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フリーランスの生存戦略――きっと消えることのない不安に、僕らはどう立ち向かうか?

フリーランスはどこにも属さずに自由な反面、多くのリスクを抱えている。仕事がうまく行っている時でも、取引先の都合で簡単に切られてしまうこともあるし、からだが思うように動かなくなった時、収入の保証はない。そんな「フリーランスの生存戦略」について、考えをめぐらせてみた。

不安なのは、気力よりからだ

 先日、子どもの泣き声で深夜に目が覚め、ベッドから起き上がろうと、フッとからだに力を入れた瞬間、首筋に激痛が走り、起き上がれなくなった。そのとき、ふと考えてしまった。もしこのまま、数日間ベッドから起き上がれなくなってしまったらどうなるだろう。子育てはまわるのか、その間仕事はどうなるのか、今の生活は保てるのか――。

 よく、50代、60代になってもフリーランスを続けられるのかという話になるが、僕は自分の気力や能力が衰えることは、そこまでおそれていない。気力は環境や人付き合い次第でなんとかなるような気がするし、能力が世間で通用するかは年齢には関係ない。通用しなくなったとしても、それは往々にして自分のせいであるため、すんなり受け入れられると思っている。

 受け入れられないのはむしろ、からだが動かなくなったときだ。気力は十分だし、能力もまだ通用する、お客さんだって自分のことを必要としてくれている。だけど、からだがどうしても言うことを聞かない――。そんな状況のほうが、僕は耐えられそうにない。結局、先日はただ首を寝違えただけだったのだが、おかげでフリーランスとしての生存戦略について考えるきっかけになった。

より多くを稼ぎ、将来にそなえる

 「生存戦略」と聞いて、やはり真っ先に思い浮かぶのは「お金」のことではないだろうか。フリーランス、特にライターの仕事の多くは「1記事書いてナンボ」の世界で、労働集約的だ。すると、収入を増やしたければ、記事本数を増やしてより多く稼ぐか単価を上げてより高く稼ぐか、ということになる。

 しかし、本数を増やすのは時間や体力の問題で限界があるため、いずれ単価を上げるという選択肢に行き着くことになる。僕の場合、駆け出しのころ、1記事の報酬は最低で3000円だったが、今では20万円に上ることもある。そんな割のいい仕事はそこまで多くないが、この差が生存率を左右するのは間違いない。

 単価を上げるため、僕がこれまで考えてきたのは、同じ記事でもより多くの報酬を払ってくれるクライアントに照準を絞り、彼らに刺さる実績を積むこと。自分にしかできない企画を提案し、対価としてほしい金額をきちんと明示し、交渉すること。そうして実績を重ねることで、交渉力を徐々に高めようとしてきた。

 もう一つの手立ては、仕事のレイヤーを上げること。自分一人ではなく、複数の人を巻き込まなければできない仕事をつくり、まとめる立場になる。ライターから編集者に転向するのも、これに当てはまる。こうなると、執筆だけでなく、企画やコンサルティングに対しても報酬をもらえ、やり方次第で効率を上げやすくなる。

 そのほかにも、将来のニーズにタネをまく、ほぼ唯一の資本であるからだを大切にし、自分がメンタルヘルスを損ないやすいシチュエーションを把握して、それを避ける・・・ といったことを、「以前は」考えていたのだが――。

僕は生き方を間違っていたかもしれない

 最近、「二人の友人」に再会し、自分の考えに疑問を抱くようになった。

 一人は、全国各地に拠点を持ち、そこで暮らす人たちと共同生活をしている友人。彼いわく、誰かに依存しないと生きられないことにこそ、価値がある。「誰にも依存しないで生きていけるのがかっこいい」という考えは、さまざまな争いごとを生み出しかねない、という。彼と話すうち、自分が、世の中の格差の広がりに加担しているように思われた。

 もう一人の友人は、実家が魚屋で、一般家庭に比べるとご両親の実入りはいい様子。しかし、それを自分たちのところで溜め込むことはせず、市場の仲間としょっちゅう飲み会を開いてはご馳走をふるまい、みんなに気持ちよくなってもらうことを大切にしているという。お金の流れを停滞させることなく、仲間たちの幸せのために循環させているのだ。

 二人の話を聞いて、思い浮かんだのは、彼らにはきっと、自分たちが困ったときに一肌脱いで助けてくれる人がたくさんいるのだろう、ということ。病気でからだが動かなくなったときにも、まわりに飯を食べさせてくれる人がわんさかいるに違いない。これこそ、真の安心を感じながら生きていけるあり方ではないだろうか?

 一方、自分はどうだろう。「自分の」能力を高めて、「自分の」お金を稼いで、「自分の」生活を律して・・・。

 そうやって、自分の力だけでなんとかやっていこうと考えている人のことは、いざ何かあったとき、誰も助けようとは思わないのではないか? そもそも、「いくら稼げば安心」と言える境地になどたどり着けるのだろうか? 先ほどの「稼いで、そなえる」考えは、自分が健康で、うまくいっているときにしか成り立たない、もろい戦略にすぎないのではないだろうか――。

「シェパニーズ」という、幸せな生存戦略

 それ以来、自分の生き方に迷いを感じるようになっていたのだが、とあるインタビューで、カリフォルニア・バークレーにある「シェパニーズ」というレストランのことを知った。

 このレストランは、1970年代に創業者のアリス・ウォーターズがスローフードの考え方を広め、カリフォルニア・キュイジーヌを確立した、その発信拠点的な存在。

 アリス・ウォーターズは、地元の生産者から直接食材を仕入れて、消費者が安心して食べられる食材を手に入れられる仕組みを、自分一人ではなく、ときには他のレストランに勤めていたシェフに「あなたはパン屋さんで修行して、美味しいパンをつくれるようになってね」と勧めるなど、周囲の人たちを巻き込んでつくり上げていった。

 今ではシェパニーズ、アリス・ウォーターズの影響力は世界レベルなのだが、実際に訪れてみると、レストランとしては決して大きくはなく、細々とやっている感じだそう。まずは自分を潤そうとするでもなく、まわりを生かして、自分も生きる――。今の僕には、最高の生存戦略のように思える。

さあ、どうしたものか

 僕にはすっかり、「稼いで、そなえる」という資本主義的な考えが染みついてしまっている。一方で、それを突き詰めていったとしても、決して不安が消えるわけではないことを知ってしまった。そんな必死な僕を傍目に、真の安心を感じながら生きている人たちもいる――。

 僕が、先ほどの友人たちや、ましてやアリス・ウォーターズのような生き方をできるようになるには、もう少し時間というか、段階が必要なのだろう。だけど、どんな段階を踏めば、彼らのようになれるのか、まだぼんやりとすら分かっていない。

 しかし、彼らから学べることは、なんの考えも、際限もなしに、稼ぐのは止めたほうがいいということ。そのために、足るを知ろうということ。今いる仲間と、新しい出会いを大切にしようということ。自分一人では成し遂げられないことに取り組む、その過程にある、決してお金では測れない価値を大事にしようということ。

 たとえ、それによって、多少のお金を失ったとしても。

編集者/Livit代表 岡徳之
2009年慶應義塾大学経済学部を卒業後、PR会社に入社。2011年に独立し、ライターとしてのキャリアを歩み始める。その後、記事執筆の分野をビジネス、テクノロジー、マーケティングへと広げ、企業のオウンドメディア運営にも従事。2013年シンガポールに進出。事業拡大にともない、専属ライターの採用、海外在住ライターのネットワーキングを開始。2015年オランダに進出。現在はアムステルダムを拠点に活動。これまで「東洋経済オンライン」や「NewsPicks」など有力メディア約30媒体で連載を担当。共著に『ミレニアル・Z世代の「新」価値観』。
執筆協力:山本直子
フリーランスライター。慶應義塾大学文学部卒業後、シンクタンクで証券アナリストとして勤務。その後、日本、中国、マレーシア、シンガポールで経済記者を経て、2004年よりオランダ在住。現在はオランダの生活・経済情報やヨーロッパのITトレンドを雑誌やネットで紹介するほか、北ブラバント州政府のアドバイザーとして、日本とオランダの企業を結ぶ仲介役を務める。

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