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「お腹へった」って愛おしい|ごはんコラム@HARAPEKO Cafe(ハラペコカフェ)-前書き-

 今朝起きて一本の海外ドラマを観た。それはいわゆるヒューマンラブストーリーで、説明書きを見ると「ニューヨーク・タイムズ紙の人気コラム『Modern Love』に実際に投稿されたエッセーに基づく、愛の喜びや苦悩についてのユニークな物語」と書かれていた。

 これまで海外ドラマはほとんど観たことがなかったのだけれど、3話目ぐらいだったか。躁鬱病に悩む女性の恋愛談の回を見ておいおいと泣いてしまった。不意をつかれたか、少しずつ日が入り始める早朝の部屋でのこと。

 そもそもこのドラマを観始めるきっかけとなったのは、あるクラフトビール屋さんのカウンターで出会った一人の男性からの紹介だった。さほど話したこともない、大らかで朴訥とした雰囲気の彼。今までに何度か常連さんを挟んで座ったことがあって、その度に彼の低くて優しい声が心地良かった。

 特に物珍しい流れということでもなく、先日たまたま隣に居合わせた時に「おすすめおしえてくださいよ」なんて馴れ馴れしい距離の詰め方をしてしまった訳だ。でも、少しだけ期待していた。これまで得た数少ない情報からでも「なんとなく好きな人」だというのが分かっていたから。

思いも寄らない人物との友情。失恋のやり直し。転換期を迎えた結婚生活。デートとは言えないかもしれないデート。型にはまらない形の家族。

 それは「愛」の話だった。きっとレンタルビデオ店でこの一節を目にしても、特に心が動くことはなかっただろう。そもそも自分はいわゆる「ラブストーリー」というものを遠ざけてきた節があった。なんだろう、今振り返ればきっとよく分からなかったのだと思う。殊に「愛」というものに関して。

 あの夜、クラフトビールを傾けながら話す彼のレビューは、公式ページのそれとは全く違うものだった。確か「一話完結で気軽に観られますよ」と言った程度。遠慮深く伏し目がちに話す彼の言葉に妙な安堵感を感じたのだった。

 自分を挟んで隣には彼のパートナーが背を向けて座っていた。カウンターのスタッフや常連客同士で楽しそうに話しているのを時折眺めながら「わりといいドラマですよ」と話す彼。何でかわからないけど、さっきの期待は的中したと思った。

今まで心を押し潰していたゾウの足が一本無くなった気分だわ 
 自身の躁鬱病を友人に打ち明けた主人公の言葉が何故だか頭から離れなかった。もちろん吹き替えの台詞であるから、実際のニュアンスとは少し違うのかもしれないけど。友人の黒人女性は「やっと全てが繋がった。ずっとあなたのことを知りたいと思っていた」と答えていた。

 “愛の喜びや苦悩についてのユニークな物語”と承知していた手前、てっきり恋愛が主題の話ばかりだと思っていたけれど、どうやらそういうことでもないらしい。「愛」とは何なのだろう。確かその話の邦題は「ありのままの自分を受け入れて」だったと思う。

 ひとしきりずるずると鼻をかむと、空っぽなコップみたいな気持ちになった。おまけに珍しく早起きをしたせいか、ひどく空腹状態にあることに気付く。いそいそと寝癖を整えている頃には「愛だなあ」なんて呟いてみたりして。全くおめでたいやつである。

 慌ててラーメンをすする11時半。家を出る時にはあれだけ浮かれていたのに、食べ始めてしまえばあっけないものだ。そう言えば仏教用語における「愛」というものは『愛欲』『愛執』といった意味らしく、様々な物事に対する強い欲望を指す言葉なのだとか。すなわちその世界線では、卑しく戒めなければならない類のもの。

 どうやら今朝自分が愛し焦がれたのはこのラーメンだったようだ。素の味がわからなくなるぐらいコショウをふりかけて、ほとんど飲むようにして腹の中に押し込めていく。せめて今だけは、ニューヨーカーたちの「LOVE」に浸っていたかった。ひとえに風の前の塵に同じ。

 「久しぶり」の人に会いたくなった。いつもそうだけれど、誰かと急接近した後は少しだけ胸焼けがする。だからそんな時は決まって、ふと頭に浮かぶ人や場所に迷いなく足を運ぶようにしている。ご都合主義も甚だしいけれど、今のところそれが自分のバランスの取り方だ。

 ラーメン臭いげっぷを飲み込みながら車を停めたのは「ハラペコカフェ」。お昼時で忙しいだろうに、満腹の男が長々と居座ってしまうのは大変恐縮である。そう、長々と居座ってしまうのはもう決めている。アキさんはお元気にしているだろうか。いつも「ゆっくりしてってね〜」とは言ってくれるけど、迷惑に決まっている。だけど行きます、久しぶりに会いたくなったので。

 中を覗くとどうやらまだ空席は残っている。ガラス張りのお店の前に立つ時はいつも少しだけ緊張するもの。ドアに手をかけるまでの刹那、少し変な口の形をした自分の顔が窓に映り込む。カウンターにいるであろう店主の姿はまだ見えない。

Photo by FLOATmagazine


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