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江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚 (岩尾 龍太郎)

 漂流物語といえば、ダニエル・ デフォーの「ロビンソン・クルーソー」ジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」が有名ですね。

 日本においても、江戸時代を中心に、数々の実際の漂流経験の記録が残されています。ただ、それらは幕府や藩の公式記録として収集・保存されたのではありませんでした。「鎖国」という環境下、漂流から生還した人々やその事実はむしろ秘匿されていたのです。

 本書は、それら江戸期の記録の中から7つのケースを選び出し、その漂流譚を紹介したものです。
 漂流者たちは、強烈な生命力で極限生活を耐え抜きました。
 そこには、常軌を逸した大胆な行動もあれば、極限状況の中での理性的行動もありました。

 その中からひとつ、17世紀「日州船漂落紀事」に記された薩摩民の経験譚を紹介します。
 彼らは鹿児島の山川を出帆した後遭難し、八丈島鳥島に漂着しました。当時の鳥島はアホウドリの楽園でした。

(p70より引用) 「大鳥を殺し、くらふはいと易けれ、これまでかの鳥の落餌をむざぼり、餓ゑをしのぎければ、仮令餓死するとも、この鳥をくふことなし。僉一同に盟ひて、一隻も殺さず。・・・」

 飢餓に耐え、飢餓を越える理性。私からみると、正直、信じがたいほどの自制意識・禁欲精神の発揮だと思います。
 著者は、彼らの精神力に感嘆するとともに、アホウドリを捕食するという生存のための選択肢を敢えて消したことが、島からの自力脱出という生還への努力に向かわせる高度なサバイバル技法であったと指摘しています。

 本書は、このような「無人島漂着編」のほか、もう一章「異国漂着編」で構成されています。
 後半の異国漂着編からもひとつご紹介します。

 ボルネオに漂着後、異国人に捕らえられ奴隷としての生活、その後中国を巡り帰還した博多唐泊の孫太郎のケース。
 彼の9年間に及ぶ漂流・異国経験の仔細を記した「南海紀聞」から、帰還後の孫太郎の思いを語ったくだりです。

(p206より引用) 「よの中は唐も倭も同じ事、外国の浦々も、衣類と顔の様子は替れども、かはらぬ物は心也」(『華夷九年録』)

 望むことなく強いられた異国での暮らし、その艱難辛苦を乗り越えた体験からの真実の言葉です。

 以前、大黒屋光太夫を主人公にして描いた井上靖氏の「おろしや国酔夢譚」を読みましたが、同じ漂流物でもテイストは大きく異なります。
 本書は、当時の「漂流記録」を渉猟した原典の紹介が軸になっている分、ストーリーテラーとしては稚拙な点は否めません。しかしながら、それが故、かえって、より泥臭いリアリティを感じます。
 もちろん、井上氏の作品も内容は濃密です。さらに、本格的な小説だけに筋書きの面白さ・人物描写の厚さという点では素晴らしいものがありました。



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