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縄文短歌 母親について

 ある冬の日の夕方、私の自宅のインターフォンが鳴りました。モニターを見ると、そこには腰の曲がった母親が映っています。私が急いでドアを開けると、不安気な表情を浮かべた母は、私の顔を見て言いました。「ケンか死んじゃった」‥‥。
 私は、父が亡くなって以降、隣の実家に一人で住む母親をヘルパーさんたちの力を借りながら介護して来ました。しかし、そのエピソードがあってから、母親の認知症は急速にすすみ、徐々に私が誰かもわからなくなっていきました。それでも、私の顔を見ると笑顔をみせてくれることも多く、そんなときには「今の母親にとって息子である私はどう見えているのかなぁ」という疑問が、ふと胸をよぎることもありました。
 その後、自宅での生活が困難になった母は、最後の二年間を介護施設で過ごしました。コロナ禍の下で面会もままならない日々でしたが、旅立つ時には自宅でというのが、認知症が進行する前の母の願いでした。
 今年の8月、誤嚥性肺炎を繰り返すようになった母親は、遂に口からものが摂れなくなり、私は母親を自宅に連れ帰ることにしました。自宅に帰った母親は、安心したのか、ほとんどの時間をスヤスヤと眠っています。そして、2023年8月30日の早朝、私と妻に見送られて眠るように旅立ちました。93年の生涯でした。

若い母の視点
この場所で誕生したのよ母として娘時代に別れを告げて

私(わたくし)は貴方が生まれこの土地に根っこを生やすことが出来たの

自分より大事なものがあるなんて抱いてみるまで知らなかったわ

ウンチしておしっこをしておっぱいを啜って笑顔をくれてありがとう

介護歌集               
お母さんオムツ替えよう声かけてズボン下げれば金の雨降る
 
金の雨振りにし後の水溜り長靴履けば遊べるんだが
 
金の雨床に描いた地図があり母さんわかった宝の在処
 
ポータブルトイレの中はストライク ワイルドピッチをナイスキャッチす 
 
便臭といっても中身はさまざまで今日の香りは僕のに似てる
 
デイパンツ替えた私の顔を見てケンは来ないの?母は問うなり
 
お母さん一体私は誰でしょう?母は言いますどなたでしょうか?
 
泣き顔でケンが死んだと言う母と手をとりあってもらい泣きする
 
とってもねかわいい子だったケンちゃんは貴方もねって母はつけたす
 
母の視点
春霞む彼方より来たマレビトはただ懐かしい匂いがしてた

マレビトは聞きます「私は誰でしょう?」見覚えのない人なんですが

マレビトと手を取り合って泣きました死んでしまった息子を悼み

ありがとう苺を持って来てくれて息子は死んでしまったけれど

母親の枕元で
施設にて母は暮らしていましたがついに食事が摂れなくなった
 
「食べられぬ時には自宅に帰ろうよ」母と約束しておりました
 
自宅へと帰った母は喋らねど「うれしいかい?」と聞けば微笑む
 
母親に逢いたい人が集まって枕元にて寿司桶囲む
 
湧き出でる想い出ばなし聴きながら母は静かに眠っています
 
母親を囲んで撮った写真には笑顔笑顔が溢れてました
 
皆が去り祭りの後の静けさの中でも母は眠り姫です
 
死ぬことは苦痛を離れより深く眠ることだと教えてくれた
 
私と妻に看取られ母親は父のもとへと向かうよ…たぶん
 
お母さん待ちくたびれた父親と出会ってどんな話しをするの?

一生(ひとよ)とは
一生とはおぎゃあと産まれ旅をして赤子に還る茅の輪のごとく
 
 

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