松井典夫

大学教授(教育学)。学校と子どもの安全・教師教育が専門です。ブログ(https://c…

松井典夫

大学教授(教育学)。学校と子どもの安全・教師教育が専門です。ブログ(https://ceis-kyouiku.com/)では「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」というテーマを中心に書き、noteでは「教訓を生かした学校の安全・子どもの安全」をテーマに書くつもりです。

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学校・子どもの安全を守るには

この表紙画像は、2021年6月8日 ぼくがゼミの学生を大阪教育大学附属池田小学校に連れて行ったときのワンシーンだ。 学生たちが手を合わせている先にあるのは「祈りと誓いの塔」 この学校では、2001年6月8日に校内に暴漢が侵入し、小学校1、2年生の子ども8人が命を失う事件があった。 そして、ぼくはこの学校に2005年4月から2014年3月まで教諭として務めた。 9年間の中で、学校安全主任や安全科チーフとして務め、自分なりに必死になって事件と関わっていく中で見出したものは

    • 事件から17年の日に

      今日、2021年11月17日は、奈良小1女児殺害事件から17年の日になる。 想像でしかないが、ご遺族や親しかった周囲の人々にとって、たとえ17年という長いような歳月であっても、今日はとくに痛切な悲しみが繰り返される日になるのではないだろうか。 有山楓さんのご冥福をお祈りするとともに、ご家族や近親、親しかった人々が穏やかに過ごされることを、心からお祈りします。 この事件に関連して、毎年、奈良市では「子ども安全の日の集い」が開催される。 数年前からぼくは、この会で講演をする大

      • 事件を伝承する教師のジレンマ

        伝承の役割と若手教師ぼくはこれまでに、学校・子供の安全に関する研究調査等でいろんな教師に出会う中で、事件・災害の未体験教師がその伝承の役割を担い、重責を果たそうと進み続けている姿に出会ってきた。 その役割は生半可なものではなく、大きなプレッシャーがかかるものだ。 けっして学校中が協力的で協働的なわけではなく、ときには孤独に取り組む状況にも出会う。 そんな若手教師の姿を見ながら、ぼくはいつも自身のことを思い出していた。 「事件を知らない」というコンプレックスぼくが小学校の教

        • 事件・災害を伝承するということ

          もうすぐ11月17日がやってくる。 2004年のこの日、奈良市の小学校1年生、有山楓ちゃんが下校時に連れ去られ、命を失った。 ぼくは毎年この日に、奈良市教育委員会の依頼で講演をする。 「子ども安全の日の集い」と銘打たれ、毎年この日に市長や教育長をはじめ、教職員や保護者、地域の安全ボランティアの皆さん、およそ300人が集まって開催される、とても大切な日だ。 今年はやはり、残念ながらオンラインと会場のハイブリッドで開催される。 会場にいるのは市長をはじめとする重鎮と教育委員

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        学校・子どもの安全を守るには

          失いたくない命を助けに行った行動は、誰にも否定できない。

          「おはしも」という安全教育の、とくに避難時のセオリーは大切なものだろう。 “押す(お)”と将棋倒しなどの二次災害の可能性がある。 “走る(は)”と転倒し、大きな二次災害に結びつく可能性がある。 “しゃべる(し)”と、先生の指示が聞こえず、適切な避難ができなくなる可能性がある。 “戻る(も)”と、自らも災害に巻き込まれ、命を失う可能性がある。 たしかにどれも、「可能性」はある。 しかし、そのような可能性があるから、どれもしてはいけないと、教えてしまってもいいのだろうか。 我

          失いたくない命を助けに行った行動は、誰にも否定できない。

          命の避難訓練「もしも、休み時間に地震が発生したら?」

          これまで、避難訓練のマニュアル的な困難さや、避難行動の困難について、海外の文献等を取り上げて論考してきた。 ここから、ぼくがかつて小学校教員だった時に実践した、避難訓練に関連する安全教育の実践について紹介しようと思う。 火災、地震、水難などあるが、今回は「地震編」 「もしも、休み時間に地震が発生したら?」この実践は、全校で一斉に、休み時間に地震の避難訓練を行うというものだったが、ぼくはひとつの教材開発として、休み時間に行う避難訓練の事前・事後の授業プログラムを開発して実

          命の避難訓練「もしも、休み時間に地震が発生したら?」

          避難訓練の「刷り込み」

          前回は「避難行動の困難」というタイトルで、避難というものへの行動の上で、それを遮る「思考」が働いたり、状況を受け入れようとしない「否認」という状況などが避難を阻害する実態について述べた。 今回も引き続き、避難について、とくに学校での避難訓練について述べていこう。 地震の避難訓練の中の「刷り込み」1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災以来、多くの学校では、毎年1月17日前後に地震の避難訓練を行うようになった。 それは、震災で失われた命や教訓を忘れないように、そして語

          避難訓練の「刷り込み」

          「避難」という行動の困難

          令和2年7月豪雨の災害に関連して球磨川流域を訪問し、あらためて、災害が発生するエリアに住み続ける「ふるさと観」について考えているところだ。 このことについて、あるレポートが大きな参考となる。 アメリカのジャーナリスト、アマンダ・リプリー(Amanda Ripley)は、災害、テロ、事故の生存者や遺族に多くのインタビューを成功させ、そこから危機状況下の人間の状態を3つの段階に分けて説明することにトライした。 3つの段階というのは「否認」「思考」「決定的瞬間」だ。 「否認」

          「避難」という行動の困難

          球磨川流域を訪問して

          前回の投稿では、災害が頻発するエリアで、それでもなぜ人はそこに住み続けるのだろう、という疑問を投げかけた。 それは「ふるさと観」が影響しているのではないかというぼくなりの考えを述べた。 球磨川流域調査について、報告の続きをしたい。 被災ということと、あたたかい人々ということ案内いただいている井手先生(山都町教育長)が、しきりにSNSをチェックしている。 「この辺りのうなぎ屋さんの駐車場で、炊き出しをしているようなんです。行ってみましょう」 ようやく探し当てて炊き出し会

          球磨川流域を訪問して

          災害と「ふるさと」

          2021年7月にもまた、大雨は鹿児島県や島根県などで大きな被害をもたらした。 人命が失われるような被害が生じないことを「祈る」しかなかった。 そう。こういう時、ぼくたちには何をすることもできないのだ。 それは、相手が自然現象だからに他ならない。 しかし、これまでの教訓と叡智を生かして、「難を避ける」(実質的な避難)ことはできる。 ぼくが何度も、各所で行ってきたことだが、事件、事故、災害においては「教訓から学ぶ」ことが重要だ。​ 過去において、「7月豪雨」と名付けられた豪雨

          災害と「ふるさと」

          豪雨災害で家を失った学生の「笑顔」

          大学もいよいよ対面授業が始まった。 ようやく大学生らしい日々を送ることができて、大学も活気に溢れている。 そんな今日の昼休み、ぼくが研究室の戻ろうと歩いていると、1人の学生と出会った。 「こんにちは!先生、お久しぶりです!」 幼稚園教諭を目指し、女子バスケットボール部で活躍したその学生は、元気よく満面の笑顔でぼくに挨拶をした。 とても清々しく、爽やかな風を運んでくれた。 そして、ふと思い出した。 「12月に、きみの実家の近くを回ってきたよ」 「えっ、人吉をですか?」

          豪雨災害で家を失った学生の「笑顔」

          子どもの虐待と学校、行政

          また悲しい報せが世間を震撼させた。 大阪の3歳の男児が、母親の恋人に熱湯をかけられて幼い命が絶たれたニュースだ。 この事件では、被害にあった子ども自身も、そして母親の知人もSOSを発信していた。 児童相談所は、この家庭を注視しながら頻繁に母親と面談をしていたにも関わらず、母親とこの恋人が同居していた実態を掴むことができていなかった。 また、母親の知人たちからのSOSを受けて被害にあった子の体を調べたが、「目立った傷がない」と言うことで緊急性は低いと判断した。 そしてこの子は

          子どもの虐待と学校、行政

          「嫌な感じ」を感じ取る学習体験を

          前回の投稿では、奈良県で発生した小学生女児の連れ去り事件を以下の4つの犯罪機会で捉えた。 【犯罪機会】 ① 事件は、学校が休みの土曜日の白昼に起きた。 ② トイレは、人の目の行き届きにくいところに設置されていた。 ③ 女児は1人でトイレに行った。 ④ トイレの鍵が壊れていた。 前回は「① 事件は、学校が休みの土曜日の白昼に起きた」について検証したが、今回はいずれも関連する②〜④について考えてみたい。 ② トイレは、人の目の行き届きにくいところに設置されていた。 事件が発

          「嫌な感じ」を感じ取る学習体験を

          なぜ連れ去られ、なぜ助かったのか

          ブログ(その先の教育へ https://ceis-kyouiku.com/)の加筆修正、移行原稿。 ぼくが専門とする学校安全と安全教育について。 寛解と次回は、その柱となる「教訓と教育」について、ある連れ去り事件をテーマに記述したい。 これまで犠牲になった命やその子が受けた恐怖は、教訓となって「その先の教育」「その先の命」へとつながれていくべきだが、大阪教育大学附属池田小学校事件(2001年)に関わってきたぼくとしては、そうは見えない。 悲しみと恐怖を忘れたい。 同時に、失

          なぜ連れ去られ、なぜ助かったのか

          悲劇が繰り返された交通事故

          前回までの投稿で、とある市で発生した教師が犠牲になった事件について取り扱い、「教訓」を誰が、どのように伝えていくのかについて論考してきた。 今回の記事はブログ(その先の教育へ)からの転載、加筆修正で、「学校・子どもの安全」ジャンルをブログからnoteへと移行していく試みの一つ。 子どもの安全について、「交通事故」を取り上げたい。 繰り返された悲劇2021年6月28日下校中の小学生の列にトラックが突っ込み事故に。 小学生2名が亡くなり、他の児童も重傷を負っている。 亡くなっ

          悲劇が繰り返された交通事故

          教訓と風化

          前回、2005年に発生した教師殺傷事件について、教育行政で話を聞いた内容について書いた。 今回は、その後取材することができた、事件当時、行政で事件に関わった人物から聞いた話について書こうと思う。 それは2015年の、まだ春の訪れが待たれる寒い日だった。 ぼくはその人物(K氏としよう)と夜のファミリーレストランで会った。 K氏は、犯人の少年が中学校1年生のとき、担任ではなかったが同じ学年の担当教員だったそうだ。 そして少年が中学校を卒業し、17歳になって事件を起こしたときには

          教訓と風化