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徳川15代将軍 解体新書 (河合 敦)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 いつも聞いているピーター・バラカンさんのpodcast番組に著者の河合敦さんがゲスト出演していて、その内容を紹介していました。

 最近、以前教えられていた日本史の通説の見直しが話題になることが多く、そういった新たな史実を開陳している著作もよく見かけます。
 本書はそこまでインパクトを追及したものではありませんが、対象を「歴代の徳川将軍」に絞り、その一人ひとりにつきかなり細かな話題にも入り込んで一覧にしたところに特徴があります。

 歴代の徳川将軍といえば、家康・吉宗等といったとても有名なビッグネームもいれば、「歴代」という点から名前だけ憶えたような将軍もいます。気になるのは、そういった “無名の将軍の実像” ですね。

 さっそく本書を読んで興味を抱いた将軍たちのエピソードをいくつか書き留めておきましょう。

 まずは、2代将軍秀忠
 偉大な先代家康に比して “凡庸” との評価が一般的ですが、一本芯の通ったなかなかの人物だったようです。
 病に侵された最晩年のエピソード。天海僧正とのやり取りです。

(p55より引用) 天海は、「大御所様は家康公のように神号をお受けにならないのですか」と尋ねた。これに対し秀忠は、・・・ 家康の偉大さを述べた後、「我はたゞ先業を恪守せしといふまでにて。何の功徳もなし。神号なぞは思もよらぬ事なり。 とにかく人は上へばかり目が付て。 己が分際をしらぬは。第一おそれいましむべき事なり」と述べたのである。

 最期に臨んで、自らをしっかりと客観視できる見事な胆力の持ち主ですね。

 次に、6代将軍家宣
 わずか3年の治世でしたが、著者は “歴代将軍の中でも最も優れた君主のひとり” と評価しています。
 将軍位に就き次第、先代綱吉が定めた天下の悪法「生類憐みの令」を廃し、その定めに触れて入牢していた人々を次々に釈放していきました。
 また、城下の落書に関するこんなエピソードも伝えられています。

(p131より引用) 家宣は、「庶民は直接、上の者に対する悪事を告発できないので、落書を認めてやれば、自由に意見を述べるだろう。そうすれば我々に下情がよくわかる。そのうえでよいことは採用し、間違った意見は無視をすればいい」と庶民の政治批判をあえて黙認したのだ。

 これだけでもなかなかの度量だと測り知ることができますが、さらには、次期将軍として、天下のために幼かった我が子を推すのではなく、尾張家に宗家を譲ろうとさえしたといいます。
 甲府藩主のころから碩学新井白石が侍講として仕えただけあって、なるほど傑物ですね。

 そして3人目は、10代将軍家治
 その在位中政治は老中田沼意次による専横を許している状況でしたが、家治自身その人物としては吉宗の嫡孫で俊才だったと言います。
 その秀でた人格を紹介しているくだりを2箇所紹介します。

 ひとつめ。

(p201より引用) 別の火事では、江戸城の御門にまで火が近づいてきた。このとき老中たちは消火の人数を増やすべきかどうかを議論したが、これを耳にした家治は大声で「城門は焼けてものちにつくり直せばよい。城下の商人たちは家が焼けたら明日の生活にも困るだろう。増やした消火の人数はすべて町家の救済に用いよ」と厳命した。

 もうひとつ、

(p202より引用) 家治が天変地異を自己の責任だと考えていたのは、次の言葉からもわかる。
「かく近年火災打つゞく事。 ためし有べし(前例がある)とも覚えず。是みな上一人つゝしみの怠るより。政とゝのはずして(政治が良くないので)。天よりかく災害をしめし給ふと見えたり。汝等よろしく年寄どもと相談して。我身 (家治)のいまだいたらざる所あるか。また民庶のうれひとなる政事あるか。すみやかに告来れ。つゝみ かくすべからず
 まさに政治家の鑑のような言葉である。

 良きにつけ悪しきにつけ、それらの全てを “自らに責を帰す姿勢” は見事です。

 さて、本書で紹介されている15人の将軍たち。
 優秀な人材が必ずしも権力を持ち得なかったり、逆に適性を欠く人物が独裁的政治を推し進めたり・・・。世襲を基本としつつ、跡継ぎを輩出する家系も巻き込んだ権力闘争のなかで、玉石混交、多彩多様な人物が入れ替わり立ち代わりその座に就いたようですね。

 そのあたりの様子を網羅的かつコンパクトに整理したなかなか面白い本でした。



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