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しらずしらず ― あなたの9割を支配する「無意識」を科学する (レナード・ムロディナウ)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 レナード・ムロディナウ氏の本は、以前にも「この世界を知るための 人類と科学の400万年史」「たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する」という2冊を読んでいます。

 本書もまずはタイトルが気になって手に取ってみました。
 テーマは「無意識」です。

 とても興味深い “人間のもつ「無意識」の機能” が紹介されています。

 たとえば、感覚器で捉えた生情報をイメージとして意識する前に補完処置する “日常世界を「モデル化」する脳” について。

(p67より引用) 人間が知覚する世界は人為的に構築されたものであって、その特性や性質は、実際のデータの産物であるとともに、無意識の精神的な情報処理の結果でもある。自然は、わたしたちが情報の欠落を克服できるようにと、知覚した事柄に気づく前に、無意識のレベルでその不完全さを修正するような脳を与えてくれた。

 これにより、より少ないデータや部分的な情報から完成形に近い?像をイメージすることができるようになっているのです。

 また、「分類」というステップを経た “人間の認知プロセスの功罪” について。

(p217より引用) 人間は分類をおこなうと、偏重した考えを持つようになる。何らかの恣意的な理由で同じカテゴリーに属すると考えたものどうしを、実際よりも似ているとらえ、異なるカテゴリーに属するものどうしは実際よりも大きく違うととらえるのだ。
 無意識の心は、暖味な違いや微妙な差異を、明確な境界線へと変えてしまう。その目的は、重要な情報を残したまま、不必要な委細を消してしまうことにある。それがうまくいけば、周囲の世界を単純化し、より簡単に素早く渡り歩くことができる。しかし下手をすると、認識が歪められ、他人を、さらには自分自身を傷つける結果になりかねない。とくに、分類をおこなうことで他人に対する見方に影響が及ぶ場合には、注意が必要である。

 カテゴリーに分けるという方法は、カテゴリー内の対象物を “似たもの” として省力化してとらえることができますが、逆に、いったん異なるカテゴリーだと整理されてしまうと “異なるもの” だとのバイアスがかかって、ニュートラルな理解や判断の妨げになるとの指摘です。
 これが「固定観念」「ステレオタイプ思考」を生み出す一因にもなるのです。

 そして、どうやら人は無意識のうちに自分に都合のいい考えを抱くようです。望んでいることを真実であると信じ、それを正当化する証拠を探すのです。

(p302より引用) 人間の思考プロセスにおける「因果律の矢」は、一貫して信念から証拠へと向きがちであり、その逆ではないのだ。・・・無意識の心は、限られたデータを使って、パートナーである意識的な心にとって現実的で完全であるように見える世界を構築するものであり、それにかけては達人の域に達している。視覚、記憶、さらに感情のすべてが、不完全でときには相矛盾する生データを混ぜ合わせてつくられているのだ。
 これと同じたぐいの工程が、自己像を描き出すときにも使われる。自己像を描くとき、弁護士たる無意識は現実と錯覚とを混ぜ合わせ、自分の強さを強調して弱さを隠し、まるでピカソの絵のようにさまざまに歪めて、いくつかの部分(自分が気に入っている部分)はとてつもなく大きく膨らませ、ほかの部分は見えないくらいに小さくする。それを受けて、意識的な心という理性的な科学者は、何も知らずにその自画像を褒め、写真のような正確さで描かれた作品だと信じ込んでしまう。

 自分に都合のいいように解釈するのではなく、実際、無意識がそういう “像” を作り上げているというのが驚きですね。

 さて、本書を貫いている著者のメッセージは、「無意識の肯定」です。
 “無意識” は、自分に都合のいいように “意識” に働きかけます。それは、人にとって、未知の将来に対峙するにあたってのとても大切な “前向きのエネルギー” にもなるのですね。



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