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縄文短歌と金子みすゞさん

 皆さんは26歳で亡くなった詩人の金子みすゞさんを知っていますか?みすゞさんは、先の文章で触れた知里幸恵さんと同じ1903年に生まれていますので、今年で生誕120年になります。かたや19歳で亡くなったアイヌ文学の先駆者、かたや26歳で亡くなった夭折の詩人……。ここにも深い縁を感じますが、私が実際に金子みすゞさんの詩と出会ったのは、今からかれこれ30年以上も前のことです。そのころ、長く忘れられた詩人であったみすゞ
さんは、童謡詩人の矢崎節夫氏によって“再発見”され、ちょっとした金子みすゞブームが起きていました。
 私が最初に出会ったみすゞさんの作品は「大漁」という詩です。

大漁

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯の大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。

 私は、この詩に出会って強く心を揺さぶられたのですが、当時はその理由をうまく説明できませんでした。しかし時が流れ、私が「日本人の心」を探る旅に出て、自らの内なる「縄文的なもの」に出会ったことで、金子みすゞさんの詩が私の心を揺らした理由を言葉にすることができるようになりました。
 「縄文的な」心とは、伝統的なアイヌの人たちの心に見られるように、視点を自由に移動させて別の主体の側からものを見たり、見えない世界にも開かれているような心のあり方です。みすゞさんの詩が私の心を揺さぶったのは、それが「縄文的な」眼を通してみた世界を描いていたからなのだと、今でははっきりと理解することができます。その意味で、みすゞさんの詩は、「縄文短歌」の源泉のひとつであると思っています。
 金子みすゞさんへの敬意と感謝を込めて、私の大好きな詩を短歌にしてみました。「大漁」以外の詩はあえて記しませんので、知らない方はぜひとも「本物」にあたっていただきたいと思います。

大漁
甲板の下にて響く御詠歌を知らずになびく大漁旗は

私と小鳥と鈴と
鈴は鳴り 私は唄い 鳥は飛ぶ みんな違ってみんないい…よね?

星とたんぽぽ
昼の星 冬の草の根 見えずとも見えぬ世界で息づいている
 

死んじゃった小鳥の魂(たま)はカムイらに見守られつつ故郷に還る


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