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なんかいやな感じ (武田 砂鉄)

(注:本稿は、2024年に初投稿したものの再録です。)

 いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。

 武田砂鉄さんの著作は、以前「マチズモを削り取れ」「べつに怒ってない」の2冊を読んでいるのですが、その論旨には、概ね同意するところとちょっと違うかなと感じるところが合い混じっていた印象があります。
 とはいえ、気になるライターさんではあるので本書も手に取ってみたという次第です。

 期待どおり数々の興味深いコメントや洞察がありましたが、それらの中から特に私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきましょう。

 まずは、「学ばないほうが」という小文から。
 政治家自身の発言の中で顔を出した “ホンネ” のフレーズを問題視され、その釈明をするにあたってありがちな情景。

(p104より引用) 言い訳が貧相だと重大な物事まで貧相に染められてしまう。結果、問われることなく、同様の出来事が温存されていく。

 特に昨今の政情で見られるのですが、問題事象に対して、学校や職場といった実社会ではあり得ないような理屈にもならない「低次元の言い訳」を真顔で繰り返されると、こちら(批判する側)の方も、あまりにも話にならず、「同じ土俵で、問題点を共有しての真摯な議論」ができなくなることがあります。
 さらには、ひとつの不祥事のケリがつかないうちに、次々と問題行動が続発するので、全ての追及が “尻切れトンボ” 状態で漂ってしまうのです。そこでは、ひとつひとつ片づけていこうとすると「まだ、そんなことを問題視しているのか」といった不当な批判を受ける・・・、不正を行っている側の開き直った態度が “大人の対応” なのだと言わんばかりの風潮。
 もちろんこういった「社会の劣化状態の結果的な黙認や見逃し」は決して許されることではないはずです。(これらの状況の現出は、安穏とした国民とそれに安住しているマスコミの劣化が元凶ではあります)

 もうひとつ、「決めるのは自分」から。
 TBSラジオで永六輔さん野坂昭如さんが、近しい人を空襲で亡くした戦争体験を語りつつ、そういった体験が戦争を知らない世代にも語り継がれることを信じていたとの話を受けて、永さんの番組で長年アシスタントを務めた長峰由紀さんのことばです。

(p236より引用) 「だって、それしかないじゃないですか。それ以外にないじゃないですか。語り継いでいくしかないんです。難しくなっていくのかもしれません。体験してない人間が言うのはおこがましいというような言い方もありますが、そんなこと言ってる場合ではないと私は思います。語っていいんだと思います。だって、私、永さんから聞きましたから

 そのとおり、実際に体験していない人が語り継ぐことは、なんらおこがましいことでもないし、むしろとても大切な決意だと私も思います。

 さて、最後に本書を読み通しての感想です。

 このところラジオやSNSを通じてその言動が気になっている武田さんの最近の本なので、かなり楽しみにしていたのですが、武田さん個人をモチーフにしたエッセイは、正直なところ、期待していたほどには、今ひとつ私には響かなかったですね。

 もちろん、いくつかの小文で武田さんらしい視点や思索に触れることはできたのですが、やはり最近の時勢を鑑みるに、武田さん一流の “真っ当な社会批判” をもっとストレートに目にしたかったという想いが残りました。
 そのあたりの切れ味はちょっと物足りなく残念でしたね。



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