ぶんぶんチョッパーは鉄の処女
いつ買ったかわからないカットトマトの缶詰めが棚から出てきた。賞味期限を見ると2022年6月と記載されていたが、「こんなもの参考に値しないくせに」と思うのは私だけだろうか。たかが2、3年で、加熱殺菌され、真空状態を保っている缶詰の味が落ちるものか。世紀末を描く作品の中で、苔まみれの缶詰レーションを美味そうに頬張る彼ら彼女らの笑顔は、嘘だというのか。いや、そんなはずがない。缶のポテンシャルは私たちが思っている以上に高く、缶はいいものである。缶はいい。私は今日、このカットトマト缶を美味しく食べようと思う。
ほどなくして、冷凍庫の中にあいびき肉があったのを思い出した。いつ冷凍庫に入れたかは思い出していない。一年以内だとは思うし、そう信じたい。
そういえば、冷凍庫の中は実質的なタイムマシンであると聞いたことがある。有機物の時間的変化を止め、状態をそのままに未来へと送る。どうやらウォルトディズニーも冷凍保存されているらしいし、やはりその説は正しいのだろう。私は一年前のあいびき肉と自分に都合の良い眉唾話は信じることにしている。
トマトとあいびき肉があるのならば何を作るのかというと、それはもうミートソースしかないだろう。私の辞書にミートソースという文字以外はない。私はさしずめ雑魚ナポレオンである。ナポレオンは鼻水を袖で拭く部下が嫌でカフスを発明したらしいが、私はミートソースしか作れない。なんとも差がついてしまったものだ。
しかしまあそんなことは言えども、私とは違いミートソースは本当に優れているように感じる。あいびき肉とトマトさえあれば確実に作れるわけで、他の具材はもう何でもいい。玉ねぎは最悪無くてもいい。何入れたって美味い。日本の鍋みたいだ。フランス人もこうして冷蔵庫に眠る野菜を大量に消費してきたのだろう、日本の鍋はフランスのミートソースだ。
そう思っていたが、調べてみるとどうやらミートソースは日本発祥らしい。日本の鍋は日本のミートソースだった。つまり、三段論法を使うと鍋はミートソースであるわけだ。意味は分からない。
今回は丁度玉ねぎを切らしていたので、かぶとかぶの葉を入れることにした。「玉ねぎはないのにかぶはあるんだ」と、自分の冷蔵庫事情について我ながら不思議に思う。
冷蔵庫にはナスもあったので、それは輪切りにした。後でソースとチーズをかけて、オーブンで焼いてみよう。きっと美味いに違いない。
冷凍のままフライパンにあいびき肉を入れ、火が粗方通ったところでキッチンペーパーで余計な脂を吸い取る。あいびき肉を炒めると毎回思うが、本当に脂の量が凄い。バファリンで言うところの優しさが丁度、あいびき肉の脂の含有率と同じくらいだと思う。違うのはそれが胸に沁みるか、胸を灼くのか、どちらであるかということだけだ。
肉を炒めている間、同時進行でかぶの皮をむき、適当な大きさに切ったものをぶんぶんチョッパーに入れる。
話は脱線してしまうが、ぶんぶんチョッパーの形状が怖すぎて、洗う時が本当に怖い。全てを細切れにするために、鎌のような刃が何個もついていて、拷問器具にしか見えない。テフロンが元は原子爆弾を製造するために作られていたが、その耐熱性や非粘着性がフライパンにピッタリで、一般家庭へ急速に普及したことと同じように、ぶんぶんチョッパーが拷問器具を制作する傍らで産まれた調理器具だと言われても納得の代物だ。もう鉄の処女(アイデンメイデン)にしか見えない。ナポレオン軍は鉄の処女を使って拷問や処刑を行っていたという記録があるが、雑魚ナポレオンであるが故私は無意識にこれを恐れているのだろうか。小さくなった私がこの中に入れられてしまったらと考えずにはいられない。ああ、怖い怖い。
さらに言えば細切れにする際、取っ手を思い切り引っ張る動作が正にチェーンソーを起動するそれと全く同じで怖い。あれを引っ張っている人は何故か皆目が血走っている。正気を失い、一心不乱に何かを細切れにしているのだ。かくいう私も、開ききった瞳孔でかぶを細かくしている。まったく、人のことなど言えない。ホモサピエンスに本来備っていた残虐性がぶんぶんチョッパーを使用することで再確認できるのは、新たな発見かもしれない。
肉片に多少の焦げ目がついたところで、この手でバラバラにした野菜を投入する。ニンニクチューブと黒コショウ、それと血のように赤いトマト缶も一緒に入れてしまおう。一度はバラバラになったそれらは、フライパンの中で一体となっていく。キメラを作っている気分だ。ニーナとアレキサンダーは確かにこの中にいる。フライパンから「えど えどわーど お にい ちゃん」と聞こえてくる気がする。
ひと煮立ちしたところで、赤ワイン、コンソメキューブ、ほんだし、醤油、ケチャップ、ソースを適量入れ、そして砂糖を死ぬほど入れ、汁気がある程度無くなるまで煮込む。私を信じて欲しいのだが、ミートソースは少し和風にした方が美味い。そして、トマトの酸味が薄れるくらい甘い方が美味い。そうすることで、ジャガイモやパスタにはもちろん、米にも合う。うどんでもいいかもしれない。このソースを何かしらの炭水化物に乗せ、卵黄と粉チーズをトッピングしたら幸せの極みである。
私はさくっとパスタを茹で上げ、もったりと仕上がったソースをかけ、美味しくいただいた。トマトやかぶ等、様々な味が一体となっていて、出汁も効いており、それに加え肉もたっぷり、とても食べ応えのあるソースになったものだ。次はご飯にかけて食べよう。明日も楽しみだ。……ナスはどこに行ったって? 君のような勘のいいガキは嫌いだよ。
※ぶんぶんチョッパーは簡単にみじん切りができる最高に素晴らしい調理器具です