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拗ね者たらん 本田靖春 人と作品 (後藤 正治)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 ノンフィクション作家の柳田邦男さんが推薦していたので手に取ってみました。
 最近読んだ後藤正治さん「リターンマッチ」「スカウト」も人物に焦点を当てた作品ですが、本書の対象もやはり「人物」。読売新聞社会部からフリーのジャーナリストに転身して活躍した本田靖春氏の人となりを、彼の著作を一冊ずつ取り上げながら描き出していきます。

 まずは、本田氏の「書き手としてのスタンス」について。

 金嬉老事件をテーマにした「私戦」を取り上げた章の中で、本田氏の語った言葉を次のように紹介しています。

(p137より引用) 一言でいうと、私の書くものは社会的弱者に対して甘いんです。そこが私の作品の欠陥だと思っています。それは正直な気持ちなんですが、ただ、ジャーナリストの延長線上ということともかかわってきますが、では自分はどこに立っているのかというと、強者と弱者がいたとしたら、迷わず弱者の側に立つというのが、私の基本姿勢なんです。・・・書くとすれば、そのペンは強者に向かうべきものだと私は思っている。ですから、強者からすれば、「なんだ、アンフェアじゃないか」といわれるかもしれません 開きなおるわけではないけれど、それでいいじゃないか、というより、おれはこういうふうにしか書けないんだ、と。

 この立ち位置は、ノンフィクション作家としての “矜持の顕れ” でもあります。

 そして、それに加えて、本田氏の数々の作品を通底する主題は「戦後」でした。

(p252より引用) 本田の思想の基底にあるものであろう。〈戦後〉という言葉で意味するものを1960年以前に置いているのは暗示的である。貧困をはじめ深刻な社会問題が山積していたが、それでもなお、戦争の放棄を心から喜び、稚拙であろうと民主主義を育て、個人の自由を重んじ尊ばんとする社会的な気運はそれ以降の時代に比してより濃厚にあった。本田が固執し続けたのは、それらをひっくるめた〈戦後的精神〉ともいうべきものである。

 なので、本田氏の「戦後」という時代の区切りは「60年安保闘争」であり、それゆえ美空ひばりの歌とは「柔」で決別したのです。

 しかし、何を置いても本書を読んで感じたこと。本田氏ほど出版業界の多くの方々の心に残る人物は稀でしょう。
 病のために片目を失明し、両足は切断、指の壊死が進んだ右手にペンを縛り付けて最後まで原稿を書き続けたといいます。

 講談社の乾智之氏が本田氏の最後となった原稿を受け取りにいったときの様子です。

(p387より引用) 乾がさっと原稿に目を通すと、本田はこういった。
「申しわけないんだが、ご相談がある。あと一回、書かせてもらいたい。そうでないと意を尽くしたことにならないのでね。……俺はまだ死なないよ。(右腕切断の)手術の前に書き上げるよ。もし書けない状態になっていたら、そのときは口述筆記でもかまわない」 この日は比較的、表情も口調もしっかりしていた。“最終回後半" はもうひと月先でいい。口述筆記なら大丈夫だろう。そう思った本田の読みも、乾の判断も、結果的に誤っていた……。

 そして、病院の玄関先で早智夫人が乾氏に「お嬢さんに」といって小箱を手渡しました。駅に向かう道すがら、その箱を開けてみると、そこには可愛らしい手製のお手玉が入っていました。

(p389より引用) ー人の子供のことを案じている場合じゃないでしょうが。なんていう人たちだ……
 ぬぐってもぬぐっても涙がとまらない。道を行き交う人から怪訝な視線を向けられてもどうすることもできなかった。駅までの数分、乾は泣きながら歩き続けた。

 まずは、本田氏の代表作のひとつ、墓碑にも記された「不当逮捕」を読みましょう。



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