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マカロン、上から見るか?横から見るか?

 昨夜、チョコチャンクスコーンを焼いた。ホットケーキミックスとバター、牛乳、チョコレートを混ぜるだけでいいので、作業はすこぶる簡単だ。手軽で紅茶にも合うし、その上うまい。私は文句なしのこのおやつを、三ヶ月に一度くらいの頻度で作っている。
 私はデザートならシンプルであればあるほどうまいと思っている。デパ地下の洒落た店なんかに行くと、やれビシソワーズがなんだとか、やれラム酒を効かせましたとか、他店との差をつけるべく様々な工夫を凝らしているが、あんなことをしてどうなるというのだ。別に他の店と同じでいいから、シンプルに砂糖と小麦粉の塊を出してくれ。スコーンにしろ、マフィンにしろ、ワッフルにしろ、クッキーにしろ、私の満たしたい欲はあくまで「甘い小麦粉を食べる欲」なのであって、変化球を求めているわけではない。頼むから毒々しい見た目にしたり、酸っぱい味を加えないでほしい。
 チョコに関しても、チョコそのものを加えるのはいい。しかし、溶かしたチョコを生地に練り込むのはご法度だと思う。全体的にくどくなるし、私は口に入れた時のチョコの有無による差異を感じたいのだ。チョコが乗っている箇所を齧りたい時もあれば、何もない素朴な味を楽しみたい時もある。そういった違いを一度に楽しめるものこそ至高のデザートというものじゃないのか。最初から最後まで味が同じなんてつまらない。

 デザートといえば、本日十月九日はスポーツの日でもある上、マカロンの日でもあるらしい。

マカロンを立てて横から見ると「1」に見え、横に寝かせて置いて上から見ると「0」に見えることと、マカロンの美味しさは幸せの吉兆であることから勾玉を連想し、その形が9に見えることなどの見立てにちなんで、全日本マカロン協会が10月9日に記念日を制定しております。

10月9日は何の日?記念日、出来事、誕生日などのまとめ雑学から引用

 無理やりにも程があるんじゃないかと思うが、とにかく今日はマカロンの日だ。とはいえ、打ち上げ花火を下から見たり横から見たりする話は知っているが、まさかそれよりずっと前に、マカロンを横から見たり上から見ていたとは。
 それと「マカロンの美味しさは幸せの吉兆であることから勾玉を連想し、」ってなんだ。連想しない。マカロンの日を制定した全日本マカロン協会の人間は「このマカロン美味いな…… 幸せだ…… はっ! この幸せの吉兆は、勾玉!」となったとでもいうのか。絶対にならない。勾玉とマカロンは全く関係ないし、「勾玉の形が9に見えることなどの見立てにちなんで」じゃない。それはもはや勾玉の日だ。ちなまないでほしい。

 でも、マカロンは好きだ。もったりしていて、小さいのに食べ応えがあるのがいいし、味もたくさんあって飽きない。ピスタチオやカシス、シトロンなどの鮮やかな色に目を奪われ、ショーケースを見ているだけでワクワクする。高いのが難点だが、だからこそ食べる機会も少なく、その時々で毎回感動できる。マカロンうますぎる。最初の方で主張した論とは真逆のことを言っている気がするが、マカロンがうますぎるのが悪い。
 ああ、なんだかマカロン食べたくなってきたな。でも、家中探しても当然マカロンはない。大量のチョコチャンクスコーンがあるだけ。ふう。とりあえずこいつらを全部食べ切ったら、改めてマカロンを買いに行こう。その時にはマカロンの日はとっくに過ぎているだろうが、仕方がない。
 昨日スコーンを焼いた私を呪いたい気持ちが沸きつつあるものの、今日はこれで我慢しよう。ここで昨日の自分を悪く言うのは少し可哀想だ。
 私は慈悲の心で昨日の私を慰めながら、チョコチャンクスコーンを齧った。うん、美味い。こういう素朴な味を休日の午後に楽しむのも、また幸せというもんだ。……幸せ? この幸せの吉兆は…… はっ! 勾玉!

 
 

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