「空気」と「世間」 (鴻上 尚史)
ちょっと前「KY」というフレーズが流行りました。
いまだに「空気」という得体の知れないものが大きな顔をして世の中に漂っています。
本書にて著者の鴻上尚史氏は、従来から社会心理学の中で研究対象とされていた日本社会特有の「世間」と、この「空気」との関係について、いくつかの仮説を提示していきます。そして、それらの特質を、「社会」との対比のなかで明らかにしつつ、「世間」や「空気」に悩まされない生き方のヒントを紹介しています。
論を進める前に、まず、鴻上氏は、欧米人に理解できない「日本人の行動様式(モラル・マナー)」を採り上げます。
電車の中で、「網棚に残ったバッグを盗まない日本人」と「老人が前に立っても席を譲らない日本人」です。
この欧米人から見ると「善悪が同居する」日本人の行動について、鴻上氏はこう論じます。
この根底にあるのが、「自分に関係のない世界には関わらない」という行動原理です。
日本人は、基本的には「世間」の中で生活しているのです。
鴻上氏は、歴史学者の阿部謹也氏の「世間」に関する著作を参考にして、「5つの世間のルール」を示しています。
そして、「空気」とは「世間が流動化」したものと定義づけるのです。
「世間」は、ひとつの閉じた自己完結的な生活圏を構成します。その中で暮らしている人にとっては、「世間」は「絶対的」なものになっていきます。
この息苦しい「世間」から逃れるキーワードが「相対化」です。
日々の生活を「相対的」なものとするために、鴻上氏は、複数の「共同体」に所属することを勧めています。自分の所属する生活圏を複数もつことが、一つの「世間」や狭い仲間内の「空気」に縛られない方法だというのです。
さて、本書を通読しての感想ですが、鴻上氏が挙げている「世間」の特質は、少々紋切り型過ぎるように思いました。
指摘されているような傾向があることは否定しませんが、きちんとしたフィールドワークに基づいた実証と説明がないと十分な納得感は得られません。特に、会社を舞台にした人間関係についての記述は、ひと昔前のサラリーマン気質のようです。
ただ、「世間」や「空気」に振り回されて辛い思いをしている子どもたちを何とか力づけたいという思いは十分に伝わってきます。
優しい気遣いが感じられる本です。
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