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読書感想文 7月7日は日中戦争開戦の日~『生きている兵隊』『麦と兵隊・土と兵隊』『赤い高粱』~

 先日、ネットで文庫本を2冊購入した。1冊は石川達三の『生きている兵隊』(中公文庫)。もう1冊は火野葦平の『麦と兵隊・土と兵隊』(角川文庫)だ。『麦と兵隊』と『土と兵隊』は全然別物で、それぞれの正式名称は『麦と兵隊 徐州会戦従軍記』、『土と兵隊 杭州湾敵前上陸記』となる。3作とも日中戦争中に書かれたものである。
 なぜこんな古い本を読む気になったかというと、太平洋戦争に比べて、日中戦争を描いた小説が圧倒的に少ない(と思われる)こと。被害者としての戦争より、加害者としての戦争を学びたかったことが理由である。初めは『生きている兵隊』だけを買うつもりでいたのだが、検索していたら、『麦と兵隊・土と兵隊』も勧められた(?)ので、ついでに買ってしまった。期せずして2人の芥川賞受賞作家の従軍記を購入することとなった。
 『生きている兵隊』は昭和12年の状況を描き、『麦と兵隊・土と兵隊』は昭和12年と13年の状況を描き、3作とも、日中戦争のほぼ同時期の状況を描いている。『生きている兵隊』は北京を占領した日本軍がそのあと華北平原の南部へと海路移動し、首都南京を陥落させるまでを描いている。『麦と兵隊 徐州会戦従軍記』は南京占領後の1938(昭和13)年5月に、南京北西にある徐州を目指し、陸路を攻め上がる作戦を描き、『土と兵隊 杭州湾敵前上陸記』は、前年の10月に、上海の南に広がる杭州湾より、南京目指して敵前上陸する作戦を描いている。(『生きている兵隊』と時期的には重なる)
 日本が考えていたほど戦争は簡単には終わらない。首都南京を占領されても蒋介石率いる中国国民党軍は降伏せず、奥地へ奥地へと逃げて行く。戦争はこの作戦の後も延々と続いて泥沼化していく。そうこうするうちに、1941(昭和16)年に、太平洋戦争が始まってしまう。
 石川達三と火野葦平、2人の芥川賞作家の、日中戦争を見る目には随分、温度差がある。石川達三の視座は中立・公正を保とうとしている。日本軍の中国人(兵に限らず)に対する残虐行為にも目を背けていない。(いわゆる「南京大虐殺」については言及していない)従って、書かれた従軍記は伏字だらけで雑誌に掲載されたが(私の購入した本には当然のことながら伏字はないが、伏字になっていた箇所に傍線が引いてある)、即日発売禁止。
 一方、火野葦平の視座は明らかに日本寄りである。ただし日本人兵士に寄り添った、低い視座なので、兵士に対する思いやりが感じられる。中国人に対するあからさまな軽蔑もない代わりに日本軍の残虐シーンも出てこない。戦争の本質はマイルドに覆い隠され、美化されている。火野はもともと左翼であった。それが転向させられ、心の底から改心したのか、あるいは、必要以上に検閲の目を怖れたのか、将来への希望を感じさせる戦争讃歌になっている。火野の従軍記はベストセラーとなる。当然といえば当然である。この後も『花と兵隊』『海と兵隊』『煙草と兵隊』と書き継がれることとなる。
 やはり日本人の書いた日中戦争には限界があるのだろうか。中国人ノーベル賞作家 莫言の『赤い高粱(こうりゃん)』(岩波現代文庫)には、1939(昭和14)年当時、麦畑ならぬ、高粱畑の海の中で繰り広げられた、日本軍による、読むのをためらわれるような残虐シーンが出てくる。『赤い高粱』では日本兵は「鬼子」と表記されている。戦争の本質は言葉で美化できるものではない。

中国華北平原 参考図


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