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生命知能と人工知能 AI時代の脳の使い方・育て方 (高橋 宏知)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 日本経済新聞の読書欄でサイエンスライターの竹内薫氏が紹介していたので手に取ってみました。

 「生命知能」「人工知能」「意識システム」等の基礎知識を整理しつつ、意識を高め育てる高等教育のあり方等についても論じた本です。

 私にはちょっと専門的過ぎて理解がついていかないところもかなりありましたが、興味深い指摘も数多くあったので、その中からいくつか書き留めておきます。

 まずは、「生命知能」や「人工知能」の位置づけについてです。
 著者は、私たちの脳に宿る知能を「生命知能」と読んでいるのですが、本書の冒頭で、その「生命知能」と「人工知能」の特徴やそれらの関係性について総論的にこう語っています。

(p27より引用) 現在の人工知能は「自動化」の技術です。一方で生命知能は「自律化」のためにあります。両者は決して互いに対立する知能ではありません。実際に私たちの知能には、人工知能的な性質と生命知能的な性質が共存しています。・・・
 自動化とは、あらかじめ決められたルールや作法に従い、ものごとを進めることです。・・・
 一方で自律化とは、自分自身でルールを決めて、それに従って物事を進めることです。

 著者は、人工知能(自動化)と生命知能(自律化)は共生可能と考えているのですが、ただ、憂慮すべき兆しも感じています。

(p29より引用) 私たちの生命知能が衰える可能性です。人工知能が急激に発達している現在、人工知能の弱点を補う生命知能は欠かせません。ところが実際には、人工知能はますます発達し、生命知能は次第に衰退しているようです。両者の目的は完全に異なるわけですから、人工知能の発達が、必ずしも生命知能の衰退の原因にはならないはずです。生命知能を衰退させる社会的な要因が他にあるように思えてなりません。

 “課題を効率的に解く能力” は人工知能に浸食され、人間(生命知能)ならではの “課題を発見し設定する能力” が衰えつつあるとの認識です。
 この課題設定能力は意識して鍛えなくては高めるどころか維持することすらできないものです。

 もうひとつ、本書では、“知能” とともに “意識” についても考察しています。
 意識の解説の中で興味深かったのは「因果性の推論」についてのくだりでした。

(p258より引用) 私たちの意識の世界では、過去の自分の選択内容も、その根拠も極めていい加減なのです。意識の世界を構築するにあたり重要なのは、数秒前に何らかの選択をしたという事実と、この瞬間に手元にある写真の内容なのです。この二つの事実が破綻しないように、脳は適当に後付けの理由をでっちあげたのです。
 このような因果性の推論は、意識の世界での脳の働きとはいえ、高度な思考というより、半ば自動的な働きのように思えてきます。どちらの例でも、意識の世界における時間軸上の前後関係が、因果性の推論に決定的な影響を与えているのです。おそらく脳は、時間関係に基づいて、半ば自動的に因果性を見出すのです。

 時間軸に応じて、脳が勝手に因果関係の整合をとるというのは面白いですね。

 さて、本書では人工知能と生命知能をテーマに様々な論考が展開されていきますが、両者の関係は、代替関係ではなく、補完もしくは相乗関係だと著者は考えているようです。

(p276より引用) 人工知能が人間の活躍の場を奪うという危機感が喧伝されていますが、それは明確なルールや絶対的な評価軸がある場合に限ります。私たちが自分で評価軸を決めることを放棄しない限り、人工知能が私たちを席巻することはあり得ないでしょう。・・・
 これらを忘れずに、人工知能ができることは、人工知能に任せ、ムダを省いてもらえばよいのです。その分、私たちはムダを作り出しながらも、新たな評価軸や価値観を形成していくべきではないでしょうか。それが、人工知能と生命知能の共存のあるべき姿だと思います。

 このところ、一時に比して、“シンギュラリティ” という単語もあまり耳にしなくなったような気がします。
 むしろ、憂慮すべきは、先にも紹介しましたが、私たちが本来堅持すべき “生命知能” の劣化でしょう。

 この前読んだ「リスクを生きる」という本でも内田樹さんや岩田健太郎さんが対談の中で指摘していた “反知性主義” の台頭、「自分の頭で考えない」人々を生み出している社会の風潮はとても不安です。



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