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少年の夢をかなえた、企業スピリット。江ノ島電鉄株式会社

新田和久さんの長男、朋(とも)君は、拡張型心筋症なる病で
16歳のとき既に余命僅かと宣告された
(少し前の『沁(し)みる夜汽車』)。

くしくも和久さんは妻も同じ病で亡くしていたが、
母を失った朋君は、父の和久さんに
「大きくなったら江ノ電の運転士になるんだ」と語っていたという。
その朋君の病状がいよいよ深刻になったとき、
和久さんは、その夢を実現させようと、鉄道数社に問い合わせた。
しかし「免許がなければ運転できない」という判で押したような返事。

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このとき一社だけ動いたのが、
“江ノ電”の愛称で知られる江ノ島電鉄、
他ならぬ、朋君が夢を描いていたその鉄道会社だった。
総務課長だった増井進さんは「車庫への引き込み線なら運転席に座れる」
という対処法を見つけ出す。それでも関東運輸局はいい顔をしなかった
というが、最後は“江ノ電”の熱意に根負けしたか、黙認した。

そして1998年11月11日、
朋君は江ノ電の制服・制帽を身に付けて電車に乗り込み、
引き込み線付近で、108型車両のハンドルを運転士と共に確かに動かした。
番組では、その生き生きとした姿が映し出されていた。  涙。

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和久さんは「うちの息子のために、ここまでしてくれる人がいるんだ」と
胸震えた。そして朋君は、
このかけがえのない思い出を抱いたまま4日後に天国に旅立った。
和久さんは、おそらく今年の11月11日にも“江ノ電”に乗る。

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企業文化は人がつくる

私は、某企業の販促ツールで使う情報と画像提供のために
年末年初のイルミネーション「湘南の宝石」の事務局がある
江ノ島電鉄にいきなり電話でお願いしたことがある。
このとき、快く引き受けてくださった担当の方の声がいまも耳に残る。

私はまた江島神社に年5~6回、長谷観音に年1回お参りするので
“江ノ電”にはよく乗る。そんなひいき目を抜きにして、
たった一人の少年のために規則を見直す労苦を惜しまない
気高きスピリットが、江ノ島電鉄には生きているのだと思う。

組織は、たった一人の心の持ち方で動く。

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