離別の讃歌
本好きは、本を溜める。
しょうがなく溜まってゆく。
それはもう資本家の金の如く。ケンドリック・ラマーのビートの如く。リスの頬の如く。
いつか使用するために。
欠乏の不安から逃れるために。
そして「読みかけ読書家」を標榜するのり子の机には、読みかけの本がずらりと肩を並べている。
これが、本好きの真の姿だ。
と、開き直ってみても、
これが、読書の自由さであり、私のやり方なのだ。
と、胸を張ってみても、
読みかけの本が堆積して、いいことなど一つもない。
なので、久しぶりの連休の二日目。
読みかけの本を消費することにした。
パラパラ読んだ。
消費すると簡単に言ったが、言葉を変えると、最後まで読み切ろうと思うほど面白くはなかった本や、精読はまたの機会にと諦めのつく本を、いくつか斜め読みする。
一応、中身は確認しておく程度の読書である。
そうして、
『風水|中国人のトポス』三浦國雄 平凡社ライブラリー
『平塚らいてう評論集』小林登美枝 米田佐代子編 岩波文庫
『使徒教父文書』荒井献編 講談社文芸文庫
『紙の動物園』ケン・リュウ ハヤカワ文庫
『異類婚姻譚』本谷有希子 講談社文庫
『葉隠入門』三島由紀夫 新潮文庫
『謎とき「人間喜劇」』柏木隆雄 ちくま学芸文庫
『ビギナーズ・クラシックス 源氏物語』角川書店編 角川ソフィア文庫
を閉じた。
どれも面白く素晴らしい本ではあった。
だから机の上に並んでいたのである。
が、読書好きの小さな手の上のレギュラー争いはかくも激しいものなのである。
『風水』 ありがとう。
しかし、まだ風水や陰陽思想、中国文化に詳しくない私には少し難しかった。
「七十番目の列伝」に描かれる司馬遷の思想の深さと鋭さには痺れた。一瞬だけ司馬遷ブームの風が吹きかけたほどである。すぐ消える泡沫のつむじ風だったが。
「『盆栽の宇宙史』を読む」という章も残しておきたい。ミニチュア、水槽、部屋、図書など、閉じられた世界=小宇宙に対して飽くなき幻想をもつ私には格好の話題だった。万年読みかけの列に居座っているバシュラール『空間の詩学』をまた開くとき、会いに行くかも知れない。
そして、一番深く読めたのが『墓・大地・風水』歴史における風水、あるいは風水の歴史をこう具に見たのは初めてだった。『易経』を読んでまた戻ってきたい。
『ビギナーズ・クラシックス 源氏物語』ありがとう。
与謝野晶子訳の『源氏物語(上)』が手に入ったので、これまでにしよう。
たくさんノートは取らせてもらった。思い出す。和歌山の祖父母の家で朝から晩まで読書と語学の勉強をしていたが、その休憩にずいぶん世話になった。与謝野晶子訳(下)はまだ入手しておらず、ここ最近の岩波文庫の訳されていない源氏物語を探すが見つからない。痺れを切らしてまた手に取るかも知れない。
『謎とき「人間喜劇」』 ありがとう。
バルザック好き(と言いつつたいして数は読んでない)私の、バルザック飢えによく効く薬であった。幸運なことに、ここのところバルザックの古い岩波文庫版が手に入っている。小説の解説は、本文を読んでまた一層の楽しみをもたらすだろう。
『使徒教父文書』 ありがとう。
ここには九つの教父文書が収められている。
教父文書なるものの存在を知れたことがまず良かった。実はそのうちの八つは読んだ。最後の「ヘルマスの牧者」に至ってのめり込めなくなっていた。
最初の衝撃すさまじく、キリスト教を今までになく自分の心の中に入れ込もうかと思ったほどであった。「十二使徒の教訓」という文章である。その日は日柄もよく、高気圧は心まで軽くして、悩みは元から何もなかったかの如く消失していた。そんな気分のいい日に読んだからかと思っていたが、改めて読むとあの日と同じ偉大な深みが私を襲った。どうやら「十二使徒の教訓」は力を持っており、かつ私と相性がいいのだ。
レビューはこの辺にしておく。
さて、明日は何を読もうか。
また新しい本が開かれる。
にゃー