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日本のデザイン ― 美意識がつくる未来 (原 研哉)

(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)

 朝の通勤電車の中で読むのに手ごろな文庫/新書の大きさの本が切れたので、職場近くの図書館で見つけました。

 著者の原研哉氏は、武蔵野美術大学教授で「無印良品」のボードメンバーでもあります。

 本書は「デザイン」という切り口から日本の将来展望を語ったものです。

 まずは、日本が強みを発揮できる分野と考えられている「ものづくり」において、著者は、新たな視点を開陳します。
 冒頭の「序」での興味深い指摘です。

(p4より引用) ものづくりに必要な資源とはまさにこの「美意識」ではないかと僕は最近思いはじめている。・・・ものの作り手にも、生み出されたものを喜ぶ受け手にも共有される感受性があってこそ、ものはその文化の中で育まれ成長する。まさに美意識こそものづくりを継続していくための不断の資源である。

 この「美意識」はひとつの価値観であり、その「美意識」を具現化し現出させたものが広義の「デザイン」なのでしょう。

 著者は、本書の中で「デザインの定義や意味づけ」について、いくつかの表現で示しています。
 たとえば、こんな感じです。

(p43より引用) デザインとはスタイリングではない。ものの形を計画的・意識的に作る行為は確かにデザインだが、それだけではない。デザインとは生み出すだけの思想ではなく、ものを介して暮らしや環境の本質を考える生活の思想でもある。したがって、作ると同様に、気付くということのなかにもデザインの本意がある。

 また、こういった捉え方もしています。

(p151より引用) デザインは、商品の魅力をあおり立てる競いの文脈で語られることが多いが、本来は社会の中で共有される倫理的な側面を色濃く持っている。抑制、尊厳、そして誇りといったような価値観こそデザインの本質に近い。・・・本当に機能している情報は、機能している時には見えなくなる。そうしないと、情報がノイズになってコミュニケーションの品質をそぐ。

 情報をごく自然に必要な形で必要な対象に伝えることも「デザイン」の効用であり、その使命のひとつなんですね。

 さらには、こんな表現もあります。

(p171より引用) デザインとは、物の本質を見極めていく技術だが、それが産業のビジョンに振り向けられたときには、潜在する産業の可能性を可視化できなくてはならない。

 こういった「意味づけ」はとても勉強になります。

 さて、本書において著者は、デザインによる「未来構想」を語っているのですが、この「暮らし」「環境」というキーワードから、日本の強みが発揮できる分野として期待しているのが「家」です。
 「家」自体を、先端技術を駆使した「家電」として進化させ、未来型の住環境を提供しようという考えです。

(p110より引用) パソコンのOSや検索エンジンの開発などでは米国に遅れを取った日本であるが、家をインテリジェント化していく領域、すなわち繊細な技術を日常空間化していく方向なら得意分野でもある。・・・それを具体化できる建築やデザインの才能に日本は事欠かない。

 とはいえ、これもきちんとしたコンセプトに基づき計画的に進めなくては、過去の失敗の轍を踏むことになります。戦後の復興から高度成長期において乱脈開発された都市景観がその反省材料です。

(p148より引用) 現代の日本人は「小さな美には敏感だが、巨大な醜さには鈍い」と言われる

 確かにこの言葉には、納得感がありますね。

 もうひとつ、著者の興味深いコメント。「情報」の「平衡」「均衡」という今日的状況に関するものです。

(p222より引用) 熱い衆愚ではなく冷静な集合知が、最も無駄なく合理的な解決をもたらすだろうという、これは思想というよりもある種の感受性のようなものが社会の中で機能しはじめている。

 東日本大震災からの復興や少子高齢化社会への対応といった未経験の大きな課題に取り組むことになる日本において、この社会の胎動は明るい兆しでもあります。
 世の中に溢れる玉石混交の大量情報を「編集」することも、「デザイン」の役割です。

(注:さて、今は2023年、本書を読んで約10年経ちました。期待された「社会の胎動の明るい兆し」は残念ながらうまく育たなかったようです。“反知性主義”まさに“衆愚”の世の中に退化してしまいました。何とか反転攻勢したいものです。)



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