松本ケンロウ

縄文人とその直系の末裔たるアイヌの人々の視点を借りた短歌を詠んでます。それは知里幸恵さ…

松本ケンロウ

縄文人とその直系の末裔たるアイヌの人々の視点を借りた短歌を詠んでます。それは知里幸恵さんが残した「アイヌ神謡集」に見られるように、主体が「私」を離れて自在に移動する短歌。その名も「縄文短歌」。知里幸恵さんの生誕120年を記念する今年、「縄文短歌」が発進したことをここに宣言します⁉

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「縄文短歌」宣言⁉

 皆さんは、アイヌ民族を代表する文学者であった知里幸恵さんのことを知っていますか?今年、2023年は幸恵さんの生誕120周年を記念する年です。幸恵さんは19歳という若さで「アイヌ神謡集」という一冊の本を残して亡くなりました。その本は、アイヌの物語の語り部であった祖母や伯母から幸恵さんが伝え聞いたアイヌ神謡(カムイユカㇻ)をローマ字で書き起こし、それに日本語訳をつけるという形をとっています。アイヌの人達は、自らの生活に密接にかかわるフクロウや熊などの動物、山菜や木々などの植物、

    • 縄文短歌 イチのこと

       昨年の暮れのことです。妻が言いました。「夜、門のところに猫がいたのよ。何回か姿を見た猫だと思うの。今度メリの散歩をするとき、家の周りを確かめて見て……」  その後ほどなく、私は、ぶどう畑から生け垣の隙間を抜けて私たちの自宅の敷地に入っていく猫の姿を見かけました。庭にまわってみると、白地にグレーの縞模様の猫が、こちらをじっと見つめています。近づくと、その猫はパッと身を翻して走り去りました。  それから数日して、夕方庭を歩いていると、家の軒下の草の中に、身を沈めるようにしてうず

      • 縄文短歌 ロクの来訪

         母親か逝ってほどなく、朝、アイヌ犬のメリと散歩していると、実家の縁側の前の陽だまりに、黒白ハチワレの猫が座っています。そっと近づくと、そのハチワレは身をひるがえして縁の下へと飛び込みました。そこは、父と母を送った部屋の床下にあたります。それまで見かけることのなかった猫なので、ふと「いつからここにいるのかなぁ?」という疑問が浮かびました。  それからほどなく、そのハチワレは隣にある私の家のバルコニーに姿を見せるようになりました。そしてバルコニーの窓越しに私の家の中を覗き込んで

        • 縄文短歌 母親について

           ある冬の日の夕方、私の自宅のインターフォンが鳴りました。モニターを見ると、そこには腰の曲がった母親が映っています。私が急いでドアを開けると、不安気な表情を浮かべた母は、私の顔を見て言いました。「ケンか死んじゃった」‥‥。  私は、父が亡くなって以降、隣の実家に一人で住む母親をヘルパーさんたちの力を借りながら介護して来ました。しかし、そのエピソードがあってから、母親の認知症は急速にすすみ、徐々に私が誰かもわからなくなっていきました。それでも、私の顔を見ると笑顔をみせてくれるこ

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        「縄文短歌」宣言⁉

          縄文短歌 父の場合

           私の祖父は、雑木林を開墾してぶどう園を開きました。迷うことなくそのあとを継いだ父は、そこで、生涯をぶどう農民として過ごしました。父は、86歳までは現役でぶどう作りをしていましたが、体力の衰えとともに、生きがいだったぶどうの仕事を続けられなくなり、90歳で亡くなるまで「もう何の楽しみもない。生きている甲斐もない」と繰り返すようになりました。その嘆きに付き合うことは、息子である私にとって、その気持ちもわかるだけに、ずいぶんしんどいことでした。  また父は、農民にしては珍しく、素

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          縄文短歌 ハチとナウシカ

           みなさんに引かれることを覚悟しつつ、あえてノロケ話⁈をかきますので、しばしお付き合い下さい。  ストリート出身(いわゆる野良)のハチは、妻の勤め先で保護された時には仔猫だと勘違いされました。それは、あまりにも怯えて身体を小さくしていたからです。最初はゲージの中にいても、人の気配がすると目をまん丸に開いて唸っていました。毛を逆立てて牙をむいて‥‥。そんなハチを、棒の先に縛り付けた歯ブラシで撫ぜたりしながら、妻は少しづつハチとの距離を縮めていきました。しばらくして唸らなくなった

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          縄文短歌と金子みすゞさん

           皆さんは26歳で亡くなった詩人の金子みすゞさんを知っていますか?みすゞさんは、先の文章で触れた知里幸恵さんと同じ1903年に生まれていますので、今年で生誕120年になります。かたや19歳で亡くなったアイヌ文学の先駆者、かたや26歳で亡くなった夭折の詩人……。ここにも深い縁を感じますが、私が実際に金子みすゞさんの詩と出会ったのは、今からかれこれ30年以上も前のことです。そのころ、長く忘れられた詩人であったみすゞ さんは、童謡詩人の矢崎節夫氏によって“再発見”され、ちょっとした

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          縄文短歌 メリと楠

           アイヌ犬のメリの家は楠の根もとにあります。夏は木陰を作ってくれたり、冬は風よけになってくれたりと、メリは楠にずいぶんと助けられています。しかし、とりわけ啓蟄のころになるとメリには地面を掘る癖があるのです。これを見ている楠はどんな風に感じているのでしょうか。 啓蟄の頃、急に地面を掘り始めたメリ メリちゃんのパワーショベルが穴を掘るここには春が埋まっています 小屋の前夢中で掘っておりますが自分が落ちるための穴です 穴掘った後のお顔は泥だらけガングロ娘ハイ出来上がり

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          縄文短歌 トラの場合

           うちに住む猫たちのうち、長男のトラは身体が一番大きいけれどおっとりしていて甘えん坊です。それに、お姉ちゃんのタマと違って何度も獣医さんの世話にもなっています。ある時、膀胱結石から尿閉を起し、危うく死にかけました。トラ、あの時には本当に肝を冷やしましたぞ。 トラ、危機一髪⁉ ぐったりと萎れるボクの姿見て心配そうな父がいました 父さんが僕のおなかに手を当てて風船見つけ絶句してます 僕のこと小脇に抱え病院に駆け込む父もお医者さんです 袖まくり気合を入れた獣医さん チ

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          寒川猫持先生への追悼歌

           先の文章にも書きましたが、生前にお会いすることのなかった寒川猫持先生を、私はただ一人の歌の師匠であると思っております。その訃報を知ったのが、先生が亡くなられた日から5か月以上もたった11月1日のことでした。弟子としてなんという失態……。その時、口をついて出た追悼の歌を、あらためて先生の墓前に捧げさせていただきます。 猫持先生へ おかしくてやがて悲しい歌詠みて我が行く道を照らせし人よ ニャン吉を送った時の絶唱が今も心に響いています 我にとり歌の師匠と呼べるのは寒川猫持た

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          縄文短歌 うちの猫篇

           私にとって短歌の師匠といえるのは、今年の5月10日に亡くなった寒川猫持先生ただ一人です。実際にはお会いしたこともないので、私が勝手に弟子だと思っているだけですが……。猫持先生の歌集「猫とみれんと 猫持秀歌集」は、私にとって短歌のバイブルとなっています。ここに書いた短歌は、感謝の想いとともに、今は亡き猫持先生に捧げたいと思います。 うちの猫たち 心地良い方へと伸びる猫たちの示す彼方に私も伸びる                  神様はタマの形で降臨す 高天原は埼玉でした

          縄文短歌 うちの猫篇