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経営論 改訂版 (宮内 義彦)

アメリカ流株主資本主義

 著者のオリックス会長宮内義彦氏は、規制改革・民間開放推進会議(平成19年1月に終了)議長も歴任した市場経済推進派の論客でもあります。

 本書は、その宮内氏が自らの主張を「経営論」として著したものです。経済政策としての是非の議論はあるとしても、経済初心者にも分かりやすい語り口で読みやすい内容です。

 宮内氏は、本書において「市場経済」の利点を縷々述べていますが、もちろん、その課題についても言及しています。
 たとえば、競争に敗れ淘汰された企業が産み出す「失業者」の問題があります。

(p45より引用) 市場経済には失業者という社会的弱者を生む弊害があります。しかし一国の経済のなかでは市場原理によって大きくなったパイを削って弱者救済に回すことで、こうした弊害を和らげて、より良い社会を作ることができます。どんな社会を作るかは、経済のパイが大きくなるほど、その選択の幅が広がります。

 ただ、最初から「弱者救済策」を講じるのではなく、弱者を生み出してからの事後対処のような印象は拭えません。

 また、市場経済のグローバル化による国家間の経済格差の問題にも触れています。

(p48より引用) 特に地球規模の環境問題は一国内だけの問題ではありあませんから、経済発展の結果生じる弊害として大きな関心を集めています。こうした環境問題も含めて、グローバル化による市場経済の弊害を是正するルールを確立することが大きな課題といえるでしょう。

 宮内氏は、「株主資本主義」の信奉者です。その宮内氏の立ち位置から見ると、日本の株式会社の在り様は特異なものに写ります。

(p92より引用) 企業のオーバー・プレゼンスは、世界でもあまり例を見ない独特のステークホルダー資本主義を生み出しました。利害関係者のすべてに善かれとするステークホルダー資本主義は、株主資本主義に比べて効率が良いとはいえません。これからの日本企業は、「効率よく富を創造して社会に貢献する」という株式会社本来の守備範囲に戻るべきです。

 最後の文は、宮内氏流には、「効率よく富を創造して『株主』に貢献する」と表すべきではないかと思います。

 もちろん、「株主重視」は間違った考えではありません。ただ、株主の意向に沿った経営が絶対的に常に正しいかどうか。「正しい」とされることは、「誰にとって」という「判断軸」の違いにより普遍的ではありません。
 確かに「出資者」という面からいえば、株主は会社の所有者です。だからといって、単純に、「会社は、会社の所有者である株主の意向を反映しさえすればよい」という主張にはどうも納得できません。
 当然、株主は複数名います。その中の多数派の株主の意見が無条件に尊重されるのでしょうか。
 株主は「利益」を求めます。とはいえ、何を差し置いても利益追求することが企業の究極の目的とは言えないでしょう。法を犯すことは論外ですが、環境に悪影響を与えても、労働不安を惹起させても、消費者を欺瞞しても・・・、それでも利益を追求せよと強要する株主が多数派であるとすると・・・。

 宮内氏の主張は、ともかく「効率」重視です。それは「出資者たる株主の投資効率を最大化」させるためです。

(p222より引用) 「企業の社会的な役割が経済価値の創出のほかに存在する」と言っているのではありません。企業が存在している理由は経済的価値をより効率的に生み出すことです。

 このあたりの価値観も含めて、先に読んだ「若者のための政治マニュアル」で語られている山口二郎氏の主張と比較するとその対比は際立ちます。
 議論の振り子は大きく振れます。昨年来(2008年)の世界的不況の発信地がアメリカだったことは、「株主資本主義」の行き過ぎがもたらす負の側面の現出ゆえと言えるのでしょうか。

 ある協会の新年賀詞交歓会で、上原征彦氏は、「金融資本主義から関係性資本主義へ」とのコンセプトを紹介していました。上記のステークホルダー資本主義にも通底する面白い考え方です。

宮内流雇用政策

 昨年(2008年)末から急激な景気悪化の波を受け「雇用」問題が大きくクローズアップされています。

 アメリカ流資本主義を説く宮内義彦氏の「雇用」についての考え方です。
 まず、宮内氏は日本的雇用の代名詞である「終身雇用・年功序列」について、以下のような基本的な考え方を示しています。

(p182より引用) 日本的経営の特徴の一つは、終身雇用と年功序列といわれるものでした。・・・
 どちらも従業員のその時々の能力、あるいは企業への貢献とは直接関係しない制度です。後者の年功序列はすでに消えていく存在ですが、終身雇用にはこれからの知識社会に応用できる要素も含まれています。

 今後の知識社会では、企業内の「知の創造と継承」が重要になります。

(p183より引用) 知識社会では、たゆまぬ創造性を発揮しなければ企業は存続できないでしょう。このため、コア社員には長い期間、従来の日本型雇用のように定年まで働いてもらう必要があります。連綿とした知識創造のノウハウを「暗黙知」として組織内で継承して、そうした作業の継続を企業の社風にまで高めるような役割が求められます。

 宮内氏は、知識社会における企業内の人的資産の流動は柔軟でなくてはならないと主張します。

(p184より引用) さらに重要なのは、知の創造をするコア作業に個々の社員が参加する自由を組織が持っていることです。たとえパートタイマー(=外辺社員)として働き始めたとしても、「意欲を持って知の創造に参加しているうちに、いつのまにか知の創造の中核機能を担うようになり、本人の希望次第でいつでもコア社員へと転換できる」といった柔軟な仕組みを持つことは、これからの企業組織にとって必要なことです。それを許す社風作りも同様です。

と、このあたりまでの主張は、私としても首肯できるものです。
 さて、こういった「知識創造企業」における人材(人財)戦略を、「コスト」という側面から見たとき、少々雲行きが変わってきます。

(p188より引用) これまで固定費と見なされていた人件費を変動費にすることができれば、経営に弾力性が加わります。・・・
 たとえて言えば「鉛筆型の人事戦略」です。つまり、コア社員の数を鉛筆の芯のように細くする一方、その周りを取り囲む木の部分は成功報酬型の社員、さらにその周りにパートタイマーやアウトソーシング(外部への業務委託)で編成します。そして必要に応じて、芯を囲む木の厚さを調整できるようにしておくわけです。

 「固定費の流動費化」という手法は全く間違いだとは言えないでしょう。考え方が分れるところは、「流動」の振れ幅です。「流動」ではじき出されるのは、生活基盤の脆弱な「雇用弱者」です。

(p195より引用) 弱者に対するセーフティネットの必要性は当然ありますが、これは働く人の19%を組織している労働組合の役割というよりは、失業者対策や転職訓練、シビルミニマムの整備など働く人々すべてに共通のインフラを社会全体が作るべきでしょう。

 宮内氏の基本的な考えによると、労働力は数ある経営資源のone of themに過ぎません。企業は労働力を利益創出のために都合よく活用するが、不要になって放出したその後の対策は、「社会」が担うべきだということのようです。
 この「社会」には、当事者である「企業」も入るはずですが、どうも宮内氏の議論からは、そう聞こえてこないのです。

(本投稿は2009年にgooブロブに投稿したものの再録です)


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