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当たり前のことを習慣化していく
世の中のほとんどの人が当たり前にできることであっても、知らない、出来ない、その結果やらない、ということが私には多くある。
例えば以下のようなこと。
家族がいる中で、パンツ一丁で家の中をウロウロしない
用を足すとき、トイレのドアを閉める
トイレから出た後は、手を洗う
家を出る時には「行ってきます」、帰ったら「ただいま」という
冷静に考えれば、35歳の成人として、それなりに収入を得ている立場として、何よりも2児の父親として、こんなことができなかったのは何と恥ずべきことだろう。
ただ、私は妻子と別居する前は、上にあげたような言動が全くできなかったのが事実である。
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なぜ、できないのか、やらないのか?
改めて自分に向き合い、なぜ当たり前のことができないんだろうと考えてみたところ、やはり原家族との生活から得た影響は無視できなかった。
上にあげたような当たり前のことが、私の育った原家族では全くできていなかった
当時の我が家は、そんなことを考える経済的な余裕もなかったのかもしれないが、それは言い訳にはならない。
でも、原家族において親や関わりのあった人を見る中で、上にあげたような言動に違和感を感じないまま、大人になったのは事実だろう。
ただ、再度繰り返すが、原家族の影響が事実であっても、大人になった私が同じ言動を私の家族に対して繰り返すことの言い訳にはならないし、言い訳にするつもりは毛頭ない。
要は、本物の自分に目を向けることなく、甘えた人生を送ってきたのだ。
妻はそんな私にアラートをあげてくれていた
私の妻は、普通の家庭に育ってきた人だと私は認識している。だからこそ
余計に私の言動に違和感を覚えていたのだろう。
トイレから出た後にいつも「手洗った?」と私に言ってくれた。私はその気遣いの気持ちに気づかず「洗ったよ。洗わないわけないじゃん」と返す。
当然、手など洗っていない。私は妻に甘え、ウソをついていた。
妻もウソには気づいていたと思う。でも、そんなことを繰り返していると、妻もこれ以上気遣ってはくれなくなる。
私は手を洗わなくてもなんとも思わなかったが、妻は汚い手のまま家の中にのものをあれこれ触られるだけで嫌なはず。
逆の立場で、妻がトイレから出た後に手を洗わないと私はイヤである。
自分がされてイヤなことを、私は平気でやってしまっている。
本当に矛盾だらけの自分が情けなくてしかたない。
特に手は汚れていないから洗わないというのは、自分勝手な考え方。
何よりも私には大切な家族がいるのに。
相手の立場にたって考えるとは、こういうことなのだと今は分かっている。
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大切な子どもたちには、同じことをしてほしくない
今となっては、私の言動がいかに身勝手で、他人への配慮が欠けていたかがよくわかる。
私の愛する子どもたちには、私と同じ道を進んでほしくない。
当たり前とされていることを当たり前にやる家庭の中で、子どもたちを育てたいし、育ってほしいと思っている。
今が言動を見直し、習慣化する最大のチャンス
幸いにも、今の私は自分の誤った言動に自ら気づくことができ、それが私にとっても、家族にとっても不愉快なものであることにも気づくことができる。
それに今の私には時間的な余裕があるし、一人で暮らしているからトライ&エラーも許される。
上に書いたような言動は、まだ氷山の一角。
自分の言動に目を向け、違和感を感じたものは、すぐに正していく。
私には、この改善のサイクルを回していくことが必要。
今しがたビルのトイレに行ったが、早速石鹸をつけて手をきちんと洗うことができた。
そのうち手を洗わないことに違和感を感じるようになるはず。当たり前の
こととして習慣化できるまで私は続ける覚悟がある。継続は力なりだから。
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ネガティブ・ケイパビリティを意識してみる
全く話は変わるが、今強く意識していることを備忘しておく。
ネガティブ・ケイパビリティとは、すぐに答えの出ない問題に対して、急いで結論を出そうとするのではなく、不確実さや答えの出ない曖昧な状況の中にいることのできる能力を指す。
私は、どうしても早急に白か黒か、結論を求めてしまいがちだが、世の中にはそう簡単に答えが出ないものの方が多いこともよくわかっている。
変えられるものは変えていくが、変えられないものは受け入れるしかない。だからこそ、変えられるものと変えられないものを見分けることも必要。
そして、私には変えられないものであっても、それを受け入れ、自分の心を変えることは可能なはず。
今日の振り返り
今日は雨足が強いこともあり、ランニングはオフとした。
そして今日もきちんと自炊。断酒も7日目に突入。
--今日の献立--
鶏ささみとブロッコリーと豆のサラダ(手作り)
肉団子(お惣菜)
ぶりの照り焼き(手作り)
お漬物2種(手作り)
かつおたたき
納豆
バケットパン
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今日も自分と向き合い、未来に向けてやれるだけのことをやり切った。
社会人になって以降、7日間もお酒を飲まなかったことはおそらくない。
大好きなお酒を絶つことができている、それは私が本気で変わろうとしているからだと思う。
最後に、今日も子どもたちのお世話をしてくれている妻に、この場を借りて
心からのありがとうを伝えさせてください。
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