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企画が動き出す

企画を考える時に「自分に寄せる」方法を紹介したが、「自分に寄せる」方法は企画をプレゼンする時にも役に立つ。1秒でも早く1秒でも長く、ひとり考えて考えて考えた企画は、プレゼンを経て人の目に触れ、動き出す。企画を提出する時、企画を説明する時、「私はサッカーが好きなんですが〜」とか、「先日こんなことがあったんです」と自分に寄せたエピソードから始まると、聞くほうは、どうしたって、身を乗り出す。

企画会議の方法は、雑誌によってもかなり違う。90年代『Hanako(ハナコ)』のエリア特集では、キャップ以下デスクの編集者3〜4名がロケハンの成果を持ち寄りブレストして特集の方向性を決めていた。決め手に欠けるとさらなるロケハンをし、ブレストが数回に及ぶこともあった。そこに、編集長、副編集長は参加しなかったが、たぶん、随時キャップから報告していたのだと思う。

やはり90年代、次に異動した『anan(アンアン)』では、お題が配られるのは同じだが、1人10本の企画を出すと決まっていた。巻頭企画、カラー企画、モノクロ企画…と1冊の構成ができるような現実的な企画提出を求められ、企画会議では、編集長、副編集長、キャップ以下デスクの編集者5〜6名が出席し、10本の企画をホワイトボードに書き出し、順番に読み上げる。ブレストは行われず、それぞれが編集長に向け企画の説明をする儀式だった。その後、読み上げた企画を紙でも提出し、編集長は、それらを持ち帰って、後日、1冊の各企画と各担当を発表していた。

その後、異動する『Tarzan(ターザン)』『POPEYE(ポパイ)』『Casa BRUTUS(カーサブルータス)』など男性誌は、『Hanako』と『アンアン』の折衷形だった。編集長も加わる企画会議に企画を提出し、活発なブレストも行われ、その場で盛り上がって決まる企画もあり、後日決まる企画もあった。

いずれにせよ、提出した企画が通るか通らないか、どの企画を採用するかは、編集長の判断によるものだ。90年代の『Hanako』は、例えばスイーツだけでも、ティラミス、クレーム・ブリュレ、ナタデココ、タピオカと次々にブームを生んだが、それは、椎根和編集長の直感による部分も大きかった。

椎根さんは、計算すると当時40代後半なので今の私よりずっと若かったのだが、ずいぶん老獪な印象で威圧感があった。何より大切にしていたのが、若い女性編集者たちの「想い」を掬(すく)いとること。お花見特集でスノーボード企画が通ったように、熱い「想い」の企画をいつも歓迎した。数人の編集者を誘って飲みに行っては、その雑談からネタを拾う。若い女性編集者が、“わいわい”、“きゃっきゃっ”盛り上がることを次々に特集にする。ティラミス特集は、まさにその例だ。

椎根さんの直感には、もちろん失敗もある。「先日、大磯を散策しました。大磯は小京都です。ぜひ特集してください」と読者から手紙が来たら、「これだ!」とさっそく大磯特集を組んだのだが、全く売れなかった(私が担当したのでひどく落ち込んだ)。売れる特集もあり、売れない特集もある。必ず売れる定番の特集(銀座特集、横浜特集など)ばかりでは、コンテンツはジリ貧だし、いつも新しいネタを探し、時には冒険する号もあってもいい。冒険する号は失敗も想定のうえ、トータルで売り上げを伸ばす、メディアとして支持される、そのバランスが大切だ。これは、webメディアでも同じことで、編集長と呼ぶかどうかは別として、その役割は必ずあったほうがいい。

話を企画会議に戻そう。個々が提出した企画は、企画会議を経て動き出す。自分が思っていた「A」という形ではなく、ブレストによって、あるいは、編集長によって「A'」に変形したりする。「A」という企画が通らなくても、「B」という企画に吸収されることもある。

ビジネスのプロジェクトになると、個人が提出した「A」という単体の企画が通る、通らないではなく、「A」も「B」も形を変え、社内の他部署にフィードバックをし、コンテンツ会議から新たに「C」を生む規模になるだろう。だからと言って、個々が「A」や「B」を考えず、手ぶらで会議に臨んでは「C」は生まれない。

さらに、企画会議以降は、「縛り」がつきまとう。予算、スケジュール、スタッフ、クライアントなど、雑誌も含めビジネスである以上、制約があるのは当然だ。「いい企画なんだけど予算がなくて…」「それはスケジュール的に無理ですよ」「クライアントの了解が得られない」といった時、どうするか。「縛り」の中で、企画をどう実現させるか、「アイデア」や「工夫」が企画力の大事な要素といえる。

実際には「縛り」、例えば予算規模をわかった上で考えることも多いので、最初から現実的な企画になりがちだが、それでは、それこそコンテンツがジリ貧になる。「縛り」を意識するのは企画が動き出してからのほうがいいと思う。

『Hanako』でも90年代後半になると経費節減で「ロケハンをしすぎないように」方針が変わり、2000年以降は「ネットで当たりをつけてからロケハンする」「ロケハン代は月いくら以内」と変わっていった。「ロケハンしないで店が選べるわけがない」と文句を言うのは簡単で、「では、どうするか」を考えるのが編集者の腕の見せどころ、頭の使いどころだ。数年前、編集者が何軒もロケハンできないのならば…と実際に食べているブロガーにリアルな情報を提供してもらうネットワークをweb上で作ろうとしている若い編集者がいると聞き、「さすがデジタル世代!」と頼もしく思ったが、例えばそういうことだと思う。

今の時代、企画を実現させるための「アイデア」や「工夫」は、テクノロジーから生まれることが多く、編集者がテクノロジーを、技術者が編集意図を相互理解する重要性はますます高くなるだろう。

企画会議を経て企画が動き出すと、編集者も動き出す。企画を考えるまでが「静」だとすると、スタッフと打ち合わせしたり、取材、撮影をする「動」の作業。企画を考えるまでが「個」だとすると、「チーム」の作業。(レイアウト、入稿、校正と再び「静」と「個」の作業になる前の)アドレナリンが出る、一番、楽しい段階かもしれない。「いい取材だったなー」「楽しい撮影だったなー」と言ったあと、「これで入稿さえなければ‥」というのは、多くの雑誌編集者のあるあるだ。






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フリー編集者、コンテンツディレクター。マガジンハウスで『anan』『ポパイ』『Hanako』『ターザン』『Casa BRUTUS』など雑誌や書籍の編集を30年間していました。ヨガや瞑想などライフ・プラクティスの探究と、日本語教師を入り口に教育と社会に関わることが今のテーマです。

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