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同時代のこと ― ヴェトナム戦争を忘れるな (吉野 源三郎)

(注:本稿は、2014年に初投稿したものの再録です)

 毎週行っている図書館の「リサイクル図書」のコーナーを覗いた時、目についたので手に取ってみた本です。

 著者の吉野源三郎氏は、雑誌「世界」の初代編集長で、名著「君たちはどう生きるか」の著者として有名ですね。

 本書のタイトルは「同時代のこと」。巻頭の「序にかえて」の章が圧巻です。
 その章では、同時進行している「現代史の捕捉・評価」に関するジョン・リードの「世界をゆるがした十日間」という著作を示しつつ、とても内容の濃い主張が綴られています。

(p11より引用) 歴史的な事件を同時代の出来事として迎え、まだ流動している状況の中で、その帰趨を洞察するということは、けっして容易なことではない。

 この吉野氏の問題意識とその立ち位置の誕生は、吉野氏の青年期の忸怩たる思いに発しています。

(p17より引用) 今日では、第一次大戦が帝国主義戦争であったということは、高校生でも知っている。それを、日々この大戦の経過を同時代の人間として追って来た私が、戦争が終わってから十年近く経つまで知らなかったのである。・・・何億という人々の運命にかかわる大きな事件が進行し、人類の将来に重大な影響をもつ事態が生まれて来ていたのに、自分がそれを知らずにのんきに生きて来たということ、知らないままに生きて来られたということが、若い私には、気がつくとやりきれない思いのすることであった。

 その思いをもって、まだ、研究の対象として熟成されていない「眼前の現代史」を捉えるにあたって、著者は「主体」の重要性を指摘しています。

(p47より引用) 今日においても、なお、私たちは、人生を知り尽くした上で人生を歩みはじめるということはできないのである。私たちは、誰も彼も、生きてゆきながら、生きてゆくことによって人生を知ってゆく。こうして人間は、何千年の昔から、自己の現実性を知ると共に現実を問題として受取り、それと格闘しつつ環境を変え、その秘密を開き、自分をも変えながら自分を知って来た。このような人間の行動の集積として歴史が展開して来、展開してゆく以上、歴史的現実に対する私たちの接近も、特に同時代の現実に関する場合、私たち自身の行動や生き方を離れてはありえないであろう。問題は、どんな生きてゆく態度、どんな行動の立場が、最も深く現実に喰い入ることを可能にするか、ということにかかる。

 現に直面している現実を捉えることは、それが、同じ瞬間に存在するがゆえに、そこに立つ「主体」の姿勢がクリティカルになるのです。

 序に続く本編は、同時代の歴史的事象としての「ヴェトナム戦争」を材料にした吉野氏の講演や寄稿文等を採録したものです。
 当時の吉野氏の強烈な信念に裏打ちされたエネルギッシュな姿が眼前に広がるようです。

 まずは、吉野氏の現代史認識における「ヴェトナム戦争」の“意味づけ”はこうです。

(p104より引用) 私たちは、ヴェトナム戦争に関して、以下のことを確認しておかねばならない。それは、ヴェトナム戦争こそ、今日私たちの前に姿をあらわして来た大規模な歴史的転換の最大の契機であったから、というだけではない。大きな歴史的転換期において、私たち自身がいかに洞察というものを必要としているか、また、その洞察のためにどのような知性を必要とするかを、ヴェトナム戦争が、歴史の現実を通じて痛切に教えてくれているからである。

 このくだりに続いて、吉野氏の官僚および官僚出身の政治家批判が展開されます。

(p110より引用) 敗戦による打撃を痛感することなく、戦後の冷戦の展開によって恩恵を受け、アメリカの冷戦政策に対しては最も無批判であり、やすやすとそれに協力して来た官僚出身者や、官僚の上層部が、日本の政治を導いているということである。

 見識と洞察をこれほど必要としている時機に、「もともと、そのようなものを欠いていればこそ有能であった人々」が日本の舵取りを行っていることへの強い危機感の表明です。

 そして、最後に、本書の中で最も印象に残ったフレーズを書きとめておきます。
 1930年代、ヒトラーがオーストリア・チェコ等に続きフランスをも屈服させてほぼ全ヨーロッパに覇を唱えたとき、三木清が語ったと紹介された言葉です。

(p189より引用) 「これでヒットラーもおしまいだ。彼のナショナリズムは、ヴェルサイユ体制に不満をもつドイツ人に訴えて、ドイツだけは、なんとか引きずって来られたが、ヨーロッパの諸民族を相手にこれを統治しなければならなくなった。いま、それだけの哲学は彼にはない。力だけは国境を越えて伸びたけれど、国境を越えるだけの原理や思想は、ナチズムにはない。こうなれば、ヒットラーはきっとしくじる

 同時進行の時間軸の中に居ながら、歴史的・社会的・思想的全体観を意識したこういう言葉を発することができる感覚は素晴らしいと思います。



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