取材は特別なことじゃない
下取材で大切なこと、聞きたいことを聞き出す、インタビューのダイナミズムと取材力について書いてきた。取材というと、編集者やライターじゃないから関係ないと思われがちだが、実は、すべての人が普段やっていることで、すべての人に必要な技術でもある。
2か月前、ものすごい勢いで拡散された島田彩さんの記事「今週末の日曜日、ユニクロで白T買って泣く」が、とても面白かった。
この記事で、島田彩さんがR君にしたことが、まさに「取材」だと思う。島田彩さんの取材力によって、R君自身がユニクロを志望する動機を見つけることができた。本人がそれを動機だと気づいていなかった動機を引き出したのだ。
これは多くのビジネスシーンで見られることでもある。会社の上司が何を求めているか整理する。コンサルタントはクライアントの売りを引き出す。PRの部署は商品開発の部署から制作秘話を探る。すべて、必ずしも相手がスラスラ答えられるわけではない。時には本人が気づいていないことを引き出すのが取材の力だ。
日常にも取材は多い。親が子の本当にやりたいことを知る。魚屋さんで今日一番おいしい魚を聞く。レストランで秘伝のレシピを聞き出す。すべて、必ずしもストレートに質問して答えてくれるわけではない。別の話題から入るのか、具体例を挙げて話しやすくするのか、相手の表情や雰囲気で答を知るかもしれない。
このように、取材というのは日常のコミュニケーションそのものなので、どうしても得意不得意がある。誰とでもすぐ盛り上がる会話上手は取材も上手だし、人との会話が続かない人は取材でもいい話を逃してしまう。親しみやすい社交的な人は、ぶっきらぼうで近寄りがたい人より断然アドバンテージがある。企画力、発想力、表現力、文章力、デザイン力…、編集力の他の要素と比べても、取材力は練習してすぐにアップするものではなく、なかなか難しい技術だと思う。
しかし、取材に決して苦手意識を持たないでもらいたい。
昔、取材に〈SEE NOTE〉というノートを愛用していた。そのメーカーがなくなってしまった時は悲しかったが、表紙にこんな言葉が書いてあった。
Nature has given us two ears,
two eyes, and but one tongue;
to the end we should
hear and see more
than we speak.
「自然は私たちに、2つの耳、2つの目、1つの舌を与えました。だから、私たちは、話す以上に、よく聞いて、よく見なければなりません」というソクラテスの言葉だ。取材についていえば、まったくその通りで、いつも自戒の念を込めてノートを使っていた。話が上手でなければ、その分、よく聞いて、よく見る。何より、聞きたい、見たいと相手に強く興味を持つこと。その人、その話題に好奇心を持てば、知りたいことが次々に出てくるはずだ。
そして、とにかく取材の数をこなすこと。取材がコミュニケーションそのものということは、社交的ならいいというわけでもなく、人それぞれで相性もある。数をこなすうちに自分なりの成功パターンが生まれ、自信が出てくる。繰り返しになるが、取材に苦手意識を持たず、むしろ、「取材、大好き」と思い込んで、どんどん場数を踏んでほしい。取材は特別なことじゃない。
とはいえ、私自身も、「あれは参った」と思う取材はいくつもある。『Tarzan(ターザン)』で大物女優Kさんにカラダづくりについてインタビューをした時だ。とにかく機嫌が悪く何も答えてもらえなかった。何か機嫌を損ねることがあったかライターと何度も振り返ったが理由は今でもわからない。ライターが質問すると「質問の意味がわかんなーい」と言われ、いくら言葉を変えても「何言ってるかわかんなーい」と返される。インタビュアーは1人のほうがいいと思っているので普段は口を挟まないが、たまりかねて私も質問をした。それでも同じことで、「別に」「特に」と、まるで取りつく島がなかった。さすがに女優だけあって、撮影だけは思いっきり笑顔でいい写真が撮れたのだが。
強烈に印象に残っている取材は、30年ほど前、『Hanako(ハナコ)』のエンタメページで『不知火検校(しらぬいけんぎょう)』の舞台を控えた故勝新太郎さんにインタビューをした時だ。ライターとカメラマンと3人で取材場所の事務所に行った。約束の時間を過ぎても、勝さんは戻って来ず、私たちはじりじりとしながら待っていた。マネージャーさんが、前の現場が押している旨を伝えてくれるが、そのまま30分過ぎ、やがて1時間が過ぎた。たまたまライターもカメラマンも次の仕事がなかったこともあり我々は待ち続けたが、編集である私はライターやカメラマンに申し訳ない気持ちになった。さらに30分、1時間…。
約束の時間から2時間が過ぎた頃、勝さんは戻ってきた。戻ってくるやいなや、「遅くなった」の一言もなく、インタビューに答え始めた。そう、質問をするかしないかのうちに、不知火検校について次々に語り始めたのだ。それも、身振り手振り、立ち回りを見せながら、「いいかい、不知火検校ってのは、目が見えないだろ。普通は刀剣をこう構えるんだ。でも目が見えないから、こうやって、こう。わかるかい」と。悪行の限りを尽くす盲人の何に惹かれ、それが自分とどう関係するのか、息もつかずに話す勝さんの周りをカメラマンは手持ちのライカで撮ってまわった。
話の途中、そのカメラマンに目をやると、勝さんはヒョイっと杯を傾ける仕草をしながら「イケる口だろ。一杯やるか」と声をかけた。いえいえ、仕事中ですからと恐縮するカメラマン以上に、マネージャーさんが「次がありますから」と焦っていたが、それでも「酒、あっただろ?」と言う勝さんを見て、社交辞令ではなく本気で言っていることがよくわかった。結局、酒は飲まなかったが、講談のような話は1時間以上も続き、また、マネージャーさんが焦りながら、「そろそろ…」「次がありますから…」と勝さんを引き剥がして連れて行くような形で終わった。
これぞ、豪放磊落(ごうほうらいらく / 度量が大きく些細なことにはこだわらないという意味)! 私たちは呆気にとられ、同時に、言葉にならないほど深い感動の中にいた。時間などという概念を超越した存在。たった3人の取材者に一生懸命語る勝さん。取材者に語るというより、その目は不知火検校を見つめていたのかもしれない。芸能というのはこういうことなのかと思った。一般社会とはまるで違う、芸能界というのはこういうところなのかと。
取材は特別なことじゃない、日常のあちこちにあるんだ、ということを書きたかったのに、よりによって超特別な故勝新太郎さんのインタビューの話になってしまった。