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プロタゴラス‐ソフィストたち (プラトン)

 プロタゴラス(Protagoras 前480?~前411?)は、「人間は万物の尺度である」との言葉で有名なギリシャの哲学者です。
 前445年ごろアテネにおもむき、政治家ペリクレスの友となって、教師および哲学者としての名声を得ました。彼はソフィストを自称し、教育を施す報酬として少なからぬ金銭を受け取った最初の思想家だと言われています。

 本書は、そのソフィストの長老プロタゴラスとソクラテスとの間で交わされた「徳」をテーマした対話編です。

(p183より引用) ここに描き出されているのは、直接的には、紀元前五世紀の後半‐前443/2年ころ‐のアテナイにおける、ソフィストたちをめぐる時代の一般的な空気であり、そしてそこにソクラテスが関わり合うことによってつくり出される、ある意味ぶかい状況である。

 プロタゴラスとソクラテスの議論の方法は全く異なっていました。
 プロタゴラスは長弁舌をふるい、ソクラテスは短い問いと答えを繰り返すやり方です。
 そこで、議論の仕方について、ヒッピアスが以下のような提案をしました。

(p91より引用) 審判官なり監督役なり議長なりを選んで、あなた方のために、あなた方がそれぞれ発言するにあたって、適切な長さを守るように監視してもらおう。

 この提案に対して、ソクラテスはこう逆提案をします。

(p93より引用) もしプロタゴラスが答えたくないのなら、この人のほうから質問してもらうことにしよう。そしてぼくは答えるほうにまわり、そうすることによって同時に、答え手となる者はぼくの主張によるとどういうふうに答えるべきかを、彼にわかってもらうようにつとめよう。そして、この人が質問したいと思うだけのことに、全部ぼくが答えてしまったら、今度はこの人に、同じやり方で答を提供してもらうことにしよう。

 以降、このソクラテスのペースでの議論が進みます。
 二人の議論によって、本書のテーマである「徳」の本質は「知」であることが導かれていきます。

 ここにおいても、ソクラテスの「知」に対する厳しい姿勢が表れています。

(p200より引用) 「悪いとは知りながら・・・」という言い方には、「知る」ということについての甘えがある。ソクラテスのいわゆるパラドクスは、ほんとうに知っているのなら絶対に行なわないはずではないかと、この甘えをきびしく禁止するのである。

 さて、本書の中で、今に照らしても「そのとおり」と感じた点をひとつ。

(p23より引用) いろいろの知識を国から国へと持ち歩いて売りものにしながら、そのときそのときに求めに応じて小売りする人々、そういう人々もまた、売りものとなれば何もかもほめたたえるけれども、しかし中にはおそらく、君、自分で売ろうとするものについて、そのどれが魂に有益であり、有害であるかを、知りもしないような連中がいるかもしれない。・・・
 だから、君がもしもそういった彼らの売りもののうちで、どれが有益でどれが有害かをちゃんと知っているのだったら、いろいろな学識を買い入れるということは、それがプロタゴラスからであろうと、ほかの誰からであろうと、君にとって別に危険がないわけだ。だが、もしそうでないのなら、君、何よりも大切なものを危険な賭にさらすことのないように、よくよく気をつけたほうがいいよ。

 ソフィストは、最古の「万能コンサルタント」だったのです。多額の報酬を求めるという点でも・・・。
 そして、そのコンサルティングを受けるかどうか、その正しい判断のためには「知」が大切なんですね。


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