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82回目 "What Kind of Day Did You Have?" by Saul Bellow を読む (Part 1) ベローの 'Collected Stories' と題された一冊(Penguin Paperback)収載の一遍

丁度 1 年間の中断となりましたが、作品集 'Saul Bellow Collected Stories' a Penguin Paperback に戻って、"What Kind of Day Did You Have?" を読むことにします。

(この一遍を読み終えるとこの作品集、全作品の読了です。)

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この作品はその全編が Vanityfair 誌のアーカイブ・サイトに残されていて、その販売(サブスクリプション)促進策でしょうが、’新規訪問者には無償で閲覧が許されています。訪問者の E-mail アドレスの登録も、サブスクライブの仮契約の類も求められません。全編をコピー&ペイストすると自分の PC の Word のファイルとして取り込むこともできます。私の場合は 9 ポイントで 54 ページに納まりました。
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この一遍はこの作品集の中で最も長いものです。短編どころか Novella というにも長すぎる程です。しかし人は(英語の文章によくある you です。)次の書き出しを読むと、オースティンの "Pride and Prejudice" にあった文章を借りて "That is invitation enough." と Saul Bellow に返している自分に気づくのです。長いのですが漕ぎだすことにします。

[原文 0] Dizzy with perplexities, seduced by a restless spirit, Katrina Goliger took a trip she shouldn't have taken. What was the matter with her, why was she jumping around like this? A divorced suburban matron with two young kids, was she losing ground, were her looks going or her options shrinking so fast that it made her reckless?
[和訳 0] カトリーナ・ゴリガはどうかしていたのです。判断力に欠ける心の誘惑に負けて行くべきではなかった旅についでかけてしまったのでした。どうしたというのでしょう? 何故にそんなに跳び廻らずにおれないのでしょう? 幼い二人のこどもと共に田舎ともいうべき郊外に暮らす、離婚した中年の女性です。この彼女、一時的に判断力を失っていたのでしょうか? 自身の容貌の衰えに焦りを感じたのでしょうか? 自分にできる80mことが年齢と共に狭くなるので今しかないとでも考え、その結果このように向う見ずな行動に走ってしまったのでしょうか?

Lines between line 1 and 5 on page 282,
"Sail Bellow Collected Stories" a Penguin paperback

1. プロの評論家のコメント、賛辞を拾い読みします。

この Novella が初めて公開されたのは月刊誌 Vanityfair の 1984 年 2 月号とのことです。その Title Banner を私の記事の上段に示しました。そこに書かれたこの Novella への紹介文は次の通りです。

[原文 1-1] In his most exuberant prose, Nobel Prize-winning author Saul Bellow tells the high-flying story of a down-to-earth romance between a zaftig young Chicago matron and a "world-class intellectual" of seventy.
[和訳 1-1] 現実そのままのロマンスにおける高揚感をノーベル賞作家であるソール・ベローが物語ります。性的魅力にあるれる離婚中のシカゴに住まう女性と世界第一級のインテリである70才男性とのロマンスです。ベローならではの巧みなストーリー展開、それは最高の出来栄えです。

Extract from the title banner for "What Kind of Day
Did You Have?" published on Feb 1984 issue, Vanityfair

一方、私の手元にある "Saul Bellow Collected Stories", a Penguin paperback の表紙には New York Times に掲載された Michiko Kakutani 氏の書評から取った一文が掲載されています。次の通りです。

[原文 1-2] "Bellow's gift for delineating the American scene … remains unrivaled."
[和訳 1-2] アメリカの人々の景色を描くとなると、ベローの才能、今なおそれに並ぶもの無しです。

from the front cover of "Saul Bellow Collected
Stories" a Penguin paperback, published in 2002

これら二つの短い文章、いずれも宣伝用の文章に違いないのですが、羊頭狗肉ではありません

アメリカを知りたい、理解したいと思っていた私にはこれ以上ない読書になっています。どこかで読んだ「マーク・トウェインの『ハックルベル―フィンの冒険』の伝統を受け継ぐもの」という評価もこのことかと感じることができます。アメリカに暮らす人々が交わすやり取りをその場で聞いているような臨場感の存在、そしてそのやり取りの肌触りが共通しています。

Vanityfair 誌のキャッチ・コピーにある通り、人物の人柄、性格を描き上げるベローの文章にはすっかり魅了されます。また Kakutani 氏の文章の通り、この作品にあっては、そのどこをとっても、ベローが描くアメリカの人たちの肌触り・臭いが、あざやかな花のように姿を現します。あざやかな花にも顔をそむけたくなる花はあるという前提ですが。


2. 物語の中心となるカップル、Katrina と Victor の人物像と小説のテーマ

72 ページで成るこの小説の 3 ページ目には物語の中心をなす二人、その各々の人と成り、そしてこの物語の主題(を思わせる)社会・人の生き様に向けるソール・ベローの目(ベローの着眼点)、これらが混然一体となった凝りに凝った文章で描き出されます。そのあたりを引用します。

2-1. 最初は Katrina の描出・提示です。

[原文 2-1a] You have dumped your husband to have this unusual affair. Sexual excitement and social ambition went together. You aimed to break into high cultural circles. I don't know what you thought you had to offer. If you took Daddy's word for it, and he'd repeat it from the next world, You're just an average Dumb Dora from north-suburban Chicagoland.
[和訳 2-1a] 《この引用部分は Katrina の姉が Katrina に、人間の生き方について自分の見解を聞かせている箇所です。》
あなたは自分の夫を思い掛けない事態に放り込んだという訳ね。セックスのワクワク感と社会での出世欲の二つ、その反りがうまい具合に噛み合ったものだね。あなたは最高レベルの文化人たちの社会に入り込みたかったのね。しかし、あなたにはそのような社会の人たちに提供できるものなど一体何があるというのと、常々私は思ってました。もしもあなたがお父様の言葉を信じるとして、そして併せてお父様があの世から生前の口癖をもう一度声に出してくれるとするならば、「ドーラ、シカゴ一帯イッタイの土地、あなたはその北のはずれの田舎者に過ぎない平均的なお馬鹿さんなのだ」ということになります。

Lines between line 4 and line 8 on page 284,
"Saul Bellow Collected Stories", a Penguin paperback

[原文 2-1b] Quite true, the late Billy Weigal had called his daughters Dumb Dora One and Dumb Dora Two. He sent them down to the state university at Champaign-Urbana, where they joined a sorority and studied Romance languages. The girls wanted French? Good. Theatre arts? Sure, why not. Old Doc Weigal pretended to think that it was all jibber-jabber. He had been a politician, mainly a tax fixer with high connections in the Chicago Democratic machine. His wife, too, was a mental lightweight. It was part of the convention that the womenfolk be birdbrains. It pleased his corrupt heart, protective heart. As Victor pointed out (all higher interpretation came from him), this was plain old middle-class ideology, the erotic components of which were easy to make out.
[和訳 2-1b] 《以下は [1-1] にあった姉の見解に同意し、更なる情報を読者に予備知識として伝える、この小説の語り手の言葉です。》
お亡くなりになったが、あのビリー・ワイガルが自分の二人の娘さんをお馬鹿一号、お馬鹿二号と呼んだのですが、全くその通りです。ビリーはこの二人をシャンパン-アルバーナの州立大に行かせたのですが、二人は女子クラブに所属してロマンス・ランゲージ(ロマンス語と男女交友の言葉使いの二重の意味)を学んだのだよ。二人はフランス語を身につけたかったのだって? それならそれで良し。舞台芸術? それならそれでも良しだな。不平を言ったりは致しません。このような受け答えをしていたあのドクター・ワイガルですが、この二人がどう説明しようが娘たちには反論しないという立場を保ち続けたのでした。彼はずっと政治の世界に生きた男で、シカゴ地区の民主党部隊の一員として党の税制案作成の担当を長く務めたのでした。彼の妻も(娘同様に)知的な面では軽く見られた女でした。押しなべて女は小鳥の脳しか持っていないという戯れ言葉が似合う女性でした。このような事態はしかしこの男(ワイガル)の腐った心情、保守的心情を満足させていたのです。 この事態たるや、当に Victor が下した評価通りであり、明らかに「古びた中流クラスに特有のイデオロギー」であって、しかも、それにへばり付いているエロチックな要素の存在は誰の目にも明らかです。(高尚な見解・論説はいつもながら Victor の口からもたらされるのでした。)

Lines between line 9 and line 18
on page 284, the same paperback

[原文 2-1c] Ignorance in women, a strong stimulus for men who considered themselves rough. On an infinitely higher level, Baudelaire had advised staying away from learned ladies, Bluestockings and bourgeois ladies caused sexual paralysis. Artists could trust only women of the people.
  Anyway, Katrina had been raised to consider herself a nitwit. That she knew she was not one was an important secret postulate of her feminine science.
[和訳 2-1c] 女性たちに付き物の無知、並びに自身の粗暴さを是とする男どもの心をそそる能力。高尚さの極みとされる世界において発せられたボードレールは、学のある女性からは距離を取れと警告し、ブルーストッキングなる女性たちとブルジョアの女性たちは性のあり方を麻痺させたと主張しました。 また、芸術家は人民大衆の女性しか信頼すべきでない《芸術として描き上げるべきでないの趣旨か?》とも言いました。
  ともあれ、Katrina は自分をお馬鹿さんだと認識しなさいと教えられて大きくなったでした。彼女は「自分が世間で独立した一人の人間ではないと自覚していること」が、自分が理想とする女性像の重要な前提条件であると教えられていたのです。

Lines between line 19 and line 24
on page 284,the same paperback

社会における女性の位置づけに関してここまで露骨に表現するとは私には驚きです。しかしアメリカの大統領の行動に関する報道から匂うものとあまりにも一致していることにも溜息が出ます。


2-2 次に来る Victor の描出にあっては、この作品のテーマ「人が纏う飾りと生身のコントラスト」に向けらるベローの視線が加わり、双方が一体になります。

Victor の描出の始まりは上に引用した Katrina の姉 Dorothia の発言の終わり部分に出てくる話題です。

[原文 2-2a] Dorothea said "I want to get you to look at it from every angle." What this really meant was that Dotey would try to shaft her from every side. "Let's start with the fact that as Mrs. Alfred Goliger nobody in Chicago would take notice of you. When Mr. Goliger invited people to look at his wonderful collections of ivory, jade, semiprecious stones, and while he did all the talking, he only wanted you to serve the drinks and eats. And to the people with whom he tried to make time, Lylic Opera types, the contemporary arts crowd, the academics, and those other shits, you were just a humdrum housewife. Then all of a sudden, through Wulpy, you're meeting all the Motherwells and Raushenbergs and Ashberys and Frankenthalers, and you leave the local culture creeps grovelling in the dust. However, when your your old wizard dies, what then? Widows are forgotten pretty fast, except those with promotional talent. So what happens to girlfriends?"
[和訳 2-2a] Dorothea は Katrina にある時、「あなたには、あなた自身のことを今一度あらゆる角度から見つめて見なさいと言いたいのです。」と言ったのでした。トッティ(Dorothea)はこの妹をあらゆる方向から槍で突っつくぞという意味で言ったのでした。「一番目の槍は、あなたをアルフレッド・ゴリガ夫人だと知っていて、あなたに向かってその地位に相応しい態度で接する人は一人も居ないでしょうと言うものです。ゴリガ様が自分の豪勢なコレクションを見せようと大勢の人たちを自宅に招待しても、この男はあなたに飲み物やつまみ料理を手渡す役目しか期待していません。このコレクションたるや象牙細工、翡翠、様々な貴石なのであり、お客との会話はこの男が一人でこなすのです。お客たちの中には抒情歌のオペラ好きや近代絵画好き、学研肌の人間、その他にも様々な輩がいます。この種のお客にとってあなたは退屈な主婦でしかないのです。そのような暮らしの中で、ある日突然、Wulpy(ヴァルピ)という男の所為でマザウェル夫妻、ローゼンバーグ夫妻、アッシュべり夫妻、フランケンスラ夫妻に会う機会に恵まれて、今度は田舎地方の埃をかぶった文化に止まっている連中を放棄することになったのです。幸運に見えますが、この魔法の道具のようなお年寄りが、亡くなってしまえば一体どうなるのでしょうね。未亡人なんて者は直ぐに忘れ去られます。もちろん、金儲けに役立つ才能ある人は例外です。さて、婚外のガールフレンドとなるとどうなるのでしょうね。」と姉は一番目の槍を突き付けたのでした。

Lines between line 26 and line 38
on page 284,the same paperback

[原文 2-2b] Arriving at Northwestern University to give his seminars on American painting, Victor had been lionized by the Goligers. Alfred Goliger, who, flying to Bombay and to Rio, had branched out from gems to antiques and objects d'art and bought estate jewelry and also china, sterling, pottery, statuary in all continents, longed to be a part of the art world. He wasn't one of your hobbled husbands; he did pretty much as he liked in Brazil and India. He misjudged Katina if he thought that he had a homebody who spent her time choosing wallpapers and attempting PTA meetings. Victor, the perfect lion, relaxing among Evanston admirers while he drank martinis and ate hors d'oeuvres, took in the eager husband, aggressively on the make, and then considered the pretty wife--in every sense of the word a dark lady.
[和訳 2-2b] アメリカ人画家の作品について講義をすることになり、ノース・イースタン大学に到着した Victor はゴリガ夫妻、いいえ Alfred Goliger に有名人扱いで丁重なもてなしを受けます。Alfred はボンベイ、次はリオにと跳び廻っている男で、世界中の至る所で、ジェム・ストーンに始まり古美術品、装飾品、更には中古の宝石類や陶磁器、古銭、土器美術品、彫像などを売り買いしていたのですが、芸術分野の人間とのつながりを求めていました。Alfred は妻に足かせを嵌められたそこいらの夫とは違ってブラジルやイントに出かけては、やりたい放題の行動を採っていました。しかしこの男、もしも自身の妻である Katrina のことを家庭内に楽しみを求めるタイプの女と思っていたとしたら大間違いをしていたのです。Katrina は自宅の壁紙をどうするとか、PTAの集まりを世話するとかというタイプではなかったのです。 完璧なまでのライオンであった Victor は、エバンストンの近辺に住まう支援者たちに囲まれて、マティニを啜り、オードブルを口に運ぶというリラックスした一時を過ごしながらも、この商売気満々の男を餌食にするべく企んでいました。そして次には、この男のかわいらしい妻を、陰ある女性とはこの女のことだと認識し、さてどうするか考えを巡らせていました。

Lines between line 39 on page 284 and
line 8 on page 285,the same paperback

このようにして Victor の登場となるのですが、Katrina の現在の夫である Alfred Goliger との対比として描かれることになります。ここの時点ではこの二人の男は出世欲、金、富の重視、性欲全ての点で共通しています。男なるものを、あきれるほど単純にステレオタイプで捉えているのです。裏があるようです。


3. 何故、ベローは桁外れの金持ちという属性を登場人物に与えるのでしょう。

ふとした拍子に頭をかすめたのが金ぴかのスーツで大ホラを吹く漫才師、横山たかし氏でした。氏の漫才でホラを吹くのは話の登場人物であると同時に話し手でもあるたかし氏本人です。一方、ベローのこの作品ではベローが自身の紡ぎ上げる物語、その登場人物をベローが大ホラで描き上げるのです。

こう考えると、アメリカ人の振る舞いの特徴を大げさに描くことでその特徴を浮かび上がらせんが為の工夫・その技がこの大ホラだと気づくのでした。読者はこの大ホラに目くらましを喰らっている内に、登場人物が具備しているであろう特性・行動の内で、この作品の主題に必要なものだけを書き、それ以外は話に出さないで済ます、そうしても読者にはそれによる脱落感を経験せずに作品を読める、楽しめることになるのではと思えてきます。

言い換えると、作者が込める主題を単純明確に提示するのみでは厚みも味わいも十分とはいかないところをこのホラ話がカモフラージュしているのかなと思えるのです。

因みに、横山たかし氏のホラ漫才については、以下にウィキペディアの記事、その一部を引用しておきます。

* 金色のスパンコールをちりばめた特製ジャケットを着たたかしが「すまんの〜。大金持ちのおぼっちゃまじゃ。みんな笑えよ〜」と登場。

* 先ずたかしが「芦屋からヘリコプターで来たんじゃ」「おぼっちゃまが乗るのはいつでもファーストクラス。地下鉄もファーストクラスじゃ」「おぼっちゃま、こないだ南極にホッキョクグマ見に行ったんじゃ」「ぶっちゃけた話、わしは外車に乗っとるんじゃ」「庭の池は琵琶湖なんじゃ」「家には秀吉が使うた皿があるんじゃ」などとホラを吹きまくる。

* たかしのホラが始まると、ひろしは「そーら来たで来たで〜」などと盛り上げる。この時点まで、たかしはひろしを「ヨコヤマ」(立場が逆転すると、さん付けになる)と呼び、「貧乏は辛いのぉ、ヨコヤマ~」「命賭けるな、僅かな金に~」などと下僕扱いする。金色のスパンコールをちりばめた特製ジャケットを着たたかしが「すまんの〜。大金持ちのおぼっちゃまじゃ。みんな笑えよ〜」と登場。

ウィキペヂア、横山たかし・ひろしの項、芸風の欄より抜粋


4. Study Notes の無償公開

"Saul Bellow Collected Stories" (Penguin Paperback) の Pages 282 - 296 (今回投稿が読書対象にした部分)に対応する Study Notes を、以下に無償公開します。A-5 サイズの用紙に両面印刷し、左閉じで束ねることを前提に調製しています。

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