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「空気」と「世間」 (鴻上 尚史)

 ちょっと前「KY」というフレーズが流行りました。
 いまだに「空気」という得体の知れないものが大きな顔をして世の中に漂っています。

 本書にて著者の鴻上尚史氏は、従来から社会心理学の中で研究対象とされていた日本社会特有の「世間」と、この「空気」との関係について、いくつかの仮説を提示していきます。そして、それらの特質を、「社会」との対比のなかで明らかにしつつ、「世間」や「空気」に悩まされない生き方のヒントを紹介しています。

 論を進める前に、まず、鴻上氏は、欧米人に理解できない「日本人の行動様式(モラル・マナー)」を採り上げます。
 電車の中で、「網棚に残ったバッグを盗まない日本人」「老人が前に立っても席を譲らない日本人」です。

 この欧米人から見ると「善悪が同居する」日本人の行動について、鴻上氏はこう論じます。

(p36より引用) 網棚に残ったバッグも、席を譲らない日本人も、同じ理由から生れているんじゃないかと、結論したのです。

 この根底にあるのが、「自分に関係のない世界には関わらない」という行動原理です。

(p38より引用) 自分に関係のある世界のことを、「世間」と呼ぶのだと思います。
 そして、自分に関係のない世界のことを「社会」と呼ぶのです。・・・
 ほとんどの日本人にとって網棚に残されたバッグは、自分とは関係のない世界=「社会」なのです。
 同じく、目の前に立っている杖をついた老女もまた、関係のない世界=「社会」なのです。

 日本人は、基本的には「世間」の中で生活しているのです。

 鴻上氏は、歴史学者の阿部謹也氏の「世間」に関する著作を参考にして、「5つの世間のルール」を示しています。

(p52~より引用)
世間のルール1 贈与・互酬の関係
世間のルール2 長幼の序
世間のルール3 共通の時間意識
世間のルール4 差別的で排他的
世間のルール5 神秘性

 そして、「空気」とは「世間が流動化」したものと定義づけるのです。

(p96より引用) 「世間」を構成する五つのルールのうち、いくつかだけが機能している状態が「空気」だと考えているのです。・・・
 五つのルールが明確に機能し始めた途端に、流動的で一時的だった「空気」は、固定的で安定した「世間」に変化します。

 「世間」は、ひとつの閉じた自己完結的な生活圏を構成します。その中で暮らしている人にとっては、「世間」は「絶対的」なものになっていきます。

 この息苦しい「世間」から逃れるキーワードが「相対化」です。

(p125より引用) どんなに絶対的だと思われることも、相対的な視点で理解すべきだというのです。

 日々の生活を「相対的」なものとするために、鴻上氏は、複数の「共同体」に所属することを勧めています。自分の所属する生活圏を複数もつことが、一つの「世間」や狭い仲間内の「空気」に縛られない方法だというのです。

 さて、本書を通読しての感想ですが、鴻上氏が挙げている「世間」の特質は、少々紋切り型過ぎるように思いました。
 指摘されているような傾向があることは否定しませんが、きちんとしたフィールドワークに基づいた実証と説明がないと十分な納得感は得られません。特に、会社を舞台にした人間関係についての記述は、ひと昔前のサラリーマン気質のようです。

 ただ、「世間」や「空気」に振り回されて辛い思いをしている子どもたちを何とか力づけたいという思いは十分に伝わってきます。
 優しい気遣いが感じられる本です。



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