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君たちはどう生きるか (吉野 源三郎)

吉野氏の想い

 この作品は第二次世界大戦に突入する直前の時期に、むしろその時期だからこそ書かれたものです。

 著者の吉野源三郎氏は、昭和期の編集者・ジャーナリストです。大正・昭和期の劇作家・小説家で戦後参議院議員もつとめた山本有三氏と親交をもち、山本氏が企画した新潮社の「日本少国民文庫」の編集にも携わりました。そして山本氏に代わって、同文庫の第5巻として本書を執筆したのでした。

 この本は、当時の偏狭な軍国主義・国粋主義に対し自由で豊かな文化があることを、なんとかして少年少女に伝えておきたいとの山本氏らの想いがこめられたものでした。

 さて、この本、当時の旧制中学生を対象にしたものなので、非常に平易な文章です。が、密度はものすごく濃いです。具体的な読み手を強く意識し、伝えたいことを明確に示しています。そして、その書きぶりは、伝えたい読み手への思いやりに溢れています。

 本書の巻末には、丸山真男氏が一文を寄せています。吉野氏への追悼をこめた本書の回想文です。その中で、丸山氏をしてこう語らせています。

(p307より引用) 私がこの作品に震撼される思いをしたのは、少国民どころか、この本でいえば、コペル君のためにノートを書く「おじさん」に当たる年ごろです。・・・しかも自分ではいっぱしオトナになったつもりでいた私の魂をゆるがしたのは、自分とほぼ同年輩らしい「おじさん」と自分を同格化したからではなくて、むしろ、「おじさん」によって、人間と社会への眼をはじめて開かれるコペル君の立場に自分を置くことを通じてでした。・・・

 その後、吉野氏は、岩波書店に入社して「岩波新書」の創刊に関わり編集部長をつとめました。第2次世界大戦後は、戦争を防げなかったことへの反省をこめて雑誌「世界」が創刊されると、その初代編集長となり、同誌を通じて進歩的ヒューマニズムの論調を打ち出しました。

 また、そういった戦後民主主義を基盤とするジャーナリズムの育成への尽力とともに、児童文学に対する貢献にも特筆すべきものがありました。

 そのいずれにおいても、根底には、「2度と戦争を起こさせまいとする平和への意志」を次の世代に引き継ごうという吉野氏の強い想いがありました。

コペル君の名前

 「君たちはどう生きるか」の主人公「コペル君」の名前の由来は、やはり「コペルニクス」でした。

 これから戦時下に入ろうとする直前、緊迫した危機感を抱いていた吉野氏が当時の中学生に伝えたかったことは、「旧弊にとらわれない自由な思考の大事さ」でした。その象徴が「コペルニクスの視座の転換」です。

(p26-27より引用) しかし、自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中のことも、ついに知ることが出来ないでしまう。大きな真理は、そういう人の眼には、決してうつらないのだ。もちろん、日常僕たちは太陽がのぼるとか、沈むとかいっている。そして、日常のことには、それで一向さしつかえない。しかし、宇宙の大きな真理を知るためには、その考え方を捨てなければならない。それと同じようなことが、世の中のことについてもあるのだ。

 こういった「精神の自由さ」を「コペル君」という主人公の名前に託したのでした。

 「精神の自由さ」は、当たり前と思われていることに対面しても立ち止まりません。

(p81より引用) だからねぇ、コペル君、あたりまえのことというのが曲者なんだよ。わかり切ったことのように考え、それで通っていることを、どこまでも追っかけて考えてゆくと、もうわかり切ったことだなんて、言ってられないようなことにぶつかるんだね。こいつは、物理学に限ったことじゃあないけど・・・

 みんなが言っていることだからと何でもかんでも鵜呑みにしないで欲しい、「当り前」だと言われていることに疑問を持って欲しい、そして、その疑問を自分の頭で考えてどこまでも突き詰めて欲しい、という願いです。
 「物言えば唇寒し」という時代を前にして、「自由な精神の大切さ」を何とかして伝えておきたいという真剣な想いだったのでしょう。

(p183より引用) して見れば、僕たちは、ナポレオンの偉大な活動力に感歎しながらも、なお、こう質問して見ることが出来るわけだ――
 ナポレオンは、そのすばらしい活動力で、いったい何をなしとげたのか。
 コペル君、なにもナポレオンについてだけでない、こういう風に質問して見ることは、どんな偉人や英雄についても必要なことなのだよ。偉人とか英雄とかいわれる人々は、みんな非凡な人たちだ。・・・僕たちは、一応はその人々に頭を下げた上で、彼らがその非凡な能力を使って、いったい何をなしとげたのか、また、彼らのやった非凡なこととは、いったい何の役に立っているのかと、大胆に質問して見なければいけない。非凡な能力で非凡な悪事をなしとげるということも、あり得ないことではないんだ。

 この本は、今月から中学3年生(このBlog執筆時)になる娘に、「読んでみたら」と初めて勧めた本になりました。
(彼女が読むかどうかは???ですが・・・、ちなみに今彼女は29歳です)


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