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祖国とは国語 (藤原 正彦)

 会社の方からお借りして読んでみました。

 「国家の品格」がベストセラーとなった藤原正彦氏のエッセイ集です。
 出版は「国家の品格」より前ですが、当然ながら著者の主張は一貫しています。

 著者の主張の柱は、論理に勝る「教養」「情緒」の大切さです。

(p17より引用) 読書は教養の土台だが、教養は大局観の土台である。文学、芸術、歴史、思想、科学といった、実用に役立たぬ教養なくして、健全な大局観を持つのは至難である。

 著者のいう情緒は、他人を慮る気持ちや「もののあはれ」を感じる心情、美しいものを愛でそれに感動する心といった幅広い教養に裏打ちされた情緒です。

(p27より引用) 情緒は我が国の有する普遍的価値でもある。普遍的価値を創出した国だけが、世界から尊敬される。経済的繁栄をいくら達成したところで、羨望や嫉妬の対象とはなっても尊敬されることはありえない。

 こういう「情緒」は、「論理」に先立つものとしてあります。「情緒」が体現する「普遍的価値」と捉えているものは、「日本人が抱く世界観」といってもいいでしょう。

(p84より引用) その人の教養とか、それに裏打ちされた情緒の濃淡や型により、大局観や出発点が決まり、そこから結論まで論理で一気に進むということになる。どんな事柄に関しても論理的に正しい議論はゴロゴロある。その中からどれを選ぶか、すなわちどの出発点を選ぶかが決定的で、この選択が教養や情緒でなされるのである。論理は得られた結論の実行可能性や影響を検証する際に、はじめて有用となる。

 国際社会において認められるものは、この「世界観(=大局観)」の是非になります。「論理性」はそれ自体が重要なのではなく、論理的議論が拠って立つ「世界観」が本質的な意味を持つということです。

 さて、本書ですが、大きく3つのパーツに分かれます。
 後の「国家の品格」に連なる「国語教育絶対論」、藤原家の人々の風景を描いた軽妙洒脱なエッセイ集である「いじわるにも程がある」、そして、著者の出生地満州を家族で訪ねた際の思い出を綴った「満州再訪記」です。

 それらのうち、「満州再訪記」から、私の印象に残った一節をご紹介します。
 昭和20年8月9日、長春を引き上げるために着の身着のままでたどり着いた新京駅を、数十年の年月を経て改めて訪れたときのくだりです。

 駅舎の二階に続く階段を前にして、著者はこう記しています。

(p220より引用) 同じ階段を、皇帝溥儀が通り、天皇の名代として秩父宮、高松宮が通り、多くの日本の首相や中国の要人の通ったことなど、誰も興味がないのだろう。まして、山ほどの荷物を背負いぶらさげた、女子供ばかりの日本人引揚者たちが、必死の形相でこの階段を登っていったこと、その多くが故国へたどり着く前に力つきたこと、などに思いいたる人はいない。人の波の切れた階段をじっと見上げていると、歴史が風のように駅を吹き抜けた、とさえ思えてくる。

 著者の母であり、作家新田次郎の妻である藤原ていさん「流れる星は生きている」を読んでみたくなりました。



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