科学者は戦争で何をしたか (益川 敏英)
(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)
著者の益川敏英氏は、2008年ノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者です。
受賞時のインタビューに対するコメントを聞いたときからちょっと気になっていた方でしたが、この著作も大変興味いものです。
取り上げているテーマの流れで極めて政治的なイシューにも言及していますが、そこには「科学者」であると同時に「市民(人)」としての立場からの氏の考えが開陳されています。
これは益川氏の恩師である理論物理学者坂田昌一氏による揮毫です。
この「まず人間として」という精神が、「研究者は、自らの研究のもたらす功罪にもしっかり眼を向けるべき」という益川氏の主張につながっていきます。
こういった科学者の良心は、歴史を振り返ってみて幾度となく蔑ろにされてきました。とりわけ「戦争」という特殊環境のときがそれです。
そういえば、まさに「ノーベル賞」は、自ら生み出した成果が「軍事目的に転用された」という科学者ノーベルの忸怩たる葛藤の中から生まれたものですね。
この国家権力による拘束以外にも、最近では、広範な利害関係スキームの中で、科学者は自らの役回りを位置づけられてきています。
世の中が「選択と集中」というある種効率化一辺倒の動きを呈している中で、選択され集中された「要素」からは、その用途や影響範囲という全体像が見えなくなってしまいました。
したがって、科学者は、自ら手掛けた研究成果をその責任の範疇でコントロールすることが実際上は不可能になってきたのです。自らの意思とは無関係に、その研究成果は正邪様々な用途に使われてしまうのです。
さて、本書を読み通しての感想です。
益川氏は、本書にて、平和利用と軍事利用の「デュアルユース」の可能性を常に抱える科学研究の実際を踏まえ、その当事者たる「科学者」の“無関心”“無作為”の姿勢に大きな危惧を抱き、それに警鐘を鳴らし続けています。
益川氏の立論は、極めて明確かつシンプルなので、その掘り下げ方という点では少なからず物足りなさを感じるところはあります。(この点は、幅広い読者に自らの主張をできるだけわかりやすく伝えることを重視したことも背景にはあるでしょう)
しかしながら、自らの信念を強く抱き、その信ずるところを目指して先頭に立って行動する姿は賞賛すべきものであっても、決して否定されるものではないと思います。