日露戦争
2010年は、NHK大河ドラマの「龍馬伝」が大評判です。以前放映された「竜馬がゆく」を思い出しているのか、今またちょっとした司馬遼太郎氏のブームですね。
私も以前から、司馬氏の作品はそこそこ読んでいたのですが明治期のものは「花神」ぐらいでした。
ということで、今回は(今さらながらではありますが、)司馬氏の代表作のひとつでもある「坂の上の雲」を読んでみたというところです。
私から、小説のストーリーのご紹介をしても意味がないので、通読してみて私の関心を惹いたくだりをいくつかご紹介します。
まずは、司馬氏の「日露戦争」の意味づけです。
これに対して、「日清戦争」の性格については、こう語っています。
司馬氏は、日清・日露戦争あたりまでの日本はそれなりの論理性をもった振る舞いをしていたと考えているようです。
政府・軍部等戦争指導者の思考様式・精神状況について、司馬氏は、日露戦争期と第二次大戦期とでは全く異なっているとの評価を下しているのです。
とすると、わずか30年ほどの間で、その基本的思考法が急転回した要因とは何だったのかが次の関心事となります。
合理的根拠のない神秘哲学の浸透もまた、当時の日本人の何からの素地が与したものなのでしょうが・・・。
日露戦争の人々
本書は日露戦争を舞台としたかなりの長編小説なので、数多くの登場人物が描かれています。
全編を通しての主役は秋山好古・真之兄弟ですが、前編では、秋山兄弟と同郷、松山出身の歌人正岡子規が主要人物として登場します。後編は、まさに日露戦争の陸海の戦場が舞台となりますから、主役は軍人です。
それら多くの登場人物の描写の中で、私が関心を持ったところを1・2、ご紹介します。
まずは、陸軍大将児玉源太郎。
この「専門家」に対する児玉の評価はまったく首肯できるものです。「諸君はきのうの専門家であったかもしれん。しかしあすの専門家ではない」という台詞は鋭く本質を突いています。
もうひとり、当時の海軍の日本海海戦の先任参謀として当時の海軍の作戦策定の核を担った秋山真之。彼の思考をよく現している記述です。
最後はやるかやらないか、真之は、一途に考え抜いた人だったようです。
さて、その他、この作品で印象に残ったくだりを二つ記しておきます。
ひとつは「革命」の現実の姿について。
もうひとつは「新聞」の堕落について。
日露戦争後、ロシアは帝政が崩壊し、日本は帝国主義に向かって疾走していきました。