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【自己紹介】「やりたいことをやる」ができる人を育てる

今日は自己紹介noteのようなものを書いてみようと思う。最後に書いたのは3年前。もう少し手短にポップな感じで。

↑6000文字近くある。長い文章が読めない人は読めないらしい。


やりたいことをやる。どうやらこれが難しいらしい。

まず、やりたいことがわからない。やりたいことがあったとしても、それが現実的にいけるものかどうかがわからない。で、いざやれる!ってなったときに「やる!」を選択できない。そもそもやりたいことがあるのかどうかすらわからない。

当たり前のようにやりたいことをやるためにはある程度の慣れが必要だと考えている。それは「やる」ことでしか身につけられないだろう。

そして、「やりたいこと」というのは日々生まれてくるものではあるものの、それに「無理だ」と蓋をすることが当たり前になってくるとなかなかいざってときに出てこない。

これが僕の基本方針で、これにあった活動やワークショップが中心となる。

みんなが素直になれて活躍できる場をつくる仲間をふやす

もともとのミッションがこれだった。

高校生の頃、学校も部活もあんまり楽しくなかったり、親が帰ってくるのが遅かったりと居場所のない3年間を過ごしていた。

そこで「外」に出ることで正気を保った。

外には自分が活躍できるフィールドがあり、しかしそのコミュニティだけに依存はしない。まるで高校から大学に入ったときのような、自分の興味や趣味で繋がれる楽しさを感じることができた。

でも、結局自分が本当の意味で落ち着くことができたのは一人暮らしを始めて、自分自身でコミュニティを持ち始めてからだと思う。5畳半の狭いスペースに友達を呼んで宴を開き、ワークショップをし、いろんな旅人を出迎えながら自分にとっての居場所を自分の手で築くことができるようになった

ちゃんと一人ひとりが自分の本当の願いに気づき、そういうフィールドを自分で作り出せることができたならば、居場所がなくて困る人はきっといなくなるだろうと考えた。

そのために、「みんなが自分で自分の居場所をつくる力を持てる」ことを目指して、教育の道に進む。

しかし、願いは叶ってしまったのだ。

メタバースやオンライン上で誰でも「居場所」を作れるようになったからだ。

100以上のコミュニティを見て気づいた居場所づくりの「弱点」

世間で言うところの「居場所つくり」には一つの大きな弱点が存在している。

それは居場所であることによって、何者かのためだけの居場所になってしまうこと。

↑詳しく見たい人向け

これはもともと僕自身がコミュニティをつくり、いろいろなコミュニティに関わってきたからこそわかることではあるが、居心地が良いばかりにその居心地の良さを守るために必ず排除が起こってしまう。それは仕方がないこととは思うものの、居場所の中に「序列(スクールカーストのようなもの)」ができてしまうことで上位のカーストの人たちでその居場所が独占されてしまうこと。屋上を占拠するヤンキーを想像してもらえればわかりやすいだろう。あるいは治安維持が独裁の方向に向かうと、オウムのサティアンのような歪んだ正しさのはびこる悲劇が起こりかねない。

「正しさ」戦国時代、残された人類のやること。

どのような居場所であっても「正しさ」がそこにある。今の時代は無数の「正しさ」の巣が乱立し、それが電子の掲示板上で同列として、あるいは何かしらのアルゴリズムによってまるでそれが唯一の世界であるかのように見せられてしまう。これからの時代、BotやAIでその流れはより加速していくだろう。

「正しさ」は規範を示す。しかし、その規範が無限に出てくると必ずどこかで矛盾する。右に行くのも左に行くのも「正しさ」によってNo!と言われたのであれば、私達は何もできなくなってしまう

逆に言えば、そんな世界だからこそ何かをやるというのは非常に目立つことなのだ。人間の本能で、集団の中で浮いた存在は何かしらの形で排除される。それを本能でわかっているからこそ、私達は何かをやることが難しくなってきている。

「やりたいことをやる」「好きなことで生きていく」

ヒカキンが1日に3時間程度しか寝てないなどyoutuberが意外に大変な職業であることに薄々みんなが気づいた以上、これは古い概念になってきたかもしれない。

しかし、AIが人類の「仕事」を肩代わりしてくれるようになってきている時代だからこそ、人類にのみできることは「幸せに生きること」と「やりたいことをやること」だけになってしまった。

「『やりたいことをやる人』を育てる」ために活動していること

例えば何かどうしても行きたい場所があったとして、そこが自分のいる場所から離れているとしよう。

親の車や新幹線・飛行機しか乗ったことない人は「お金がない」「連れて行ってくれる人がいない」と考えてそれを諦めてしまう。

しかし、その目的地まで自分のお小遣いの範囲で、あるいはヒッチハイクだけでいけると自信を持っていたらちょっと自転車で出かける感覚でその場所に向かうだろう。

18きっぷ遠足という企画ではそんなノリで小学生のうちに「移動ってそんなにコストかからない」だったり「電車に5時間以上乗って旅したことがある」という経験を届けています。

生成AI活用型学習塾・ミLAIラボではなにか未知のものに出会ったときに、自分の力で調べて取り組めるようにするため経験を届けています。

シェア実家の活動では僕自身がいろいろな人に出会うために、また日常の中に帰る体験を届けています。


自分の芝生を繁らせよう。

現代社会の課題は「やった気」になるコンテンツが大変に多く、それを追いかけているだけで無限に時間が過ぎていくことになる。

NetflixやPrimeでは毎日新しいアニメやドラマが更新される。youtubeやtwitterでは有用そうな情報や真理っぽい情報がたくさん流れてくる。

どれだけ心が動かされても、どれだけ知識が身についたとしても、それを実行して見る前に次のコンテンツに手を出してしまう。このサイクルから抜け出さなければ、私たちは「ただ知っているだけの人」に成り下がる。

知っているだけでは、手元に残らない。隣の芝生が青いことを知るばかりで、自分の家の芝生は一向に放置されたままな状態である。

そんな状態なもんで、今は誰かの炎上が大変な娯楽になっている。いわば、隣の芝生に火炎瓶を投げ込む行為だ。

そんなことばかりしていては、どこもかしこも焼け野原になってくるから、一人ひとりが自分の芝生を青くすればいい。

一人ひとりが豊かな人生を過ごせるように、自分の人生を豊かにしていく一歩を踏み続けることが必要なのではないかと思う。


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大学2年生のときに東京から日光まで自転車で行ってみたことがある。

いつもどおり自転車を漕いでいるだけなのに、交通費無料で旅をすることができた。

5畳半の自分の家からワークショップ活動を始めたものの、参加者が満足そうな顔をして帰っていくのを見て「自分はやれる」と確信できた。

これらの体験がとても大きく、どんなに難しいことであっても小さく始めて、ちょっとずつ積み重ねていけば案外できないことはないことに気づいた。

僕自身、かなり臆病なので自分の中で行けそうだなと思ったことばかりやってはいるものの、それだけでも随分遠くまで進むことができた。

そのちょっとずつを一緒に体験することで「できる」を育む。子どもでも大人でもそういうことを続けていければいいなと思う。

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