第一部から 木曾山中の苦悶
教科書にも載っているような有名な作家の代表作品は数多くありますが、正直なところあまり読んでいません。それではまずいということで、機会をつくって少しでも手にとってみようと思っています。
さて、今回は島崎藤村の「夜明け前」。
恥ずかしながら、この歳になって初めて読みます。
書き出しはとても有名です。
幕末から明治初期を舞台にした本作品の主人公は半蔵。
半蔵は馬籠に生まれた平田派国学を学ぶ若者でした。木曾の山中で、彼は世情の騒乱に心を惹かれ憂いを感じています。ペリーの黒船が二度目の来航を果たしたころのことです。
「黒船」は、当時の日本にとってはこう映っていました。
歳を重ねた半蔵は、平田国学の学徒とともに、江戸末期の尊皇攘夷・倒幕の活動の場に身をおくことを望んでいました。しかし、それも叶わず木曾街道馬籠宿に止まるのでした。
半蔵の忸怩たる思いは積もりつつ物語は進むのですが、そのストーリー展開において、当時の思想の一つの潮流であった国学や水戸学が人々に与えた影響も大きな要素になっています。
半蔵は国学を志すものでしたが、彼は国学を復古思想としてではなく、新たな時代を拓くものとして意味づけていました。
反面、攘夷という手段においては類似の方向を志向した水戸学については、こう捉えていました。
朱子学の思想から出た水戸学は、上下の君臣秩序の枠組みを超えるものではなく、そこにおいて、自己の目指すところとは大きな相違が生じると理解したのでした。
さて、その水戸の流れを汲む第15代将軍、徳川慶喜。
本長編の第一部は、幕末、慶喜の大政奉還をもって終わります。
第二部から 想いの瓦解
「夜明け前」、第二部は、大政奉還以降です。
徳川の時代は終わり、半蔵にとっては待ちに待った新たな時代の幕があがりました。
とはいえ、半蔵は、未だに木曾街道の中、馬籠の宿にいます。
本陣の前、街道を行き交う様々な人々。彼らの足取りで世情や人情を計り知ることができます。江戸に向かう諸藩混合の東山道軍の足取りは、人それぞれの思いが入り混じったものでした。
様々な思いを引きずりながら、しかし、確実に世の中は大きく転換していきました。昨日まで「攘夷」を叫んでいた京都の空気も一変していました。
明治維新は、日本の近代史を振り返ってみても、太平洋戦争の敗戦と並ぶ「最大の転換」だったと思います。双方とも外圧が大きなきっかけになったのですが、幕末から明治維新の時代は、日本の中にも変革を望むエネルギーが充満していました。ただ、そのエネルギーのベクトルは様々でした。
半蔵は、前者でした。
そして、半蔵は遂に心を病むに至ります。最期は座敷牢の中。
「夜明け前」、この歳になって初めて通読した藤村作品でした。自らの父親をモデルにした半蔵の生涯を経糸に、幕末から明治初期の世情を緯糸に織り込んだ大作です。
今の時代、こういった “大きな歴史のうねり” を書き込める作家がいるのか・・・、正直、圧倒されました。