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9の顔して6のやつ。それがチーズ。

 暖かい春の日差しの中、いかがお過ごしだろうか。野呂です。
 私は先ほど300円を超えた卵(10個入り)を買うか買うまいかで数分悩んだ後、結局購入したところだ。なぜ人間はたかが数十円高くなっただけで頭を悩ませてしまうのか。どうせ私の少ない料理レパートリーに卵は必要不可欠なのに。
 今回は味覚の話。味覚というものはかなり曖昧なものである。青いだけで不味く感じるし、「〇〇監修!」と知らない人が関わっているカップ麺が美味しく感じる。つまり、美味いか否かという問いに対し、味覚は絶対的な判断を下すのではなく、必ず他の五感や過去の経験(体験)を考慮した上で決定するのだ。
 とまあ誰でも知っているような言葉をつらつらと並べてみたが、そんなことが伝えたいわけではない。私は「視覚やイメージが暴走し、過大評価されすぎている食材が存在すること」に文句を言いたいだけだ。

 先日会社の同僚Aと夜ご飯を共にした。場所は創作料理や豚串がメインの居酒屋で、なんでも美味しいお気に入りの店だった。
 「おい、これ頼もうぜ!」
 鼻息を荒くした彼が指差すその先には、「イベリコ豚のチーズ巻き」。
 チーズね、はいはい。そうですか。チーズですね、それは。私は彼の注文を承諾しつつも、同意を求めてこう言った。
 「チーズって9の顔して出てくるけど、6だよね」
 「は? 意味わからんねんけど」
 私の主張は一瞬で門前払いされた。こっちからすると、北海道出身のKが関西弁を使っていることのほうが意味わからんねんけど。
 説明すると、この9や6という数字は、10が「美味しすぎてオーガズムに達するレベル」として、1が「不味すぎて人生に絶望するレベル」、5が「普通すぎて明日には忘れているレベル」といったような、その料理(或いは食材)のおいしさを10段階評価した際の大まかな指標のことである。
 従って私の主張は、「チーズはあたかも『俺? 9だけど? だってみんな喜ぶじゃん。人気者だからなあ、まったく困っちゃうよ』と厚顔を晒しているが、実のところ6レベルであって、いうほど美味しくないよね」と、こうなる。
 だってそうじゃない? チーズナンとか結局みんな残すし。最初の一口は美味しいかもしれないけど、どんどんくどくなってくるし。(ちなみに私の10段階評価は、最後まで美味しく食べられる点も考慮されている。)
 にも関わらず、世間ではチーズをかける=美味いという風潮が続いている。今となっては、チーズの相棒はピザやトマトだけでは留まらない。チェーン店に赴けば牛丼、カレー、唐揚げ等見境なくチーズがかかっている。CMを見ればいつでも「チーズフェア」を開催している。リュウジが自作の料理に味の素をかけるように、びじゅチューン!のフェルメールが牛乳をかけるように、世界は何にでもチーズをかけているのだ。
 愛好家の大きい声やメディアのおかげ(?)で、チーズは全人類が大好きな食べ物だという共通認識が構築された。悪人世に蔓延るとはよく言ったものだ。彼らのせいで現代は「チーズは過大評価ではないか」と疑問を呈することもままならない社会となった。しかし! 今こそ立ち上がるべきではないか!
 チーズがそこまで美味しくないと感じている人々よ、周りにチーズ中毒者がいれば是非とも「チーズは6!」と主張してみて欲しい。
 そんなことを目の前で言われたら、私は迷わずこう答えるだろう。
 「は? 意味わからんねんけど」

 と、ここまでやいのやいの言ってきたが、私はチーズが嫌いなわけではない。再三言っているが、6なのだ。私の6は「まあまあかな。あれば食うけど、言うほどじゃないよね」だ。
 レアチーズケーキは好きだし、カプレーゼなんかも良い。ただ熱狂的なファンのせいでつけあがった、あの自信満々な態度が許せないだけだ。6なんてもずく酢や筑前煮と同じくらいなのに。
 その点揚げ物やカレーなんかは大体7だ。味も評価も7。自他共に認める中堅層。真面目で華がある料理界の大手だ。
 基本的にそういった社会の評価と味が同等な食べ物が殆どである。焼肉、寿司、鰻。どれもこれも美味いものは順当な評価を下されている。
 そして、そのどちらも完璧な食べ物が、角煮だ。
 味も評価も9。ベンチャー企業を立ち上げた社長のように褐色でてらてらと輝く油ぎった豚の塊。酒のアテにもご飯のお供にも最高だ。飲食チェーン店は一刻も早く体に張り付いたチーズをこそげ取り、「角煮フェア」を開催すべきである。
 一方で、評価はそこそこであるが味はすごく美味しい、過小評価タイプの料理も存在する。そいつらこそ私は愛していきたい。
 その中でも私の推しは、冷やし中華だ。皆冷やし中華をぞんざいに扱いすぎていないだろうか。「夏に一回食べられれば良いや」、「お母さんが休日の昼に用意するからまあ食べてやるか」とか。一度考え直して欲しい。
 大体、食べてやるかってなんだ。何様だ。用意してもらっておいてどの口が言うんだ、親不孝ものめ。
 甘酸っぱいスープにちゅるちゅるな麺。きゅうりや卵、トマトが彩り、見た目も味も爽やかで完璧な一皿。それが冷やし中華だ。それなのに、世間の評価はよく見繕っても5がいいとこだろう。納得がいかない。
 そもそも町中華に掲げられる「冷やし中華始めました」の文字を見て夏が来たことを知る、的なエモ話をよく聞くが、その中に冷やし中華を食べている輩はいるのか? おそらく答えはノーだろう。悲しいったらありゃしない。
 冷やし中華の評価を是非あげて欲しい。私は5月から10月くらいまでの間、週に1度は必ず食べている生粋の冷やしチュウカー(マヨラーやらケチャラーやらラーメンウォーカーなどの言葉があるのだから、冷やしチュウカーという言葉があってもおかしくない。はず。)である。そんな私からすると、冷やし中華は断じて5ではない。社会の判断に憤慨している。いつか、正当に評価して欲しいものだ。冷やし中華は絶対に6である。
  
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

こんなところで使うお金があるなら美味しいコーヒーでも飲んでくださいね