「この短編は最高」なる Note 投稿に「再読」を促され。
この短編は次のサイトに公開されています。PDF file をダウンロードできます。全編合計で10ページです。 https://shortstorymagictricks.com/2020/01/07/the-fishing-boat-picture-by-alan-sillitoe/ 《注》このサイトの記事のやや後段部分にこの短編へのリンクが掲載されています。 葛城さまの投稿、氏がアラン・シリトーの「漁船の絵」を勧められている記事に巡りあったことに端を発して、茶色に変色して
79回目 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" を読む(第8回/読了回)。 Leo が世に出る、そのしっかりした手掛かりを捉えた日の喜びを読者が共有できる箇所です。
舞台に上ったと言っても名ばかりの端役しかないままに日が過ぎていきます。アルバイト仕事も途絶えることがあります。路上生活者との違いは自分の心に辛うじて生き残っている自尊心だけです。この時の心情は次のように表現されています(原書 318 頁)I didn't want to know the people in my condition -- I didn't like my condition, I was not going to make peace with it, I
77回目 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" を読む(第6回)。理屈をつけてする言い争いのシーンはさすがボールドウィン、見事です。
今回の読書対象は、Book 1, 2 & 3 の三部でなるこの小説の Book 2 の最終部分(Pages 181 - 235)です。 今回投稿では、理屈の応酬でなる口論、そのおもしろい箇所のひとつを取り上げ、じっくり読み味わって見ることにします。 Barbara King と Leo Proudhammer は劇団への加入を期して入団のためのオーディションに臨みます。審査するのは劇団のオーナーであって若手劇団員の教育の最高責任者 Saul San-Marquand です
76回目 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" を読む(第5回)。口喧嘩のあとの興奮した議論ーこれはプロパガンダであって「小説という芸術」ではないのか?
今回の投稿では、Book 2 の中心をなすいくつかのエピソードの一つを読み進めます。 主人公である Leo と Barbara 、Barbara の宿縁の男友達 Jerry に中堅女優 Madeleine が加わった3人の白人と1人の黒人でなる仲間がイタリアンのレストランでピザの夕食をとり、そこで黒人の2人と意気投合。酔った勢いで黒人地区のバーに車で移動、はしご酒(二次会)におよぶという話です。 場所はニューヨーク市から北方に遠く離れた田舎の中心都市(架空)です。 ピザ
75回目 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" を読む(第4回)。劇団への加入試験で演じるシーンの候補に挙がった演劇 "Waiting for Lefty"、そしてその脚本家 Clifford Odets を知り学ぶ。
Barbara と 私 Leo はサン・マルカンド夫妻が保有する劇団への加入候補生です。ある地方都市の劇場での公演に備えてこの街の劇場近くの空き家などを借り切って一時の住まいし、大勢の劇団員が Workshop と呼ぶ公演準備を始めています。加入試験は何か月も先に延ばされ、二人には舞台の準備・設え作業の肉体労働が割り振られています。 この間、この試験の為の演技にどのようなシーンを演じるか二人は頭を悩まし続けます。自分で選んだ演劇の一シーンを演じて見せるのです。それが課題の一
74回目 "His Voice Remembered", Toni Morrison's Eulogy for James Baldwin を読む。加藤雄二氏(東京外大 総合文化研究所)のエッセイにこの存在を教えられて。
James Baldwin の作品に関するエッセイが無いものかと Google で検索、見つけたのが加藤雄二氏のこのエッセイでした。タイトルは「ジェームズ・ボールドウィンのブルーズ 」― アフリカン・アメリカン文学における「もう一つの国」です。 加藤氏のこのエッセイには、ボールドウィンの作品に対しては否定的な批評も少なくない中、トニ・モリソンが格別に肯定的なコメントをボールドウィン存命中から発表するのみならず親しい友人同志であったこと、死後には Library of Ame
73回目 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" を読む(第3回)。サンフランシスコにある病院のベッドで振り返るニューヨークでの苦労の日々。
1. その意味がなかなか取れなかった2か所。主観的に読み過ぎで原文が読めてないのでしょうか? 不安が残ります。 上に取り上げた文章は、見出しに示した通りその理解に苦労した箇所です。ところで Baldwin は、小説において以上に評論文・エッセイにおいてより広い範囲の人々から高く評価されています(いくつか拾い読みした彼に対する批評記事による)。この種の文章である 'Fire Next Time'、'Notes of a Native son' に頻出する彼の議論・論理に共通