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「私の履歴書」─ 昭和の先達に学ぶ生き方 (石田 修大)

(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)

 日本経済新聞の朝刊文化面の人気連載企画である「私の履歴書」
 なんと開始されたのは昭和31年(1956年)、60年(注:2015年当時、現在(2023年)も継続中)にも及ぶロングランコーナーとのことです。

 本書はそのコーナーに登場した多種多彩な人物の「履歴書」の中から、著者なりにいくつかの共通軸を設定し、その切り口から、それぞれ方々の波乱万丈の人生を彩った興味深いエピソードを紹介したものです。
 そういう著者のフィルターを通った内容なので、生々しい尖がった語り口が少し削られた感もありますが、選別された「引用」には、強く印象に残るくだりも数多くみられました。

 たとえば、帝国ホテル総料理長村上信夫氏は、自らの波乱に富んだ修行時代を振り返って、こう語っています。

(p37より引用) 「まさに古き良き時代だった。日本は貧しかったが、社会にゆとりがあって、のんびりしていた。人間もいたってのんきで、優しく、温かった。学歴がないまま社会に出た少年少女は毎日懸命に働くことを強いられたが、ささやかな希望を持って生き抜けたのは、社会に遊びというか、『のりしろ』のような部分があったからだろう

 村上氏は、幼いころ両親を亡くし、小学校は出席日数不足のため卒業証書も授けられなかったという辛い記憶を抱いていました。
 筆舌に尽くし難いような苦労があったのだと思いますが、それを振り返った言葉の穏やかさが印象的です。こういった言い様に、その方の人柄が表れますね。

 もうひとつ、「のらくろ」で有名な漫画家田河水泡氏の回想。

 犬の軍隊を舞台にした「のらくろ」ですが、当時は関連グッズが世に溢れるほどの人気を博していました。
 その人気が講じて、太平洋戦争開戦の2ヶ月ほど前、田河氏は内閣情報局に呼び出され、漫画の雑誌への連載をやめて欲しいとの申し出を受けました。用紙統制の一環で、「のらくろ」の連載を中止すれば掲載誌「少年倶楽部」の売上が落ち、貴重な紙資源の確保に寄与するというのが理由でした。

 戦後、その騒ぎを振り返って、田河氏は「私の履歴書」の中でこう語っています。

(p197より引用) 「私にとっては不本意な形での連載中止だったが、結果的にはこのときにやめておいたのがよかった。・・・もし、あのとき、情報局へ呼び出されず、(太平洋戦争)開戦後も連載を続けていれば、『のらくろ』は露骨な戦争協力をさせられ、それがますますエスカレートしていったに違いない。そんな羽目になっていたら、いかに人気のあった『のらくろ』といえども、戦後、復活させて続編を描き続けることはむずかしかったかもしれない」

 人生における “偶発” の影響力には人知を越えるものがあります。
 「私の履歴書」に登場する方々の多くは、この “偶発” がラッキーにも成功への道に導いたのだとも言えます。もちろん、本人の真摯な努力によるところも大きいのですが、“血の滲むような努力” をしていてもそれが報われない人の方が、偶発に恵まれた人よりも、ずっと多いように思います。

 さて、本書を読み通しての感想ですが、正直なところ、ちょっと思っていたものとは違っていましたね。
 「私の履歴書」で紹介された著名人のエピソードから特に興味深いものを厳選して、著者なりに深掘り・肉付けした内容を期待していたのですが・・・。現実的には、過去の「私の履歴書」をザッピングしたような体です。

 やはり、関心を抱いた人物については、その伝記や自伝といったしっかり書き込まれたものを読まないと欲求不満が残りますね。



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