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売る力 心をつかむ仕事術 (鈴木 敏文)

(注:本稿は、2014年に初投稿したものの再録です)

お客様の立場で

 セブン&アイ・ホールディングスの総帥鈴木敏文氏の本は、以前「朝令暮改の発想」を読んだことがありますが、こちらは自らの経営理念を紹介した比較的新しい著作です。

 内容としては、「『お客様のために』ではなく『お客様の立場で』」といったあまりにも有名な鈴木氏の基本的な経営姿勢をはじめとして、長年にわたるトップ経営者としての経験に裏打ちされた数多くの示唆が開陳されています。まさに鈴木本の手軽なベスト版といった趣きです。

 それらの中から、旧知のものも含め、記憶に刻んでおきたい教えを書きとめておきます。

 まずは、タイトルにもなっている「売る力」についてです。

(p8より引用) 「売る力」とは、お客様から見て「買ってよかった」と思ってもらえる力である。
 だから、売り手は常にお客様の求めるものをかなえる「顧客代理人」でなければならない。

 まさに、この考え方が「お客様の立場で」という鈴木氏の基本姿勢と同値のものです。
 そういったお客様側の視座にたつと、営業・販売プロセスの中で起こる「事象」の意味づけも変わってきます。

(p11より引用) 売り手の視点とお客様の視点は、正反対です。たとえば、「完売」です。売り手は商品が完売すると自分たちには「売る力」があると思うでしょう。一方、完売後にやってきたお客様は、「なんで、もっと多めに用意しておかなかったのか」と売り手に不満を抱き、「買いに来なければよかった」と後悔し、この店は「売る力」が不十分だと思うはずです。販売の機会ロスが生じているのは確かなので、お客様の視点のほうが正しいと、私は思います。

 セブン-イレブンでは、「完売」は「欠品」であり、改善すべき課題と位置づけられるのです。

 さて、著者のいう「売る力」ですが、もう少し踏み込むと具体的はどんな要素に分解されるのでしょうか。
 そのひとつは「差別化」ですが、著者の差別化には、その頭に「自己」という二文字が追加されているのが肝です。

(p43より引用) 競争とは自己差別化です。社会が豊かになればなるほど、「売る力」として自己差別化が求められることを忘れてはなりません。

 「自らが変わる」「自らの製品・サービスを変えていく」という能動的なプロアクティブな動きです。
 そして、その「自己差別化」を発揮し参入する土俵の定め方にも著者ならではの発想が表れています。

(p60より引用) 参入が容易で誰もがねらう六割のお客様に目を奪われず、空白地帯にいる四割のお客様のニーズに確実に応えることで大きな成果を得る。市場の大小に目を奪われるか、自己差別化で勝ち残れる道を見いだすか、違いがここにあるのです。

 みんなが経験的に「いい」と思うことは、それこそみんながやりますから、それこそ厳しい競合状態になります。結果、みんなが賛成することはたいてい失敗し、むしろ「そんなのだめだろう」と反対されることの方が成功する確率が高くなるのです。

 この考え方は、本書の中では何度も強調されています。

(p92より引用) みんなが「いい」ということをやれば、六割のお客様を相手に九割の売り手と競争することになるのに対し、反対されても挑戦すれば、四割のお客様を相手に一割の売り手とともにビジネスができる。
 過去の延長線上で考えて誰もが賛成することはおおむね未来の展望が乏しく、逆に反対されることは多分に未来の可能性を秘めています。

 みんなが「いい」ということは、過去の成功体験に基づいた判断です。過去の成功は、その時点での未来志向の判断の結果だったはずです。過去と未来、どちらに目を向けるかというと、その答えは自明ですね。

素人の目線

 鈴木氏は、みずから新商品・新サービスを発想し、それを強いリーダーシップで実現していきました。

 新たなものを生み出すということは、「未来」に目を向けるということです。そして、その場合、注目する対象は、当然、「未来の顧客のニーズ」ということになります。「今の競合会社の動向」がどうこうというのは二の次です。

(p116より引用) 真の競争相手は絶えず変化する顧客ニーズである。・・・目を向けなければならないのは、「明日の顧客」のニーズです。

 しかしながら、どうやれば「明日の顧客ニーズ」が掴めるのか?
 よく言われているように、顧客にアンケートをとったところで、現時点で存在しないものニーズなど分かるものではありません。
 著者は「お客様の心理を読む」ことだと説いていますが、さて、どうやれば心理を読むことができるのか・・・、これは難問です。

 これについて、著者が自らの経験から提示しているのひとつのヒントは「素人の目線」です。

(p139より引用) 普通の生活感覚で考え、「素人の目線」を忘れずに、不満に感じたり、「こんなものがあったらいいな」と思うことからヒントを得て、顧客ニーズに応えるための仮説を立てる。答えはいつも、お客様のなかにあると同時に、「自分」のなかにもあるのです。

 たしかに、一般消費者を対象としたサービスの場合には、「自分」も“顧客”の一人ですから、自身の主観的感覚を客観化して仮説を立てるというのは有効なアプローチ方法ですね。

 そしてこの「素人の目線」で見る場合、著者は、消費者は必ずしも「経済合理性」に基づいた行動をとるとは限らないという前提に立って考えます。
 数年前から一種の流行になっている“行動経済学”的思考スタイルですが、著者の場合、以前から自らの経験にもとづきこういった事象の捉え方を実践していたようです。

 顧客の心理を読んで「仮説」を立てた次は「実践(行動)」です。
 この“仮説-実践”を軸としたPDCAサイクルを素早くまわし、顧客ニーズの変化に敏感に対応し続けることが“鈴木流経営スタイル”の肝になるのですが、この「実践」において、著者は、幻冬舎の見城社長からの興味深いアドバイスを紹介しています。

(p162より引用) 機を逃さない、きめ細かな戦略を実施するため、印刷会社や広告代理店もあえて大手は使わず、自社が上位のクライアントになるような、中小規模のところを選び、機動的で小回りの利く対応をしてもらうといいます。戦略を立てるときには、自分の戦いやすい環境をつくるという見城さんらしい手の打ち方です。

 小売業の場合の「実践」とは、“商品の提供”です。
 ただ、今日のように数多くの商品・サービスが目の前に並び消費が飽和状態にあるときには、提供商品の絞り込みが有効になります。
 “レコメンド”ですが、その絞り込みの際のキーワードも「お客様の立場で」です。

(p185より引用) わたしたちが商品を提供するときに忘れてならないのは、お客様に対して選ぶ理由を提示できているかどうかです。それは「お客様の立場で」考えなければわかりません。種類をたくさん置けば、お客様に喜んでもらえると考えるのは、コンセプトを打ち立てることもできなければ、仮説も立てられない売り手の勝手な思い込みにすぎないのです。

 さて、本書では、鈴木氏がここ数年で仕事上関わった方からの気づきも随所で紹介されていますが、その中から、セブンイレブンのブランディング戦略に取り組んだデザイナー佐藤可士和さんの言葉を最後に書き留めておきます。

(p228より引用) 「『当たり前』とは『あるべき姿』のことで、いわば理想形です。『当たり前』のことができるのはものすごくレベルの高いこと」とは、佐藤さんの言葉です。

 この言葉の意味付けのポイントは、誰にとっての「当たり前」かという点です。
 自分の都合の範囲内での「当たり前」ではなく、相手にとっての「当たり前」を愚直に実現していく。これが、まさに著者にとっての「相手の立場で」という基本姿勢につながるのです。
 だからこそ、「当たり前」は、「ものすごくレベルの高いこと」であり、目指すべき「理想形」なのです。



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