おろしや国酔夢譚 (井上 靖)
(2009年に投稿したものの再録です)
今年は、今まであまり読まなかった「小説」にもチャレンジしてみようと思っていました。
さてどんなものから読もうかと思っていたところ、雑誌「プレジデント」に経営者が薦める本の特集が掲載されていました。本書は、その中で三菱電機・野間口会長が紹介されていたものです。
主人公は、大黒屋光太夫(1751 -1828)。江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とした回船の船頭です。1782年江戸に向かって出帆したのですが、再び日本の地を踏んだのは10年後でした。
本書は、光太夫一行の波乱に満ちた運命の旅程を描いた井上靖氏の作品です。
8ヶ月の漂流から4年間にわたるアムチトカ島での生活の末、カムチャッカ半島に渡り、さらにオホーツクへ移された光太夫一行。この地から日本に戻れるのではとの一縷の望みも絶たれ、内陸のヤクーツクへ移ることになったとき、光太夫は、こう自分に言い聞かせました。
(p100より引用) こうなった以上は、渡り鳥の渡るのでも見るのを楽しみにして、千十三露里の大原野への旅へ出て行く以外仕方なかった。
ヤクーツクからイルクーツクへ。光太夫一行は、日本からどんどん離れ、ロシアの社会にますます近づいていきます。イルクーツクでは、日本語学校教師として永住することを求められます。ロシアが日本人学校をかつて建て、また今再開しようとしているのを知ったときの光太夫の想いです。
(p159より引用) 光太夫はこの時ほど日本という国が小さく、しかも無欲に無防備に見えたことはなかった。蝦夷の北方に拡がっている大海域でいかなることが行われているか、自分たち六人の漂流民以外、日本人は誰も知ってはいないのである。光太夫はどんなことがあっても、日本へ帰らなければならないと思った。
このとき光太夫は「世界」を感じたのでしょう。
光太夫は、行動の岐路に面した際、止まることより動くことを常に選択して行きました。何としてでも日本に戻るという目標のために、その可能性の拡大を信じて決断を重ねていったのです。
その結果、光太夫は、ロシアの首都ペテルブルグにまで至り、女帝エカチェリーナ2世との謁見を頂点とする目が回るがごとき凄まじい異国の体験を積むことになりました。
さて、約10年もの隔たりの後、ようやくついに念願かなって光太夫らは日本の地に戻ってきました。
しかし、そのとき光太夫は・・・、
(p340より引用) 氷雪のアムチトカ島よりも、ニジネカムチャツクよりも、オホーツクよりも、もっと生きにくいところへ自分は帰って来たと思った。帰るべからざるところへ不覚にも帰ってしまったのである。・・・自分は自分を決して理解しないものにいま囲まれている。そんな気持ちだった。自分はこの国に生きるためには決して見てはならないものを見て来てしまったのである。
10年の異国体験は、光太夫を、鎖国時代の日本という国には収まりきらないスケールにまで大きくしていたのです。
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