見出し画像

93回目 "The Wars Against Saddam" を読む(Part 8)。この本も残す処 100 頁弱です。Simpsonの一団が米軍のミサイルの標的になり甚大な被害を受けるも、取材と報道の仕事は放棄しません。

Simpson が率いる取材チームは中心的メンバーだけで7人。最初の拠点として選んだ Arbil の町のホテルでは 25 才のクルド人を通訳として雇います。この7人の一人が Commander Nariman です。Nariman は Saddam が支配するイラクから自治権を獲得した Kurdistan と称される「国」、クルド人を中心につくられた「国」の軍隊の一部隊を指揮する指揮官です。Simpson の取材チームはこのクルド人部隊にぶら下がるようにして戦闘地域を移動します。

Marines と呼ばれる米軍海兵隊がイラク軍を壊滅させる作戦の主役を務めています。しかし、ここ、Baghdad の北 150 キロ前後の地域では米軍の特殊部隊(比較的少人数ながら professional な軍人で構成されている)がこのクルド人部隊と共同で Saddam の兵士たちを追い立てています。



1. イラク戦争の現場を自身の目と耳と足で体験した Simpson は、欧米のメディアが伝えるそれには満足できません。

Baghdad 市内に建っていた Saddam の立像が引き倒され、Saddam 支配の終焉を象徴する事件として世界中に報じられたのですが、別の出来事をして、これこそ Saddam 支配の終焉を象徴する事件と言うべきだと Simpson は主張します。

[原文 1] At seven in the morning of 7 April, Paul Danahar rang Rageh's room at the Palestine Hotel.
  'Take a look outside your window at the other side of the river,' he said.
  Two American Bradley fighting vehicles were stationed outside the presidential palace. Troops from the 3rd Infantry Division were attacking the compound, firing as they went. Rageh could see the Iraqi soldiers running away. Many of them had torn off their uniforms and were dressed only in their underpants. Saddam Hussein was finished, and his power-structure had collapsed. Soon his huge, clumsy statue in Paradise Square would be pulled down by an armoured personnel carrier. That was the moment which appeared on the front pages of all the newspapers and most of the books about the war. But the real image which showed Saddam's fall was the sight of dozens of skinny young men wearing nothing but their underwear, giving up any attempt to resist the implacable force which had overthrown him.
[和訳 1] 4月7日の朝7時です。ポール・ダナハーがパレスティン・ホテルに宿泊中のラゲーに電話しました。
  「窓の外を見てごらんなさい。川と反対側の窓ですよ。」と教えられたのです。
  二台のブラドリー戦闘車両が大統領宮殿の外側に停車しています。第三歩兵軍に属する部隊がその辺り一帯に攻撃を加えています。炎も上がりました。イラク軍の兵士、何人もが逃げ出す様子もラゲーの目に這入りました。イラク軍兵士たちの軍服は引き裂かれていて、実質的には下着パンツしか身体に残っていません。サダーム・フセインの支配の終焉です。サダームの支配機構が倒壊しました。この時刻のしばらく後には、パラダイス・スクエアにある Saddam の巨大だが下手な造りの立像が一台の防御設備を備えた兵員輸送車両によって引き倒されるのです。この一件の写真は多くの新聞やこの戦争を伝える本の第一面、表紙を飾ることになります。しかし、サダームの敗北を示す本当の証拠映像は、下着しか身に着けていないやせ細った若い男たちが、圧倒的な力をもってサダームを排除した米軍に向かって最後の抵抗を試みる姿を見せるのでなく戦いを放棄する姿でした。

Lines between line 12 and line 27 on page 352,
"The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback


2. Simpson は、アルジャジーラなる「報道組織」の姿勢をアメリカのメディアと比較し、評価検討します。

「あの手この手を駆使して、弱い立場にある人々を救う手立てを見つけることでしかこの現実を克服する道はない。」「正義が悪を懲らしめ、悪を駆逐すると考えるのはこの困難への対策として適切ではない。」と、Simpson は主張しているようです。

[原文 2-1] There is nothing wrong with governments trying to push their view of events into the public consciousness; they do it everywhere, all the time. But there is everything wrong if journalists in a free society echo this view without ensuring that it is true. Al-Jazeera, which is a remarkably free organization, broadcasting throughout the Middle East to people who will otherwise only get their own government's view, acted as reality-check on the British and American version of events. Its motto, which appears everywhere in its offices, right down to the coffee-mugs, is 'Where there is one opinion, there is another one.' This is a minimalist, un-pompous, rather world-weary creed, which is mercifully free of grander appeals to Truth and Idealism. Al-Jazeera might not have been perfect, certainly, but it provided a remarkably balanced service. And it was a damned sight more honest than some of the American channels.世間
[和訳 2-1] 政権というものはその国の人々の考え方を、様々な出来事に対する政府見解通りのものに導こうと努めます。このことそのものを悪いとは言えません。政権というものはそれがどのようなものであれ、世界中でその類の行動を繰り返しているのです。ところが、自由を信奉する社会のジャーナリストがこのような政府見解の真偽を徹底して審査することなく口移し的に報道するとするとそこには何ら正しい要素は存在できません。アル-ジャジーラと称する組織は優れて自由をタットぶ会社組織であると同時に、中東全域に暮らしている人々にとって、世界中の出来事に向けた英国や米国のメディアの見解の真偽を確かめる為の対照情報として機能してきた実績を築いてきています。この地域の人々にとってこの組織なしでは、自身の政府が発する見解しか欧米の見解を確かめる手立てを入手できないのです。この組織のモットーは、彼らの事務所に行けばそこら中に、そしてコーヒーのマグカップにまで書かれている「一つの見解があるところには必ずもう一つ別の見解がある。」です。これは禁欲主義者的であって、反権威主義者的、どちらかというと厭世的な態度表明と言えます。併せてありがたいことに「真実と理想主義」などと口にして大上段に振り構えるところがありません。アル-ジャジーラがこれまで誤りを犯したことがないと主張するつもりは、私にはありません。そうではあってもこの会社組織は優れてバランスの取れた情報の提供を続けておられます。以上に加えて、私にはアル-ジャジーラが、幾つか特定できるところのアメリカの放送局チャネルよりも正直であることは誰の目にも明らかだと断言できます。

Lines between line 30 on page 354 and line 5 on page 355,
"The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback

[原文 2-2] One of the best people al-Jazeera employed was Tariq Ayoub, a quiet, pleasant Jordanian of thirty five. He was invariably polite, and not inclined to force his opinions about the war either on the people around or on the viewers who watched his reports. He often showed a hint of nervousness on camera as the missiles and bombs landed, but as a viewer I liked that. I didn't want to see some macho man defying the worst the American could throw at him. Ayoub seemed to me to share the vulnerability of the people of Baghdad whom he reported on.
  At around 7 a.m. on Monday 7 April, just as Rageh Omaar looked out of his window and saw the Americans storming the presidential palace, two rockets were fired at the building, some way from the Palestine Hotel, where Al-Jazeera had its office. Tariq Ayoub was crouched down on camera at the time, plainly terrified, reporting on the explosions around him. One of the rockets killed him as we watched. It was horrible, disgusting.
[和訳 2-2] アル-ジャジーラ社が雇用する素晴らしいジャーナリストたちの一人はタリク・アユーブ氏、35 才、言葉を交わすのが心地よいヨルダン国籍の男性です。いつも常に礼儀正しく振る舞います。今の戦争に関する自分の見解をして、周囲の人たち、あるいは自身の番組を見る人たちに同意するよう無理やり勧めたりはしません。彼はミサイルが着弾するとか爆弾が着地破裂する様を映すテレビ画像において、自身が神経の弱い人間であることを露呈するようなシーンを何度も見せています。私は一人の聴視者としてこのような彼を好ましく思っています。どこぞの筋肉もりもりの男が攻撃的にアメリカ人に可能な限り最強の悪口表現でアユーブを嘲笑するとしたら、私はそのようなシーンを目にしたくありません。私の目にはアユーブはアユーブの取材の対象であるバグダッドの人々のものである弱さ、壊れやすさを共有し、これらの人々と同時にそれを体験しようとしているのだと解るのです。
  4月7日、朝の7時頃でした。丁度ラゲー・オマールが自分の部屋の窓の外に目を遣り、アメリカ軍の兵士たちが大統領の宮殿に攻撃を始めたのを見ていた時でした。二発のロケット弾が(ラゲーが止まっていた)パレスティン・ホテルからほど近い一つの建物に向けて発射されたのです。その建物にはアル-ジャジーラ社が事務所を持っていました。タリク・アユーブは前に据えたカメラの上に崩れ落ちました。彼が窓の外に展開するシーンに何ら抗うことが出来ずに、唯々怯えながらも、自分の近くで爆弾が破裂するのをカメラに収めている最中の出来事でした。ロケット弾に一発が彼を殺したのです。私たち(私のBBC仲間)がこの時刻には目にしていた世界の出来事です。おぞましい、腹立たしいとしか言いようがありません。

Lines between line 6 and line 21 on page 355,
"The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback

上記した引用部分、[原文 1][原文 2-1][原文 2-2]はサダームが大統領として仕事をした宮殿に向けた米軍の攻撃を、一つはパレスティン・ホテルの一室にいるラゲー・オマール(BBCの記者)の立場から、もう一つはアル‐ジャジーラ社の事務所にいるタリク・アユーブ記者の立場から描いています。この一瞬を二つの場所から描いていることに「気付かず読み流しては」見落としたでは済まされない大切な箇所です。(タイトル・バナー写真の正面の大きな建物がこの宮殿です。)


3. Simpson にとって辛うじて容認できる武力で生きる人たちに向けた「承認・感謝の表現」

筋肉もりもり、マッチョといった特質を恐れる・嫌がるのが Simpson の特質です。そんな彼が、治安を保つ警察が不在のイラクの街々を取材して移動するのですが、クルディスタンの兵士から選りすぐられた5人の護衛兵が提供された結果、可能になったのでした。

イラク兵士が追い払われて40時間と経っていないティクリットの町に踏み込みます。北の方からやってきた Simpson チームはティグリス川に架かる橋を渡ることでこの町に這入ります。早速米軍兵の検問、護衛兵が携行していた武器の差し出しも求められるのです。護衛兵は記者たちが乗った車の後ろから別の一台で追尾するように走って来たのでした。

Simpson、町に着くや否や取材の段取りに集中していました。その一瞬の隙に、護衛兵の一人が路面に引き倒され、その上、首を後ろから米兵の靴で地面に踏み着けられ殺されかけているのに気付きます。一大事です。

米兵たちにはアラブ人の言葉は通じません。通訳もいません。取材陣とクルディスタン軍人グループとの間を取り持ってくれていたのはクルディスタン政府の要人の親族で英語もできました。彼の名前は Hiwa です。しかし何人もいる海兵隊員個々が行う護衛兵とのやり取りは同時多発的に進行するもので通訳するなど不可能です。米兵にはこの種衛兵とサダームの残存兵との区別が出来ていません。

[原文 3-1] Then I looked in the rear-view mirror. A marine was pulling one of the bodyguards out by the arm. Another was dragging the chief bodyguard along the street.
  'They're armed!' someone else was shouting, and another marine was screaming, 'There are Eye-raqi Republican Guards!'
  Quietly, but tensely, Hiwa said, ' They kept their side-arms.'
  Of course they would have; they would rather have walked through Tikrit naked than followed us unarmed. I jumped out, my blood boiling. The rather dapper bodyguard with a small, well-cut moustache was lying in the road with a marine's boot on the back of his neck. I could see his face; it was contorted and dark red with rage. There would be serious violence here soon. I hobbled over, waving my stick i fury.
  'Get your fucking foot off him. These are BBC people. They all are. Leave them alone at once.'
  An officer, pleasant and rather impressive under other circumstances, was standing ineffectually nearby, watching all this. Now he stepped forward. But the strange thing was that the marines obeyed me; perhaps it was the yelling. The officer started to apologize. He, too, listened to the BBC.
[和訳 3-1] 次に私は車内のバックミラーに目を遣りました。一人の海兵隊員が護衛兵の一人の腕を捕まえ引きずり下ろしました。別の海兵隊員は護衛兵のチーフを路上に倒し引きずっています。
  「こいつらは武器を持っているぞ。イラク共和国の親衛隊兵士だぞ。」と別の隊員が叫び声をあげます。
  落ち着いた雰囲気で、しかし緊張感が溢れる声でヒワが「我々の護衛兵です。携行用の武器は持っていて当然です。」が説明をしました。
  護衛兵たちはそれ位の武器を持っていて当然なのです。武器無しで護衛兵の役を務めるなど裸でこのティクリットの街中を歩くようなものです。私は車から跳び出しました。血が沸騰しています。小太りの護衛兵、こじんまりしたサイズに丁寧に仕上げた顎鬚の男です。この男は道路に倒され、海兵隊員の軍靴がこの護衛兵の首根っこを踏みつけています。男の顔が私の目にも分かります。怒りの所為で引きつり赤黒くほてっています。争いは益々激しく暴力的になる気配濃厚です。私はよろけながら彼らが争っている場所にたどり着きました。私は(片足にミサイルの破片が刺さったままで、携帯していた)杖を振り回していました。
  「貴様の軍靴を外しなさい、踏みつけるのを止めなさい。踏みつけられているのはBBCの人間だぞ、護衛兵の全員が BBC の者だぞ。今直ぐ彼らを解放しなさい!」と私は大声を上げました。
  このようないざこざの最中でさえなければ、私が好感を持ったであろう一人の将官がこの場に何もできずに立っていたのです。一部始終を見ていました。この将官は一歩前に踏み出しました。海兵隊員たちは不思議なことに私の所為で攻撃を止め護衛兵たちから離れたのでした。おそらく私の大声が効いたのでしょう。この将官は一歩踏みでると私に謝りの言葉を発しました。この将官もまた BBC の放送を見ていたのです。BBC を認識できたのでした。

Lines between line 13 and line 32 on page 375,
"The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback

[原文 3-2]The marine officer was full of remorse. I could certainly understand the earlier mistake: our bodyguards might very well have been members of Saddam's Republican Guard. But I couldn't understand their lack of self-control -- their near-hysteria, indeed. Nor could I understand why, as the only troops holding the main street of Saddam's home town, they weren't equipped with an Arabic translator. But they paid a price for their excitability: the entire incident had been broadcast live on al-Jazeera Television, and the broadcast had been picked up, also live, by CNN International. It had been seen in every Arab country, and in many parts of the wider world.
[和訳 3-2] この海兵隊将官は後悔の気持ちを全身で表していました。私には今回の騒動の原因が誤認にあったと割り切ることにしました。私たちを護衛した兵士たちがサダームの親衛隊兵士であると取り違えられても仕方ない装いをしていたのです。とはいっても彼ら米兵の自制力の欠如をすんなりと容認するのではありません。それはことの次第を理解できずに引き起こされたヒステリーのようなものです。加えて、サダームの出身地の街における唯一の支配者である彼らがアラビア語の通訳担当を設置していないことを容認する訳にはいきません。しかし今回、彼らは不必要な不安・危機感に基づきパニックを起こすという負担を被ったのです。更には、彼らが引き起こした今回の騒動はその全体がアル‐ジャジーラ社のテレビで実況放送され、更にそれが CNN インターナショナルの視聴者にまで同時に配信されることになりました。この騒動は全てのアラブ諸国に放送されたに留まらず、広く世界の高い割合の人々の目にも届くことになったのでした。

Lines between line 10 and line 19 on page 376,
"The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback

[原文 3-3] For a moment or two I felt some remorse of my own; what kind of figure must I have cut, lurching around like a comic actor from an early sixties movie, threatening US marines with my walking-stick? But the moment passed, while the marine captain's apologies continued. Two of his men, he said pointedly would be round later on to apologize to the bodyguards in person. After Hiwa told them that, the redness began to leave their eyes. These were men whose pride was more important to them than their lives, but to have American marines apologizing to them would make up for a great deal.
[和訳 3-3] 一瞬というか極めて僅かの時間とはいえ、この件で私も後悔の気持ちを持つことになりました。一体私はどのような姿をテレビ画面で世界中に曝したのか考えると恥ずかしかったのです。よろけよろけしながら走り回った、それも合衆国の海兵隊員に向かって手にした杖を振り回し対峙したのです。60 年代初頭の頃に映画で人気を博した喜劇役者のごとき振る舞いを曝したのです。しかし、その時の怒りは、海兵隊員のキャプテンが謝りの気持ちを口に出してくれたことでひとまず納まりました。またその後、彼の部下である二人の海兵隊員が自ら出向いて来て被害を受けた護衛兵への陳謝を述べたのです。そのことをヒワ Hiwa から聞かされた護衛兵たちは、それによってあの時の赤くなった目を元に戻すことが出来たのでした。彼ら護衛兵たちとは自身の名誉を自分の命以上に大切に守るべきものと考えている人たちです。あのような攻撃を受けたのですが、あの世界に名を馳せるアメリカの海兵隊員たち自身が出向いてまでその陳謝の気持ちを伝えてくれたことは大きな意味を持ったのでした。

Lines between line 20 and line 28 on page 376,
"The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback


4. Study Notes の無償公開

例によって今回の読書部分 Pages 334 - 392 に対応する私の Study Notes を公開します。A-5 サイズ用紙両面印刷すると Stapler で左閉じ冊子を作成できます。ご利用いただければ幸いです。