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「嫌な感じ」を感じ取る学習体験を

前回の投稿では、奈良県で発生した小学生女児の連れ去り事件を以下の4つの犯罪機会で捉えた。

【犯罪機会】
① 事件は、学校が休みの土曜日の白昼に起きた。
② トイレは、人の目の行き届きにくいところに設置されていた。
③ 女児は1人でトイレに行った。
④ トイレの鍵が壊れていた。

前回は「① 事件は、学校が休みの土曜日の白昼に起きた」について検証したが、今回はいずれも関連する②〜④について考えてみたい。

② トイレは、人の目の行き届きにくいところに設置されていた。
事件が発生したリサイクルショップは、わりと人が賑わう北館と、人の少ない南館に分かれていた。
被害児童の親子は北館で買い物をしていたが、被害女児はトイレに行きたくなった。
しかし、トイレは南館の端で人通りもほとんどないところに設置されていた。

事件当時、図のように奥まったトイレの前に1台の車が止められていた。
そして女児は、この犯人の車で連れ去られたのだ。

③ 女児は1人でトイレに行った。
この奥まったトイレに、なぜ女児は1人で行ったのか。
仮に、女児がこのトイレを遠目から見て、「何か嫌な感じ」がしたのであれば、事件の様相は違っていたのかもしれない。
あるいは発生すらしていなかったのではないか。
もしかすると、「嫌な感じ」(危険予知)はしたのかもしれない。
しかし、その「嫌な感じ」に対する行動(危険回避)が取れなかったのだろうか。
画像は、事件後にぼくが撮影した、現場のトイレだ。

香芝トイレ

かなり「嫌な感じ」がするが、一体誰がこのトイレの奥に、連れ去りを目的とした犯人が潜んでいるなど感じることができるだろう。

大切なのは、その「嫌な感じ」を信じることができるかどうかだ。
その信じる根拠は、「学習体験」だ。
このような事件が発生しうるという学習体験は、自身の直感を裏付け、行動に結びつけるエビデンスとなる。
その「学習体験」を子供たちに授けるのが学校であり、教育ではないか。

この、奈良県香芝市で発生した、小学生女児の連れ去り事件から、ぼくたちが「教訓」として学び取らなければならないのは、

学校がある日、ない日は関係なく、あるいはどのような場所にいるか、ではなく、いかなる時、場所においても通ずる「危険予知」「危険回避」の能力や、その認識の学びを授けるのが学校であり、教育の役割だということだ。

この女児が、トイレを見て「嫌な感じ」(危険予知)を受け、そして親を呼びに行って一緒にトイレに行ってほしいと言う(危険回避)ことができる学習体験を持っていたかどうかだ。
学校の、安全教育の役割は大きい。

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