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息を呑むほどの景色と二郎

 日曜日、何もすることが無かった私は、同じく何もすることが無い友人を遊びに誘った。類は友を呼ぶとはよく言ったもので、私の周りには暇な人間が多い。前日の夜中に誘っても来てくれるのは嬉しいが、少し心配になる。私が誘っていなかったらどうしていたんだ。もっと充実した休日を送ってほしい。
 しかし同様に、彼らも私のことを心配していることだろう。相互的に自分を棚に上げている私たちで、いつか人間ショップを開こうと思う。既に棚はパンパン、準備は万端だ。

 朝早くに集合し、行く場所について話し合った。目的も無く集まると、無性にシーズンものの体験をしたくなる。桜を観に行ったり、海に行ったり。とはいえ、私たちの本当の目的は「車内での会話」であり、別にどこでもいい。適度に遠い場所に向かうことが重要だ。
 今は丁度紅葉のシーズンなので、例に漏れず紅葉狩りに行くことにした。心の赴くまま向かったのは群馬県の吾妻峡。詳しい情報はわからないので、以下に説明文の引用を貼る。

吾妻渓谷は、吾妻川に架かるふれあい大橋から新蓬莱までの約2.5キロメートルにわたる渓谷です。大昔に火山が噴きだした溶岩を、川水が深く浸食してできたものと考えられています。
  両岸に生い茂るカエデやクヌギ、アカマツなどがすばらしい景観に季節ごとの彩りを添えます。特にミツバツツジの咲く4月中旬、新緑におおわれた5月、紅葉の美しい10月下旬から11月上旬にかけてが、渓谷探検に最高のシーズンです。

東吾妻町HPから引用

 本当に綺麗だった。
 今までワイワイと歩いていたのに、見えた瞬間全員が息を呑み、私たちはただただ景色を凝視する。
 黄色や赤色の葉が茂り、その奥には紺色の川が止め処なく流れている。数時間前に雨が降っていたからか、空気はずっと澄んでいて、濡れた岩がキラキラと光っている。静寂の中に水が弾ける音だけが響き、細かな粒子が体に当たるのを感じる。壮大さ、鮮やかさが五感を通して伝わってきて、畏敬の念すら抱いた。
 橋の上から眺める景色は、私の人生では最も美しいと言っても過言ではない。

 そして吾妻峡の凄いところは自然だけではない。もう一つの見どころとして、八ッ場ダムがある。あれも本当に凄い。ダムってすっごく大きい。
 もう大きいという言葉では言い表せないくらい大きい。山の中をひいこらと歩いた先に、ビル約三十階分の壁が一面に立ちはだかるあの感覚は、絶望に近いものがある。明らかに自然の中では異質で無機質な建造物に、どこか違和感と、そこはかとない魅力を感じる。当然息を呑んだ。
 また、丁度放水していたのも良かった。凄まじい量の水が川へと注ぎこまれ、立ちあがるミストが私たちの身体を包む。十秒程浴びていると、シャワーの後くらいびちょびちょになった。ダムって冷たい。

 私の文才では全くと言っていいほど魅力を伝えきれていなくて歯がゆいが、吾妻峡と八ッ場ダムの話はこのくらいにしておこうと思う。ほんとにすっごいすごかった。
 「息を呑む」なんて、現実では起こりえないと思っていた。あれはあくまで文章表現の域を出ない、或いはかなり大袈裟な表現であって、実際に経験することではないと決めつけていた。しかし、本当に素晴らしい景色を見たら、人は絶句し、感動し、息を呑むのだ。吾妻峡についてから、息を呑みっぱなしだ。いい加減酔ってきた。半ば強制的に体内に注入されたアセトアルデヒドが分解できない。

 自然を堪能し、満足した私たちは車に戻った。いやあ、本当に来てよかった。そんな話をしていると、友人の腹がぐうと大きくなった。
 そういえば、もう十四時だというのに飯を食っていないことに気が付いた。当然お腹はペコペコで、何を食べるか話し合う。
 折角群馬に来たんだから、群馬らしいものを食べたい。下仁田ネギや、麦豚、焼きまんじゅうなど群馬には美味しいものが沢山ある。私が嬉々としてスマートフォンで検索していると、友人がぽつりと呟いた。「二郎、食べたくね?」

 二郎。それはどろどろの豚骨スープと極太の麺、分厚過ぎるチャーシュー、そしてこれでもかと乗せられたもやしと背油で構成された、極悪ラーメンである。
 友人は二郎が大好きだった。毎週のように様々な二郎系ラーメンを食い、関東の二郎(インスパイア含め)の完全完飲制覇を夢見る、健全な男の子だ。私も何回か彼の食事に付き合ったことがある。
 そんな彼が、群馬で一番美味しいと評判の二郎系ラーメンを食べたいと口走った。世俗から離れた素晴らしい景色を見た後に、よくそんな世俗と脂にまみれたものが食いたくなるなと罵りたくなったが、ぐっとこらえた。
 ……確かに、悪くない。一年以上食べていなかったが、あのジャンク感を体が欲している気もしてくる。考え方を変えれば、自然にあてられた体の酔い覚ましに丁度いいのかもしれない。久しぶり過ぎて食べきれない可能性もあるが、チャレンジするなら今日だ。
 私たちは彼の提案にただ頷き、群馬の超人気二郎「大者」に向かった。

 店につくと、五人ほど並んでいた。列を乱さないよう、後ろにびたりとついて並ぶ。三十分ほどすると、店内に招かれた。
 食券を買い、席につく。……緊張してきた。本当に、私は食べきれるのだろうか。景色で胸はいっぱいだから、もう胃に詰め込むことは不可能な気がする。
 そんな不安と戦っていると、店員に「トッピング?」と尋ねられた。私は大きな声で「にんにく、アブラ、カラメ」と答える。
 店員さんが「どうぞ」と私の前に丼を置く。馬鹿でかいチャーシューに、大量のもやし、座布団のような背油。
 想像を超える量に、私は思わず息を呑んだ。

こんなところで使うお金があるなら美味しいコーヒーでも飲んでくださいね