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「想い」がコンテンツをつくる

コンテンツをつくる時に一番大切なものは「想い」だ。

「当たり前じゃん」と思うかもしれないが、「想い」のないまま発信されているコンテンツのいかに多いことか! 「この商品、何がいいんですか」「◯◯とどう違うんですか」と聞いた時に、担当者から熱い「想い」が溢れてくるか。その“明確な”強い「想い」さえあれば、それ以外のことは、どちらかというと技術的なことになる。

「想い」のないまま発信まで進んでいくプロセスを見ていると、「商品開発コンセプト」「競合商品との差別化」など、早い段階から、きちんとした資料が作られ、そのシェアが逆に「想い」を邪魔をしていることもあるように思う。「想い」はまず個人から始まるもので、個人から個人へ、チームのメンバーに、そして対象となる大勢に伝播していく。個人が「想い」を明確にしないまま、図表化された資料を共有して、いかにも自分の「想い」のように進んでしまうことはないだろうか。

個人の「想い」といっても、2通りのパターンがある。

まず、aパターンは、「想い」ありきの場合。自分の本を出したい、この商品に社運がかかっている…、中小企業や個人には「想い」ありきの人が多いかもしれない。ただ、「想い」が強ければ強いほどコンテンツ化が上手くいくとも限らない。「想い」が強すぎると空回りしたり、人に伝えきれず自己満足に陥ったりする。なので、頭の中の「想い」を冷静に考え、言語化することが必要になる。

ここで少し思い出話。昔の雑誌はほぼすべての企画が「想い」ありきだった。今一番興味があること、自分が取材したくてたまらないこと、どうしても会いたい人を企画として提出し、それが通るとページを作る。

90年代前半、『Hanako(ハナコ)』にいた頃、「一泊二日でお花見の旅」特集が回ってきた。スノーボードに夢中だった私は、全然お花見の旅ではないのだが、「残雪でコソ練して、この冬はスノボデビュー!」という企画を出し、それが通った(うれしかった)。「こんなに楽しいスノーボードという遊びを読者に紹介したい想い」でいっぱいだった。いつも料理撮影をしているカメラマンと慣れない雪山撮影を敢行し、ハーフパイプで遊んでいた地元の男の子に声をかけ何度も飛んでもらった。ハウツー、ゲレンデ、ギア紹介など、たった4ページに異常なまでの労力をかけた。「想い」を整理できていなかったので、あれもこれも詰め込みすぎ、専門誌に比べるとずいぶん拙い出来だったと思う。その年の冬、定例の取材である企業の広報のかたと話していたら、『Hanako』を見てスノーボードを始めたと言う。びっくりして「私が担当したんです!」と伝えると、「きれいな桜の写真が続く1冊に、あの4ページは浮いてましたよね(笑)。でも、あれがきっかけなんですよ。最初の写真が印象的で」と言われた時の飛び上がるぐらいのうれしさは今でも忘れられない。こういう体験のひとつひとつが編集者の自信になる。

私のスノーボードだけではなく、それぞれの編集者が時に勝手な「想い」ありきの企画を出し、その集合体が当時の『Hanako』だった。横浜中華街全店食べ歩き、ティラミス特集、ブランドお家騒動の裏話、競馬予想、辛口劇評などなど、かなりの凸凹はあっても、今思うと1冊の熱量は半端なかった。個人の「想い」は必ずページに表れ、熱量が読者に伝わり、相乗的に熱狂を生む。だから『Hanako』は次々にブームを生み、雑誌そのものが支持されていたわけだ。

さて、話は戻り、「想い」ありきの、aパターンが能動的企画だとすると、bパターンは受動的企画の場合。企画を振られたものの、その企画に「想い」がない人。「想い」がないというと悪いことに聞こえるが、分業化されている大企業では往々にして初期段階では「想い」がない。開発を担当した人は「想い」があっても、営業の人、web制作の人、店舗の人まで「想い」が共有されていない。自分がその立場である時は、何らかの方法でイメージを明確にして、「想い」が生まれるまで考える必要がある。

aパターンの場合は、「想い」を言語化するために、bパターンの場合は、「想い」が生まれるまで、とにかく、「考える」ことから始める。考えて、考えて、考えて、最終的に、明確な、そして強い「想い」を持つこと。この作業が労力的にも時間的にも、コンテンツをつくる半分か半分以上だと思う。「想い」が熟するまで、しっかり取り組むと、そのあとの作業は自ずと決まってくるので、流れに乗るだけになる。

最近の雑誌は、売れる企画を何度も繰り返すことも多く、昔の雑誌ほど新しい企画が通らない。振られた企画、つまり「想い」がないbパターンで「またか」と思いながらルーティンとしてこなす。もちろん私も経験のあることなのだが、「想い」がないまま作っても、編集者自身が楽しくないし、読者に届くページにならないのも経験済みだ。編集者は一緒に動くライター、カメラマン、デザイナーらスタッフに「想い」を伝え、スタッフも「想い」を持ってページをつくる。厳しいことをいうと、雑誌を作る過程に、「想い」の希薄な人が入ると、それだけで上手く行かない。

これは、今のwebメディアでも見られることだ。ライターやカメラマンが現場で何を取材撮影すればいいのかわからない。例えば、「3000字前後」「2パターン、5カットぐらい」などと指示はあるものの、自分の記事や写真がどういうふうに使われるのか全体像が見えないまま動いていて、どう使われてもいいような凡庸なものになってしまう。「メディアの方向性がわからない」「もっと冒険したいのに」などと嘆く声も聞く。指示を出す編集者の「想い」がないか、少なくとも「想い」を伝えていないから。なぜその取材なのか、何を見せたいのか、編集者と「想い」を共有できていれば、同じライター、カメラマンでも、もっと特徴のあるコンテンツになるはずだ。

考えて、考えて、考えて、“明確な”強い「想い」を持つことから、コンテンツづくりが始まる。


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